第7話
蒼い空、白い雲。
曇り1つのない美しい快晴の空。
黒雲に包まれていた結界の外とは明確に違う明るい天の下で、2つの人影が激しくぶつかり合う。
「そらそらっ! 何をしてるのさ! ちゃんと攻撃してきなさいっ!」
「無茶苦茶言うなよ!?」
細身で病的なまでに白い女性が容姿にはまったく似合わぬ代物を抱えて、少年――今川暦に襲い掛かる。
全長で5メートルほどの鉄柱、と言うべきだろうか。
強大な鋼鉄の柱に申し訳程度に持ち手部分を付けただけの簡素的な武器。
より言うならば鈍器としか言いようのない業物を御淑やかそうな女性が片手で自在に操り、暦を追い詰めている。
「ほらっ! ほらっ! お得意の玩具は出さないのかい!」
「ババア、お前みたいな奴に効く訳ないだろうが!」
暦の魂からの絶叫に、女性は目を細め、
「仮にも師匠に口の利き方がなってない奴だね。これは、今日もお仕置きさせて貰おうか」
「――やってみろよ!」
僅かに声が震えていたのはこれから起こることを想像したからだろうか。
なけなしの勇気を振り絞って暦は女性を迎え撃つ。
「まずは、機動力を削ぐ!」
大地を駆けようとする女性の足元に暦は地雷原を設置する。
加減など存在していない。
師匠を名乗る女性を彼は一切の遠慮なしに殺すつもりで攻撃していた。
直後、激しい爆発に包まれる女性。
煙が視界を奪うと同時に大量のミサイルを叩き込む。
暦の世界でならば1個人に向ける量ではない火力を休みなく注ぎ込むが、彼の表情は一向に晴れない。
この地にやって来て大凡1ヶ月。
既に目の前の存在が、かつての常識で測れるようなモノでは無いことを知っていたからである。
肌に叩き付けられる殺気を払うために暦は強く叫んだ。
「こんな化け物がいて、何で負けてんだよ! おかしいだろうがッ!」
「――相手も化け物だったからだろう? ほら、今日もあんたの負けだ」
「なっ!?」
自らの攻撃によって視界を奪われている状況で、声が背後から届く。
それが何を意味しているのか。
戦闘に不慣れな男でもそれくらいはわかる。
「……くそっ!」
背後を振り返れば、そこには無傷の女性の姿があり、肩に担いだ鉄柱が暦が詰んでいることを教えてくれた。
「……もう少しは、やれるつもりだったんだけど……本当に人間かよ」
負け惜しみだとわかっていながらも、口は勝手に動いてしまう。
「ま、普通の人間ではないね。こっちは年の功もあるし、あんたは総合的にはそれなりだと思うよ。無謀な挑戦だったけど、評価はしてあげようか」
練習で殺されかけたのに女性の表情には恨みなどはない。
爽やかな微笑みだけが浮かんでおり、声を聞かずにいればその嫋やかさにやられてしまう者もいるだろう。
声や口調は姉御肌であり、彼女の包容力を窺わせる。
ただ1点、彼女が明確に常人と違うところ上げるのならば彼女が持つ気配が問題だった。
病的なまでに白い髪、毛先から中ごろにかけて、根本の水色の髪から色が抜け落ちたかのような色合いになっている。
まるで生気が抜けているかのように感じる頭髪はある種の禍々しさと神聖さが混在していた。
肌からも生気というものが抜け落ちていることを考えると、どうして生きていられるかが不思議でしょうがないのだ。
幽霊が活発に動いているように見えてしまう。
「ぐっ……」
そして、彼女が近くにいるということを認識すると急に身体から活力が失われていく。
直接的に接触したことで何かが感染したかのような感覚。
表情に浮かぶのを堪えようとするが努力の甲斐なくあっさりと相手に伝わってしまう。
「おっと、すまないね。これでどうだい?」
「……もう、大丈夫ですよ。さっきまでに比べればかなり楽です」
やせ我慢だが大丈夫だと伝える。
1ヶ月程度の付き合いだが、これが相手の意思ではないことはわかっているのだ。
礼儀として何でもないように振る舞うべきだと考えていた。
少年のやせ我慢に女性は困ったような微笑を浮かべて、触れないことで優しさを見せる。
「……男だね。そういうのは嫌いじゃないよ。男子たるものは、そうあるべきだと個人的には思うしね」
「別に、そういうのじゃないですよ。それよりも、もうちょっと練習内容を変えてくれませんか。ずっと俺がボコボコにされているだけなんですけど」
