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短編小説集 à la carte

シークエンスII

作者: 篠崎フクシ

 CUT#1


 一発の銃弾が世界を変えることがある。

 レッドは、国際指名手配され十年前に自ら逮捕した革命家BBのことを思い出していた。地中海はいつものように穏やかで、波打ち際を横歩きする蟹の背は陽光で赤く輝く。

 砂浜では、男女二人がプライベートビーチに寝転がっている。

「何を考えているの? レッド」

 女は上半身を持ち上げ、物憂げな顔で訊いた。

 水着を着ていないので、大きな胸までこんがりと焼けていた。昨夜、ホテルのバーで出会ったばかりの女だ。

「いや、昔のことをね……」

「昔の女、でしょ?」

「まさか。女は星の数ほどいるからな、すべて忘れた」

「まあ。意地悪で自信家なのね、あなた。ま、そんなところに惹かれたんだけどね」

 そう言って女は、レッドの分厚い胸に口づけする。右胸の、白く変色した傷痕まで、女は唇を這わす。レッドは波打ち際の蟹から視線を離さない。

「なあ、この世界は本当に平和になったのか? 革命の時代が終わっちまったことで」

「ウフフ、まさか」女は舌を出して不敵に笑った。「革命家レフ・トロツキーはソヴィエトの刺客に地球の裏側まで追いかけられて、頭を割られたのよ。こんな風にね」

 女はアイスピックを振り上げ、冷酷な目でレッドを見つめた。女の背後に、BBの幻が浮かんだ。

 

 CUT#2


 マルタ・アルゲリッチの弾くピアノの旋律がキッチンを満たす。中古で買ったレコードのせいか、時々針が飛んだ。

「そう言えばさ、レッドって何で恋人を作らないのかしら?」

 ロゼッタは赤ワインを注いだグラスをイエローに渡しながら言った。イエローはカレーライスの最後の一口を飲み込み、そのグラスをじっと見つめた。今夜はカツカレーだった。

「ヤツはな、待ってるんだよ、ずっと」

「誰を?」

 ロゼッタは自分のワイングラスを傾ける。グラスの向こう側にイエローの歪んだ顔が見える。もさもさのダーク・ブラウンの髪が、グラスの上に浮かぶ雲のようだった。焦げ茶色の雲。

「ヤツがまだICPOインターポールに就職したばかりの駆け出しの頃さ。初めてのヤマが、赤色テロの捜査だった」

「赤色テロ?」

「ああ、イタリアではまだ、そんな連中が悪さをしていた頃の話だ。レッドは奴らのアジトを突き止める寸前までいった。ところがレッドたち捜査官の行動はすべて筒抜けだった」

「間者がいたってこと?」

「まあ、そんなところだ。で、その間者がレッドの恋人だったわけさ」

 ヒューと、ロゼッタは口笛を吹いた。

「ハーレクインばりね、ステキ」

「それにしてもロゼッタ。お前の作った今夜のカレーな、手抜きだろ。レトルト使った?」

「……」

 ロゼッタはおもむろにシステムキッチンの棚を開け、拳銃を一丁取り出した。

「ねえ、イエロー、そいつはレッキとした手作り料理よ。あんたのその、スカスカの頭に風穴を開けてやろうか?」

 プツッとまた、針飛びの音がかすかに聞こえた。

 

 CUT#3


「その娘の名はベアトリーチェといった」

 ワンルームマンションの一室。

 私立探偵ブルーは、下着ドロボーを前にウンチクを垂れだした。カールおじさんのようなひげをたたえた下着ドロは、キョトンとした目をしてブルーを見つめた。

「な、何の話? さっきから何なんだよ! もう俺はカンネンしてるんだから、警察でもどこでも連れていってくれよ!」

「まだだ、ニセのカールおじさん。犯人はこの部屋にいるはずだ」

「へ? この部屋には俺しかいねえじゃん!」

 しだいに下着ドロの瞳は不安の色に染まる。

「ふ……、僕は騙されないぜ。確かにふつう、あんたみたいなツラを見た素人トーシロは、犯人を確信するだろう。カールおじさん、あんたが犯人だ、と」

「いや、だから俺がやったんだけど?」

「まあまあ、僕が言いたいのはこういうことだ。ズバリ、犯人は昔々逮捕された、セクシーな美女だ!」

 もう、下着ドロは反論することを諦めていた。ほとんど自暴自棄になっていた。

 私立探偵ブルーは物語を元に戻した。

「その娘の名はベアトリーチェといった。彼女にはイタリア人の恋人がいた。彼氏はインターポールの若手捜査官で、将来有望な男だった。胸板の分厚いイタリア男さ。彼女は自分が革命家でなければ本気で結婚したいと思っていたんだ」

