松井君、カフェ店員になる
俺が倒れていたところから、少しも距離がない場所に、喫茶店・ciel bleuはあった。
木造の扉を開ければ、ふわりとコーヒーの匂いが漂ってきて、同時に何か美味しそうな匂いもした。
カウンター席が九つほど、普通席が十八の広めの店。カウンター席の先に近付けば近付くほど匂いが強くなるから、大方そこの奥が厨房なのだろう。
店の中は暖かく、殆どのものが木で出来ている。
しかも、それは殆どが手作りのようにも見えて、俺は思わずそれを二度見してしまった。
「ハハハッ。気づいたか?ここのものは殆どが、うちの店員が作ったんだ」
そんな俺の様子に気付いたのか気付いていないのか、天宮さんは自慢げに笑う。
けど、こんないいお店なのに、なぜ客が一人もいないのだろう…。
「声に出ているよ。…それにしても、いいお店か、それは照れるね。そして今日は生憎、定休日なのだよ。そうだ。昴君。お腹空いてるだろう?服だってびしょびしょだ。少しそこで待ってくれるかい?」
「え。あ、はい」
なんと言うか、元気な人だ。
天宮さんはあっという間に、カウンター席の先にある、扉の向こうに行ってしまった。
「ぅぇっくしょんっ!!」
暖かくても、やはり冷えるものは冷えるらしい。
だいぶ寒くなってきた。
喉も渇いて、お腹も空いていることも原因の一つなのだろう。
「律さーん!買ってきたッスよ〜」
「女子に荷物持たせるとかありえねぇよ!この野郎!!」
「あだっ!」
ボーッとしていたら、俺と天宮さんが入ってきた扉から、同い年くらいだろう男女が入ってきた。
男の子は服がビショビショだが、女の子は濡れていない。
女の子の手には傘が握られているから、彼女はきっとそれを使っていたのだろう。
男の子の方は、黒髪に金色の瞳をしていたう。
腕には、たくさんの荷物が掛けられている。
少し長めの、一つに纏められた髪はびしょびしょに濡れていて、服も俺と同じくらい濡れている。
半袖の服から伸びる腕は、筋肉がしっかりついていて逞しさを感じさせた。
女の子の方は、茶髪に茶色の目をしていた。
肩につくかつかないかまでの癖のない、サラサラとした髪。
顔立ちは整っていて、つり目がちな目は二重で大きく、唇は綺麗な桜色。
そして、律さんとは違う、少し焼けた肌をしている。
幾つか重そうな荷物を持っていて、それを軽々とまではいかないが、しっかりと持っているあたり、彼女も筋肉がしっかりしているのだろう。
二人は、俺の方を見るとキョトンとした後、奥に向かって叫んだ。
「律さーん!新人っスか?」
「びしょびしょじゃん。律さん、どこ行ったんだよ」
そのまま、奥に歩いていく二人。
………なんだろう…、この違和感。なんか………慣れてる?
☆☆★★☆☆★★☆☆
しばらくして、天宮さんと先ほどの二人。
そして、頭にタオルを巻いた男性が歩いてきた。
男性は、口に煙草のようなものを咥えていて、着ている白いTシャツには、大きく『神出鬼没』と書かれている。
……俺が言ってしまうのもなんだが、センスがなかなか…。でも、男性は見た目から、雰囲気まで男前で服のセンスなんて気にならないからいいけど。
「律さん。このびしょびしょの奴、新入り?」
「その通りだ。そうだ…結、バスタオルがどこに置いてあるのか、忘れてしまってね、取ってきてくれるかい?」
「はーい」
「なんだ!細っこい奴だな!!腕折れねえか?簡単に折れるなよ!心配になるな!」
「忍さん。人間、そんな簡単にぶっ壊れないっスよ…」
なんか、いっぺんに話されても………。
俺は、口を開こうとするが、その前に律さんが口を開いた。
「とりあえず、各々喋るのをやめよう。まず、彼の紹介だ」
まさしく、鶴の一声とはこのことで、彼女が発言すると、全員話すのをやめた。