否定も肯定もせずに話を流す。
些か強引だとは思いつつも、実際に疑問に思っているところを暦は仮にも師匠である人物にぶつけてみる。
『セレスティア聖王国』――女神の大結界内に残存している最後の国家にやって来てから既に1ヶ月が過ぎようとしていた。
暦の質問に苦笑している女性――『イザベル・ウンターゲイル』に師事するようになってからも同じだけの時間が過ぎている。
四六時中、とまではいかないがセレナを除けば最も接触している女性の性格は僅かながら把握していた。
「いやー、申し訳ないとは思っているよ? でもねー。私、弟子なんて育てたことないし」
明け透けに言われてしまえば暦も反論できない。
申し訳ないと思っているのは事実なのだろうが、それだけなのである。
改善しよう、という意思はあまり見えなかった。
予想通りの答えに暦は大きく溜息を吐く。
「……もう、いいですよ。それよりも体調は大丈夫ですか? 制御が上手く出来ずにポックリと逝かれると相当に困るんでやめてくださいよ」
「心配なんざそれこそ1000年は早いよ。言いたいことはわかるけどね。病を司る者が病に侵されているようじゃあ、ちょっと格好は良くないとは思ってるよ」
イザベルは病を象徴する神格に仕えていたのが彼女である。
より正確に言えば祟り神の系譜に仕えていたと言うべきだろうか。
原初的な病気などに対する畏れから生まれた神が彼女の契約神であり、もはやこの世に残っていない存在の1つでもある。
そして、多くの契約者の例に漏れず彼女も主の属性を受け継ぎ、かつての神の役割を引き継いでいた。
「私の属性はそれこそ神様じゃないとちゃんと制御出来ないからね。漏れ出るやつだけでも常人には猛毒だよ」
「でしょうね。近くにいるだけで気分が悪くなる。神の力がある俺でそれですから」
神ではない身で神の役割を継いだ故に起きた齟齬。
イザベルの身体は後から次々に病を発症し、周囲に撒き散らす。
強力な力を持ち良識も備える彼女が王都に置かれている理由がそれだった。
「ま、そのおかげで暇人をやっていたんだから、あんたはもうちょっと感謝してくれてもいいんだよ?」
「はいはい、わかりましたよ。それよりも今後の予定の方をお願いします」
「……相変わらず、切り替えが早いね。ま、それぐらい図太くないと契約者は務まらないか。そうね。そっちから先にいきますか」
イザベルは呆れたようにも、感心したようにも見える表情を浮かべる。
暦は普通だと思っていることも向こうには凄く見えることがある。
知識として獲得しても暦は異邦人であり、この世界には馴染んでいない。
差異を感じる時は確かにあった。
「エレイン様がいろいろと動いているのは知っているね? あんたの神と会って、危機感でも覚えたんだろうね。四方の将軍を招集する準備を進めているみたいだよ」
「なるほど……。前に聞きましたけど、軍閥化してるんでしたっけ? 派閥抗争、とまではいかなくてもそれなりにエレインさんも苦労しているとか」
「こっちもいろいろとあったからね。私みたいに身軽ならともかく、あの人みたいに責任感があると背負わなくていいものまで背負うものさ」
「まあ、神様がいなくなれば困りますもんね」
暦がこの世界で生活して感じたことと知識から照らし合わせた結果、この世界の文明レベルは全体的にはよくある中世ヨーロッパと大差がないことがわかっている。
同時に暦の知る現代日本を凌駕する部分もあったりとするため一概に纏めることは出来ないのだが、中々に面倒臭いところもであった。
神という超越存在とそれに匹敵する人間がいるため一部だけ突出しているのだ。
以前の常識をそのままで動くのは危ないと感じるほどに繊細なバランスで世界は維持されている。
「なんとも、他人事みだいだね。あんたは困らないのかい? 話に聞いている限りでは最初からいないみたいなものらしいけど」
「実際、他人事ですよ。ま、外様だからこそわかることもあります。こっちからすれば此処は危なく見えますよ。契約者が危険すぎるでしょう」
「言いたいことはわかるよ。神という巨大な力はいろいろとあるからね。セレスティア様の加護の下、繁栄を極めた。まあ、嘘じゃないけど真実でもないよ」