「そ、それで?」

 下着ドロはいつの間にかブルーの話に引き込まれはじめていた。

「まあ待てよ、カール」

 カール? 呼び名が馴れ馴れしく変わったことに違和感を抱いたが、話を途切れされたくなかったので下着ドロは黙っていた。

「そのイタ公はガチでいいやつだったんだ。僕もよくブルーハワイを奢ってもらった。しかしな、ヤツには妙な性癖があった」

「ま、まさ……か、俺と同じ……?」

「バカ。あのイタ公はそこまでゲスじゃあない。彼女のアレをちょっと拝借しただけだ。帽子にして……」

「同じじゃねーか!」

  下着ドロは上着の内側に隠し持っていたピッケルを取り出し、怒りの鉄槌を下さんとしていた。目撃者を生きて返すわけにはいかないのだ。

 被害者の部屋の壁には、ICPOインターポールに国際手配されている容疑者の顔写真が貼ってあった。口ひげをたくわえた容疑者の男は、カールおじさんソックリだった。

 

 CUT#4


「ハイ、カール。私のこと分かる? ロゼッタよ」

「うう……」

 私立探偵ブルーによって簀巻すまきにされた容疑者のカール(仮称)は、猿轡さるぐつわをされているので、携帯電話に向かって小さく呻いただけだった。

「乙女の部屋に勝手に侵入するなんて、ダメな革命家ひとね。下着ドロのふりをした革命家……、今度会ったら、殺す」

 ブルーがふざけてカールの頭に下着をかぶせ、その写真を送りつけたものだから、ロゼッタの怒りは沸点に達していた。

「ハイ、てなわけで、一人目の賞金首はゲットしたよ〜」

 まるで小さなモンスターでも見つけたみたいに、ブルーは嬉々としてロゼッタに報告した。ロゼッタはイエローに銃口を向けたまま、不機嫌に電話を切った。

 やれやれ……。

「ベアトリーチェ……、当時のコードネームはBB。彼女はある革命セクトの指導者だった。僕の親友がはじめて逮捕したのが、恋人のベアトリーチェだった。彼女は逃げきれずに捕まる瞬間、レッドを撃った。でも致命傷を与えることはできなかった。なぜだか分かるよね? カール」

 カールは涙ぐみながら頷いた。

「そう、彼ら彼女らは相思相愛だったのさ」

「むぐう」

「で、あんたらの〈ベアトリーチェ奪還計画〉は僕らの優秀な情報屋が事前に掴んでいて、この、ロゼッタの部屋にあんたをおびき寄せたわけ。ここの住所を散々ばらまいたからね、ダークウェブで」

 ワンルームマンションの外から、パトカーのサイレンが聞こえる。

 

 CUT#5


 ヘリコプターが一機、上空で旋回する。

 よく晴れた地中海の空だ。

 情報屋グリーンは、ライフルのスコープを覗く。一見、ビーチで男女がまぐわっているように見える。ターゲットの女の背中に照準を合わせる。アイスピックを持つ女の右腕が振り下ろされる瞬間、引き金を引く。

「うっ……!」

 女は動きを止め、レッドの胸の中に倒れこんだ。レッドは女の手からアイスピックを取り外し、寂しそうに上空のヘリを見つめた。

「安心しろ、麻酔銃だ。君もベアトリーチェと同じクサイ飯を食ってもらうよ。当分ね」

 レッドは女の柔らかな温もりをかつての恋人に重ねていた。

「また君に会えるだろうか……、ビーチェ」

 

 CUT#6


 操縦席のイエローは、焦げた髪の先を指先でつまみながら、ぶーたれていた。ほのかに髪の焼けた匂いが漂う。

「俺っていつも、運転とか操縦とか、そんな役回りだよな。ま、いいけどさ」

「なあ、イエロー。世の中には、皆それぞれ役割ってもんがある。お前はこのグループに欠かせない存在だ」

 レッドは窓の外を見ながら言った。視線の先には水平線が広がる。昏れなずむ海は果てしなく広い。

「そ、そう言われると悪い気はしないな……」

「もう、イエローったら、相変わらずツンデレなんだから〜」

「お、お前が言うな! ロゼッタ」

 ワッハッハ、と機内を笑い声が満たす。けたたましく響くプロペラの音に匹敵するぐらいの笑い声が。


 一発の銃弾が世界を変えることがある。

 レッドはもう一度そんな荒々しい時代がやってくることを予感していた。監獄カルチェレにつながれた昔の恋人を想いながら。【了】

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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