「彼は、松井昴君。私達の店、ciel bleuの新人だ。まぁ、彼自身から入るなどの肯定の言葉は聞いていないがな」
「律さん。それ、ありなんスか?聞いてないって…問題は…」
「ありだ。問題など無い」
天宮さんは、男の子の質問に、キッパリ答えると、いつの間に持ってきていたのか、結さん?と呼ばれた女の子が持っていたタオルを、俺の頭にバサリとかけた。
「うっ…」
俺の口から漏れた呻き声が、聞こえたのか聞こえてないのか、天宮さんはぐしぐしと俺の頭をタオルで撫で回す。
「とりあえず、部屋にいる和と、鈴を呼んでこい。司に任せよう」
「了解っス」
そう言って、司さん?と呼ばれた男の子は、厨房と思われる場所に歩いて行く。
「忍さんは、歌音と琴を呼んできてくれるかい?多分、いつものところだ」
「あぁ。分かった」
眈々とことが進んでいく中、天宮さんが俺と女の子に向き直る。天宮さんは、女の子に何か手渡したようだ。
「昴君は、結について行ってこれに着替えてきてくれるかい?すまないね。これを探していたんだ。サイズが合わなかったら言ってくれ」
「はぁ…」
気の抜けた返事をする俺に、満足げな顔をした天宮さんは、「それと…」と呟いた。
「私のことは、天宮さんではなく律さんと呼んでくれ。分かったかい?」
「はい…。律さん」
「じゃあ、結。お願いするよ」
「はーい」
天宮さ………じゃなかった。律さんは、今度こそ厨房の方へ行ってしまった。
「ほら、松井?だっけ…。こっち来て」
「あ。はい…」
結さん?に言われるまま、俺は個室に入れられる。
そこで、タオルと服を渡されて、俺は先ほどまで着ていた学校の制服を脱ぎ始めた。
渡された服は、Yシャツにゆったりとしたズボンだった。ベルトまであって、俺はそれを慣れた手つきで着ていく。
何と無くだけど、先ほどまで着ていた、俺の学校の制服と作りが似ていたのだ。
着替えたら出ればいいのだろうか?
個室の扉に手をかけて開けば、結さん?が携帯をいじっていた。
「あ。きた。………結構サマになってんじゃん。あ。私は、花咲結。結でいいよ」
「あ、はい…。結さん」
結さんは、携帯をしまうと俺についてくるよう促した。
「松井…、昴で良いや。昴。アンタ、ここどこか分かってる?」
結さんは、肩までの茶髪を揺らしながら、俺に問いかける。
「あ、はい。ciel bleu…でしたか…。喫茶店…ですよね?」
「そう。間違ってない。ここは、ciel bleu。律さんが中心として回ってる喫茶店だよ」
律さんが中心…!
本当に、彼女は店長なんだ…。
俺が結さんと、先ほどの場所に戻った時には、既に先程はいなかった人達が椅子に座っていた。
司さん?と呼ばれた人は、濡れた服を着替えていて、俺と似たような───多分これがこの喫茶店の制服なのだろう───服を着ていた。
「おぉ!なかなかサマになってんじゃねえか!坊主!」
「あ、ありがとう…ございます?」
「疑問符か!!お前、面白い奴だなぁ!!」
俺の背中を痛いくらい叩く男性。
…痛いくらいじゃない。めっちゃ痛い。
「さてと、昴君。自己紹介といこうか。私の名前は、知っているだろうが天宮律だ。この店の店長をしている。よろしく」
「あ、はい」
俺が返事をすれば、今度は先ほどの男性が俺の前に歩み寄ってきた。
「オレは、明石忍。この喫茶店での、インテリアを作る仕事をしてる。よろしくな!」
「よ、よろしくお願いします…」
明石さんは、俺にその手を差し伸べてくる。俺がその手を取れば、もげるんじゃないか…と思えるほどの勢いで、腕を振られた。
こっちも純粋に痛い。
「俺は、卯木司っス!!十八歳っス!よろしくっス!主に料理を作ってるっス!!男同士、仲良くしような!!」
卯木君は、語尾に〜っスを付けるのが癖なのか、輝く笑顔を見せながら俺に手を伸ばしてきた。…また握手か?
