第四話
決死の殿、的場くん。
夜が明けてしまった。
空は曇天だった。
それが雨雲なのか、はたまた街から上がる火の手が造り出した黒煙なのかは判断に困る。
どちらにせよ空を覆う黒い雲のせいで、太陽は隠れてしまっており、代わりに地は巻き上がる炎に赤々と染まっていた。
その只中で、炎よりも紅く、熱線よりも鋭い眼光を放つ青年が在った。
焼け落ちる家屋を尻目に、青年、的場薫は眼前のみを睨み据えていた。
「■■■■■――――!」
忘れもしない、あの声。
神経を逆撫でするような、身の毛もよだつおぞましい声。
まるで地獄の底から響くかのような呻き。
間違いなく、『不死人』の鳴き声である。
的場薫の前に迫るは、腐乱した人間だった。
皮膚は爛れ肉は腐り、よたよたと酔っ払いのように覚束無い足取りで迫り来る人。顔色は死人のそれと変わり無く、眼だけが赤く炯々と輝いている。
あれこそが『不死人』の真の姿。
人類の天敵。
地球上に於ける、絶対的な悪。
意思のある兵士ではない。
ブードゥー教のゾンビーのような、過去のスプラッタ映画に出てくるゾンビのような化物が、『不死人』の正体なのだ。
そんなものが大量に襲い来れば、人類に勝ち目は無い。
「隊長、退け! 何をやっている!?」
異変に気付いた天真時雨は的場薫に叫ぶ。
「戦車も自走砲も無ければ、航空支援も無いんだぞ! ここで留まってどうなると言うのだ!」
撤退を叫ぶ時雨。
時雨の言う通り、元々は隠密作戦だった事から支援等は望めない。
的場薫らは現在、反連邦政府組織『フリークス』の奇襲に合い、刀折れ矢尽き、命辛々逃げ仰せるかどうかの瀬戸際なのである。
それを一番に理解しているのは、一小隊を率いている彼自身であろう。
しかし、彼は時雨の撤退の声を拒絶するように、自らの分身とも呼べる『適性銃器』のレバーアクションライフルを構え敵を撃ち迎えんとする。
「止めろ! 貴様一人に何が出来る!?」
的場薫の意図を汲み、慌てて引き留めようと駆け出す時雨だが、時雨と彼との間に焼け落ちた建物が倒れ込んだ。まるで二人の世界を別つように、境界線を敷くように瓦礫は時雨の行く手を阻む。
時雨が彼の元へ行けなくなったという事は、彼がこちら側へ撤退する道も断たれた事になる。
「隊長――――ッ!」
瓦礫の隙間から的場薫を捉え、怒鳴り付ける時雨。
それでも彼は一歩たりとも退こうとせず、真っ直ぐに眼前に迫る敵を睨み据える。
「君こそ、早く退くんだ!」
的場薫は退路が無くなったところで、ようやく声を発した。
「僕がここで足止めをする! 君達は早く撤退し、情報を学園へ届けるんだ!」
「馬鹿が! 大馬鹿野郎が! 貴様がそこまでする必要は無いだろうが!」
「やらないといけないんだ。今日ばかりは」
的場薫は眼前に向けていた視線をそっと逸らし、首だけを後ろへ向け振り返った。
笑っていた。
全てを悟ったように、煤けた面持ちに笑みを浮かべていた。いつも時雨らに見せてくれる、優しい笑みだった。
時雨は困惑した。
いつも自分に自信を持てなかった的場薫は、それでも小隊全員が生存する方法を第一に考えて行動していた。
そうであるのに、こうして命を捨てるような真似をする理由が分からなかった。
「後で会おう! 必ず、必ず合流するから! 早く行くんだ!」
その言葉を最後に、的場薫は再度、眼差しを眼前に迫り来る“死の群れ”へ向け直す。
「馬鹿野郎! 死ぬ気か、貴様!」
もう的場薫に時雨の言葉は届かない。
荘厳なまでに気高く、彼はライフルに備えた銃剣を構えて『不死人』の軍勢を相手取る。
「くそっ…………」
時雨は唇を噛み締めながら、瓦礫から数歩退いた。
もう、的場薫を説得する余裕など無かった。
本当ならば、彼と肩を並べ戦うべきなのかも知れない。けど、それももう出来ない。
「待っているぞ! 隊長、学園まで生きて帰ってこい!」
無理と分かっていても、それだけは言わずには置けなかった。
自分が的場薫を見捨てる罪悪感を、緩和したかっただけかも知れないが、それがこの時の時雨の気持ちであった。
的場薫は答えない。
しかし、代わりに今までに聞いたことの無い大声を張り上げた。
「『咲浪銃器学園』所属、第05銃器小隊『新撰組』隊長、的場薫! いざ、推して参る!」
名乗りを上げた的場薫は、銃剣突撃を敢行した。
そしてたった一人で、数百という“死の群れ”の中へ飛び込んで行ったのだった。
時雨は必死に涙を堪えながら、彼の背中に背を向けた。
ここでようやくプロローグです。
どうなる!? 的場くん!?