第6話
「申し訳ありません、ディオン様はその……なんというか、試す、ということが大好きな方ですので」
「気にしないでください。いい経験だと思ってますよ。少々、背伸びをし過ぎた自覚はありますから」
「ありがとうございます。そのように言っていただけると幸いです」
天幕から出た暦とアルベルトは和やかな雰囲気で会話を進めていた。
周囲は慌ただしく野営の準備を整えており、どれだけ急いで此処に展開したのかを簡単に察することが出来る。
アルベルトと会話しながら、周囲の観察も続けていく。
「おや、何か気になりますか? それほど物珍しいとは思いませんのですが」
言葉を素直に受け取ればこちらを心配してくれているのだろうが、敵ではないが味方でもない者の言葉を素直に受け取る訳にはいかなかった。
「はて、何のことかわかりませんが、まあ、いろいろと警戒しているだけですよ」
「……正直な方ですね。それぐらいの方が契約者としては良いのかもしませんが」
「それほど大層なことじゃないですしね。そちらも別に俺を何がなんでも殺したい訳じゃないでしょうし、それなりの計算はありますよ」
アルベルトの問いに暦は素直な答えを返す。
無能と思われる訳にもいかないが、かといって脅威などと判断される訳にもいかないのだ。
滅亡の淵だから一致団結している、などということを信じるほど暦は子どもではない。
敵に対抗する手段なども異なる以上、必ずどこかで隙間はあるのだ。
その中で主導権を発揮するには、諸々の力などが必要になる。
「警戒、というのも本当は少し違うんですよ。簡単に言うなら、目的は同じでも手段や許容範囲などまで一緒かはわからないので」
「なるほど、ご自分の意思を貫く。ようは意見を通せるかを見ていた、ということですか」
暦が漏らした少しの言葉で明確に意図を察してくる。
外見に違わず頭の回転は速いようだった。
戦力的にはそこまで大した人物ではないようだが、戦いとは何も戦場で暴れることだけではない。
戦いの常道は結果を決める前に全てを確定させておくことなのだ。
準備が良い方が勝つのが戦争というものである。
暦がこうまで内部の情報に気を尖らせているのも、戦いにおいて必須のものが足りていないからなのだ。
それは、
「俺の知っている情報、ここに押し込められるまでなので」
「ほう。……確かに、それならば仕方ないですね」
敗北の経験、ボロ負けしていた姿しか知らないと告げられて、アルベルトも暦の態度に理解を示した。
彼も軍学校で歴史を学ぶまでは似たような経験があったからだ。
頭が回る者ほど、どうしようもない状況をなんとかしたいと思う。
「では、今望まれているのは」
「認識の摺り合わせ、ですね。何を提案するにしても、知識が一致していないと話にならない」
「その通りですね。では、私の方から情報を提供させていただきましょう。そちらの方がいろいろと早そうです」
「お願いします」
ディオンの天幕から少しだけ離れた場所にアルベルトの天幕は設置されていた。
急ぎであってもそれなりの準備をしている辺りに、今回のことは緊急ではあったが予想外ではなかったのが窺える。
「お座りください」
「ありがとうございます」
勧められた椅子に腰を掛けると、暦はアルベルトと向かい合う形になる。
「さて、まずは改めて名乗らせていただきます。アルベルト・ロットスタイン。ディオン様の副官を務めさせていただいております」
「どうも、今川暦です。よろしくお願いします」
「ええ、よろしくお願いします。では、情報提供させていただきましょうか。――我々、聖王国について」
アルベルトの言葉に暦も背筋を伸ばす。
確かに考えてみれば不思議な部分は多かったのだ。
魔獣と実際に戦った故に出てきた齟齬、つまりは自分よりも強かった者が多数いたであろう世界があっさりと負けてしまった理由について、セレナというフィルターを通した情報しか持ち得ない暦では正確に考察出来ない。
「とはいえ、そこまで語ることは多くないです。そうですね、地理的なものの説明は王都に着いてから方がよいでしょうし、軍隊らしく戦力について、などをお話しましょうか」
「お願いします。先ほどの見て少々疑問があるので」
「ああ、それはそうですよね。あっさりと敵を倒しているのに、何故と思うのが普通だと思います。では、そこからお話しましょうか」
アルベルトは少しだけ間を置き、
「一言で申すならば、結界が生まれるまでは奇襲によって負けたというのが大きいです」
と、確信部分から語るのであった。
「魔獣は確かに強いですし、数も圧倒的です。しかし、それはこちらにも適用される話でした」
アルベルトは語り部としても中々に優れていた。
涼やかな声は耳心地がいいし、要点を簡潔に話してくれるのは、長々と話されるよりはずっと良かった。