手をそろりと伸ばせば、今度は優しく腕を振られる。
「忍さんは、脳みそまで筋肉っスから、気を付けて」
苦笑いしながらそれに答えれば、卯木君は更に楽しそうに笑う。
「花咲結。主に、接客と注文を取る係をしてる。さっき言ったから、これ以上なし」
「あ、はい」
結さんは、椅子に座る俺に軽く目を向けた後、すぐにそらした。
結さんの自己紹介が終わると、今度は幼い女の子が近づいてきた。
その髪と肌は、驚くほど白く、目は血のように赤い。世間一般で言う、アルビノのようだ。幼い女の子の後ろには、もう一人女の子がいて、その子もアルビノだと言うことから、珍しいアルビノの双子だと解った。
「ボクは藤谷琴!双子のお姉ちゃんは、藤谷鈴!よろしくね!ボクは、お裁縫しか取り柄ないけど、お姉ちゃんはお店のメニューを考えてるんだ!」
琴ちゃんは、そこまで長くない髪を、左で纏めていて、鈴ちゃんは長い髪をツインテールにしてる。
琴ちゃんは、よく喋るのに対して、鈴ちゃんは、一切喋っていない。
双子でも、こうまで違うのは凄い。
でも、顔は凄くそっくりで、お互い髪型を変えたら、分かんなくなるんじゃないか…と思わせてくる。
「私は、一ノ瀬歌音と申します。十六歳です。このお店で流れる曲の、作詞作曲させていただいています。よろしくお願い致します」
一ノ瀬さんは、流れるような艶やかな黒髪に、大きな桃色のリボンを着けていて、どこか儚い美しさを見せる女の子だ。
服は、淡い桃色のワンピースを着ている。
丁寧口調のおしとやかな感じの女の子だ。
桃色のものが多いから、桃色が好きなのだろうか。
そしてようやく、最後の一人になった。
その女の子は、椅子の上で体育座りをしながら、ゲームをしている。
髪が長く、少し癖のある肩の少し下くらいまでの、茶色の髪をしていた。顔は前髪で隠れていて、こんな部屋が暖かいのにも関わらず、服は長袖長ズボンだ。
そんな彼女を見つめると、卯木君は苦笑しながら、彼女の頭を撫でた。
「彼女は、畑本和。コーヒーを作るのが、すっごい上手いんっス。俺の彼女なんで手は出さないで下さいっスよ〜?」
畑本さんは、ゲーム機から顔を上げると、本当に小さく「よろしく…」と呟いた。
律さんは、そんな全員を笑顔で見つめると、俺の方をその大きな赤い瞳で見つめてきた。
「さて、昴君。君も、もう一度自己紹介してくれるかい?先ほど私が説明した時に、いなかった子達もいるからね」
「あ、はい」
俺は、少し大きな声で返事をすると、深々と頭を下げながら自己紹介をした。自己紹介なんて、クラス替え以来で久しぶりだ。
「松井昴です。唯一の、血のつながりがあった兄貴が死んで、親戚の家から追い出され、三日間くらい飲まず食わずで、彷徨い歩いていたら、ここにいました」
そうだ。俺、今一文無しだった。
そんな絶望な状況を思い出して、落胆していると、律さんが「ふむ…」と呟きながら、口元に手を当てた。
「お兄さんが亡くなったのか。それは、残念だったね」
「あ、はい…」
「追い出された…。それは災難だったな!坊主!」
「えぁ、まぁ」
律さんは、再び口元に手をやると、すぐにポンッと音を立てて、俺一人を真っ直ぐな瞳で見つめてきた。
「よし!やはり、昴君。うちで、働こう!」
「え?り、律さん…何言って…」
「まぁ、聞きたまえ。昴君。君は今一文無し。ならば、住む場所は疎か食べるものにも困るだろう。だから、うちで住み込みで働けば良いんだよ。丁度良いことに、一部屋、丁度空いているからねぇ」
にっこりと笑う律さん。
卯木君達は、こんな事が何度かあったのか、特に驚く様子もなく、頷いている。
「俺としても嬉しいっス!ここ、女の人ばっかだから、同い年の男が来て欲しいって、思ってたところなんっスよ!!」
嬉しそうに、俺を見つめる卯木君の目を見てしまえば、断れるわけが無かった。
こうして、俺は晴れて(?)喫茶店・ciel bleuの店員になるのだった。