「だから困ってるんですよ。魔獣との戦いも思ったよりも面倒くさそうですし……。はぁ、分不相応な責任ですよ」
1ヶ月は慣れるには短い時間だが、把握するには十分な時間でもある。
自分のやるべき目標、其処に至るための手段は見えてきていた。
しかし、そのためにはまだ暦には諸々の力が足りない。
「まあ、頑張りなさいな。さっきの話の続きだが、将軍たちの招集はほぼ決まりだよ。そこで全体の戦略も決まるだろうさ。だから――お前さんもいろいろとやるといいよ」
「ありがとうございます。……師匠が味方してくれたら楽なんですけどね」
「私に下手な隠し事をしなかったのは褒めてやるけど、それは出来ないよ。私もいろいろと柵があるからね。とりあえずは本業に集中させてもらうさ。何、死にそうになったら助けてやるから、最後まで足掻きなさいな」
師匠のありがたく頼もしい言葉に暦は力なく笑みを浮かべ、
「鋭意努力をしますよ」
と回答を濁すのであった。
戦場で弾を放つよりも遥かに難しい戦い。
憎らしいほどに青い空が暦を見下ろしていた。
「で、頑張りますとは言ってもな」
王城を歩きながら、暦は情報を整理するために意図的に思考を口から垂れ流す。
わざわざ外に出て行うのは、盗聴を警戒したためである。
結界内に入ってから誰かが見ているような気配が消えないのだ。
自室とはいえ自分の領域ではない以上、安心するつもりはなかった。
「まったく、なんでこんな面倒臭いんだよ……」
暦が大結界内、セレスティア聖王国に来てからやってきたことはそれほど多くない。
幾度か本当に顔を合わせた程度で会話もほとんどなかったが、エレインと話をしてからはイザベルに預けられて修行の日々だった。
自由時間はあるため、その間は知識と現実の摺り合わせに時間を使っていた。
それが1ヶ月の行動パターン。
情報化社会の現代日本ならばともかく多くの技術は未発達のこの世界では自分で動くことでしか情報が手に入らないのだ。
おまけに最大の協力者になるはずのものが何やら怪しい動きをしているため、無駄に時間が掛かっていた。
「あのエレインとか言う女、意図的に俺を世間と断絶しているしな」
温和で暖かい笑みを浮かべる女だったが、それだけの女が社会体勢が完全に崩壊したかつての聖王国を立て直すなど不可能だろう。
しかも現在の聖王国はかつての敵対国家なども内部に含んでいるのだ。
奇跡的なバランスで保たせているが魔獣以外にもそこら辺に爆弾は埋まっている。
「女神の下に。最終的にそうなったのは事実だが、やっぱり裏があったな」
セレナから貰った知識では完全無欠の楽園のような印象が強かったが、実態としてはそこまでのものではない。
確かに人は満たされていたし、外敵は魔獣がやってくるまでは皆無に近かった。
しかし、最も身近な敵は直ぐ傍に存在していたのだ。
つまるところ、同じ神同士の争いが大昔には確かに存在していたのである。
「魔獣が最初に舞い降りたのは帝都。聖王国のライバルだった国の本拠地。守護神は天空神……」
セレスティアは大地、つまるところは大地母神である。
対する帝国は天空神。
所謂父神、というところであろうか。
戦において圧倒的な力を誇る男の神である。
「直接的な戦闘は少なかったが……主導権争いはあったんだろうな」
セレスティアは末期には星と一体化するほどの信仰を獲得していた。
彼女が齎す繁栄は平和の中で力を発揮し、戦における強さがメインだった天空神は微妙に劣勢だったのだ。
神対神の戦いが落ち着き、時代が安定に向かっていたことも大きいだろう。
魔獣襲来時はまだ拮抗した状態だったが、そう遠くない内に力には大きな差が生まれていたはずである。
「しかし、魔獣の登場で全てはご破算。先に帝国、つまりは天空神陣営は崩壊。契約者は残存しているが、まあ、国はなくなってるからな。どうにも出来んだろうさ」
中立や別の少数派などを含めて結果的に寛容なセレスティア陣営が相手を吸収することで今のような形になった。
かつての時を生きた契約者たちはその時の構図を未だに引き摺っているのだ。
「っ、詰みゲーすぎるだろう……。あの女は気に入らないけど、同情はするわ。俺だったらこんな勢力を率いたくない」
結果、団結はしているし魔獣は敵だが指揮系統などが入り混じった複雑な勢力図が生まれる。