暦は黙ってアルベルトの言葉を聞きながら、自分の中に纏めていく。
ある日いきなり天から現れた魔獣の軍団。
そして、そのままずるずると戦ってしまったことが、そのまま敗因となってしまった。
彼が言おうとしていることはいろいろとあったが、ようはそういうことなのだ。
「民、というか非戦闘員の存在もですか」
「着眼点がいいですね。ええ、神が善良だからこそ味方を敵ごと吹き飛ばせなかったのが、痛いですね。向こうは1匹でも侵入すればよい。魔獣は中々に優秀な存在ですよ」
「武器として、ということですか」
「契約者の方々は強いですが、ディオン様を筆頭に武人ですので。あの方たちは昔の時代の人ですからね」
大地の女神が命と引き換えの結界を張ることになったのもただ追い詰められたから、という訳ではなさそうである。
アルベルトから聞いた結界内部からの視点で暦はそのように判断した。
「質問があるのならば、いくらでもどうぞ」
「では、遠慮なく」
相手の言葉に従い、聞きたいことをピックアップして言葉にしていく。
その時、自分の手元にノートがないことを思い出した。
「……いらん時はきちんとあるのに、必要な時にはないのか」
「どうかされましたか?」
「いえ、ただの感傷です。すいません」
気を取り直して暦はアルベルトの方に向き直り、質問を再開するのだった。
『……なるほど、それでは大筋の問題はない。そう判断して、よろしいですか?』
「うむ。……あなたには少々、お辛いかもしれないですが」
『私個人の感傷についてはこの際はどうでもいいですよ。……しかし、長く生きるとこういうこともありますか』
セレナを退室させて1人となった天幕でディオンは聖王国最強の女性と念話を行っていた。
現在、この国にはセレナを除いて神は残っていない。
残存している超越者たちはその全てがかつての神の役割を受け継いだ契約者だけである。
彼らは元々独立性が強く個々の神以外にはあまり従わなかった存在ばかりだった。
大異変以降、それなりに協調しているが組織という観点ではまだまだ繋がりが弱い。
そんな彼らが曲りなりにも纏まっているのは、頂点たる者に権威と力があったからである。
最年長にして、最強たる契約者、エレイン・ラインフォールド。
四方を守る将軍の1人であるディオンの直轄上司でもある存在だった。
「凶事から遠いですが、警戒は必要でしょう。各地への伝達はお願いします」
『あなただと、同格故に舐められますか』
「彼奴等も独自の考えがあります故に。激突まではいきませんが、聖王国を器に各国の残骸が集まっている状態ですので纏まりに欠けるのは致し方ないでしょう」
『貴族たちも少々、騒がしいですからね。外敵が健在ですので、排除などまではいきませんが、こちらの権力を制限しようとはするでしょうね』
「新たなる神、とその契約者。これらがどちらも揃っていることの意味、わからぬような者はおりませんでしょう。切り札として申し分ない」
暦とセレナは望む望まずと関係なしに騒乱の中心となる。
神が統治し、神に導かれた世界で存在感が多少は薄くなっていようと、持っていた意味には何も変化はないのだ。
セレナはまさしくジョーカーであり、それを制御できる暦もまた同時に劇物であるのに疑いようはない。
既存の社会体勢を破壊するだけの力はある。
『……セレスティア――いえ、セレナセレスティアの契約者はどのような人間でしょうか?』
「器用、ですな。今のところの印象は」
『器用? それは、なんとも評価に困りますね。人格なども含めての評価なのでしょう?』
「ええ、邪悪にあらず、されど善良にもあらず。まあ、人間という表現がぴったりですな」
『それは……。珍しいことですね。神との契約で、元々持っていた性質は強化されます。だからこそ、振り切れる者が多い』
契約者の精神・物質の両面から変化を促すのが神という存在である。
元が善良の傾向ならば聖人に、悪党ならば邪悪にといった具合に振り切れてしまうのが常だった。
かつて、それこそ初代セレスティアが誕生したころはまだまだ神も多様であり、契約した人間の中には悪なる存在もいたからだ。
そういった神との闘争を勝ち抜き、時代を長く安定させたからこそ女神は信仰されたのである。
「警戒は続けますが……。個人的には今後は面白いことになる思いますな」
『あなたの目を信頼していますよ。では、こちらも受け入れの準備を進めましょう。何をするにしても、力は必要でしょうから』
「教師役は誰の予定で?」
『私が、と言いたいのですが、忙しくなりそうですし、少々伝手をあたってみますよ。普段は楽をしているのですから、こういう時には手伝って貰わないと』
契約者の全てが世のため、人のために努力をしている――という訳ではない。
むしろ、大本の神を失った彼らの中にはいろいろなタイプのものが存在していた。