主導権争い。
ここまでくれば何が起こっているかなど簡単に想像が出来る。
「主な勢力は5つ、か」
1つ目はエレインを核とした聖王国の契約者たち。
神を失っているのは同じだが民を率いて信仰を獲得した結果、この結界内における神となったものたちである。
2つ目は旧帝国の契約者たち。
こちらは大本がやられている上に元々の民も少ないため、影響力は低いが元々が武力に特化した集団である。
魔獣との最大の激戦地である北を預かる者がこの派閥最大の実力者であり、暦を助けたディオンもこの派閥に所属している。
武闘派集団であり、現在の聖王国でも最大級の武装勢力だった。
「方針に明確な対立があるのはここの2つ。まあ、どっちも契約者だからお互いに遣り合うようなことはないが……」
仲が良い訳ではないが同時に悪い訳でもなかった。
慎重に事を進めるエレインを疎ましく思うような気配はあるらしいが排除するほどでもないため、内部での主導権争いのみが行われている。
この派閥はどちらも魔獣撲滅で意見が一致しているのも大きいだろう。
問題は残りの派閥となる。
「中立派、というか師匠も含めた日和見主義軍団か……」
3つ目、数だけは多い最大の派閥である。
かつての世界において神はセレスティアか天空神の派閥の所属しているのが基本となっていた。
しかし、当然ながら全員が両者に心服していた訳ではない。
そういった雑多な意思が入り混じった結果、現在のような混沌とした集団が生まれた。
中立派と言っても様々であり独自に動く者も多くハッキリと言えば思惑が見えない集団でもある。
「雑多な勢力、カテゴリ分けはしているけど仲間じゃない、と」
日和見、というか積極的に動くつもりがない者、思惑が見えない者なども含めてここに明確な色を付けるのは不可能である。
下手に突っ込むのも危険という劇物集団であった。
現在の聖王国派と旧帝国派のどちらにも属してないだけの集団とも言えるだろう。
この派閥に属しているとされるもので強大で有名なものたは西方を預かっている契約者となる。
「うんで、ここまでがメイン。後はおまけというか、面倒臭いというか」
集められた情報から判断出来るのは、この3つの集団が最大勢力ということだった。
問題は、イザベルから聞いた残りの2つの派閥である。
4つ目の派閥、俗に言う貴族派閥だった。
「この世界において、権力者とは神であり、貴族はあくまでも代行の立場に過ぎない。ぶっちゃけるとそんなに地位が高くない」
この世界における階級上位は明確に神の関係者で埋まっている。
貴族たちは所詮は実務担当者であり、中間管理職相当なのだが、だからこそ話が拗れているのだ。
「大半の貴族は土地がなくほぼ官僚化している。実務はこいつらなんだが……」
領主貴族ではなく法衣貴族が大半であり、国に帰属している彼ら貴族はほぼ全てが文官となっている。
「早い話が軍閥化している契約者たちとの間で意見が拗れてるんだよなー。そりゃあ、エレインさんが王都から動けないわ」
残存貴族は聖王国を正しく動かしてきた矜持がある。
その想いからエレインたちなどと対立することがそれなりに存在していた。
後は彼らが人間であることも大きいだろう。
神ならばともかく元人間である契約者たちに無条件で頭を垂れるつもりがないのだ。
もっとも、エレイン個人は崇拝している者が多いのでそこまで問題になっていない。
「うんで、ラストが王族閥と。ここはここで入り組んでるよなー……」
この世界における王族の始まりは早い話が巫女である。
神の代行者、契約者が生まれる以前の時代に神々に愛された者たちの末裔だった。
彼らの特徴は神との親和性の高さである。
混血、もしくはより直接的な形で神と交配したことで何らかの特殊な力を発現している例が非常に多い。
壊滅した帝国はともかくとして、それ以外の友好国の王族は避難してきているのだ。
彼ら王族閥と呼ぶべきものたちもいろいろと動きを見せている。
幸いなのは最大勢力である聖王国の王族がエレインの味方であることだろうか。
「……どこもかしこも、キナ臭い。はぁぁ……どこから手を付けるかなー」
地雷しか見えない対人関係を掻い潜る必要性が高い。
暦は空を見上げ、前途の厳しさに瞳を潤ませるのだった。