魔獣を恐れる者、戦いで心が折れてしまった者、神を亡くしたせいで無気力となった者などもいるのだ。
権力や義務など嫌い身軽な者となったものもいる。
とはいえ、完全に社会から縁を断つことも生きている以上は難しい。
基本的に他者に強制はしないエレインだが、伊達に最年長ではないのだ。
在野の人材を一時的に教師役としてひっぱり出す程度はやってのける。
「協力的なものは既に仕事がありますからな。新人教育など久方ぶりですし、釣れる者もおりますか。」
『ええ、それに暇なものの方が四六時中特訓に付き合えますしね。私もある程度は顔出しする予定ですが、専属の者は必要でしょう』
「こちらもリストを作りましょう。彼との縁は繋いでおいて損はないと感じますので」
『ありがとう。それでは、これから謁見があるので失礼しますね』
「はい、後はよろしくお願いします」
何かが切れる感覚と共に念話は終了する。
能力の多様さにおいて他者の追随を許さない『大地の継承者』エレイン・ラインフォールド。
こういった小技も彼女の物であり、戦闘特化のディオンには出来ない芸当であった。
「さて、あの若人はどのような力を発現するのかの」
契約者が発現する力は契約した神に引き摺られる傾向が強い。
エレインの場合は、元々は大地を司る母神だったセレスティアが他の神を従える過程で全能性を獲得したからこその万能さだった。
逆にディオンの場合は『雷』という言葉のイメージ通りに攻勢に特化している。
エレインは非常に稀有な例であるため、参考にはならないが万が一、ということはあり得る話であろう。
何せ、今川暦とセレナの両名はかつてない状況で生まれた存在なのだ。
例外の1つや2つは普通にあり得る話だった。
「何はともあれ、これは始まりに過ぎないか。ここからが、本番じゃのう。まったく、年寄りには些か以上に厳しい日々が始まりそうじゃ」
言葉の割には、ディオンの表情は緩んでいた。
彼が契約した神は『雷』を司り、天空神にまで至り最後までセレスティアと覇を競った存在である。
平穏な世を乱すことはしないが、根本の部分が武の気質で固まっていた。
来る戦乱の空気を感じて、魂が喜んでいるのだ。
「ほっほっほっ、賑やかな日々になりそうじゃわい」
序章は終わりを告げて、舞台は聖王国に移る。
今川暦とセレナの2人がこの世界で生きるための日々が始まるのだった。
自らに割り当てられた天幕の中。
用意された簡易的な寝台に横になりながら、暦はこれからの事について考えていた。
「地理的な事情は把握した。後は濁された派閥関係なども知りたいところなんだが……」
アルベルトとの会話により表面的な知識の交換は無事に済んだ。
しかし、それだけでは暦の知りたい情報には遠い。
派閥、後は実質的な権力機構などについての情報が手に入っていないのだ。
「軍隊の階級なども少し違うみたいだしな……。うーん、思ったよりも面倒臭いかな」
契約者たちが思ったよりも強いのが誤算と言えば誤算だったが、その辺りは予想外でもなかった。
仮にも神と契約した人間などと言うのが弱かったら笑えない。
「ま、何事も急ぐのはよくないよな。……俺も、意外とテンパってたみたいだし」
暦の戦いはまだ始まってすらいない。
生きるということを、誰かと接することだと定義するならば、暦とセレナはこれからこの世界で生きるのだ。
赤子もいいところの身分で全てを望むことが間違っているだろう。
「まずは、俺自身の力の把握。敵の把握。そして――」
法による加護は同じ認識の下でこそ機能する。
交渉の席に付くつもりもない獣相手に意思を押し通すには力が必要だった。
暦の世界で学歴などが力だったように、ここではもっと純粋な力が評価される。
王都に着いてからやるべきことは大量に存在していた。
「――戦力の底上げ、だな。ファンタジーな世界で神と契約しただけの奴が超人。これはちょっと詰まらないしな。その後に、あの魔獣どもに対する対策をしないと」
ささやかな野望を胸に暦は明日からの日々に想いを馳せる。
道のりは険しく、終着点も見えないが彼の戦いも次のステージへと移り変わったのだ。
「セレナの方も、俺自身も問題は山積みだね」
――だからこそ、遣り甲斐がある。
自己を試せる環境に僅かな喜びと同等の苛立ちを感じながら、暦の激動の日々は一旦幕を降ろすのだった。
次なる舞台はセレスティア聖王国王都『セレスティア』。
かの地で暦は、先代の関係者たちと出会うことになる。
それがどのようなものを齎すのか、それは神さえも知らないことだった。
序章終了です。
次から第1章となり、舞台は結界内に移ります。
あらすじに書いた通りここで一旦区切りとなります。
詳しい再開時期などは活動報告でご報告しますでのそちらをご覧ください。