第2話
目を覚ますのと同時に感じたのは両極端な感覚である。
朦朧とする頭と物凄い脱力感、そして何でも出来そうな万能感。
矛盾する感覚に揺れ動きながらも、意識がハッキリとし出したことで暦は直前に起きた出来事について思い出した。
「って、寝てる場合じゃない! 俺のファーストキス! じゃない、セレナは!?」
慌てて飛び起きるが、周囲に人の気配はない。
見渡してみるが、近くにはいそうになかった。
跳ね起きたため、身体からずれ落ちた毛布を抱えなおそうとして、自分の手に持っているものに疑問を抱く・
「毛布? ……え、どこから? いや、その前にもうちょっと落ち着けよ。見知らぬ場所で闇雲に動く訳にもいかないだろうが」
予想外のものを目撃したことで冷静さも戻ってくる。
改めて自身の状態を確認して、暦はここにあるには不適切なものが自分の周囲に散逸していることに気付いた。
毛布、同時に暦が寝転がっている部分にも体を痛めないようにだろう、マットのようなものが敷いてある。
暦は先ほどまで意識を失っていたのだから、これらを準備した人物は必然として1人だけしかいない。
「セレナ……。どこに行ったんだ? 最後のあれから考えれば、此処に俺を呼んだのも彼女、だよな?」
直前までは人形のようだったのに、今は気遣いまで示すほどの人間味を感じる。
まるで何かから学習したかのような急速な成長だった。
おそらくは人間ではないだろうことを加味しても違いがあり過ぎる。
「……もしかして、いや、ちょっと待て。なんでこんなに頭が回る?」
1つのことに疑問を抱けば次から次へと疑問が湧いて出る。
同時にそれを捌けることがさらに違和感を強くしていた。
暦は機転が悪くはなかったが、このような状況で万全以上のスペックを発揮出来る男ではなかった。
そのことを誰よりも理解しているが故に、今の自分の能力に違和感を抱くのだ。
「……いろいろと面倒臭そうだな。はぁ、平穏は遠くにいったな」
湧き出る悩み、ここから先への不安。
やるべきこと、やらないといけないことは大量に存在している。
大きく溜息を吐いて、一旦気分を入れ替え、
「とりあえず、セレナを探すか。まずは――」
そこからだろう、と心の中で決意の言葉を出す。
しかし、そんな暦の決意はなんとも意外な場所から発せられた言葉により止められることになる。
彼が毛布を畳んで纏めようと動き出した時、その声が彼の『内側』から響くのだった。
『ん? 暦、どこに行くの?』
「……はぁ……え、いや、おいおい、『念話』? いや、『同化』? というか、なんでそんなこと知ってるのさ、俺。え、『契約』? 待て待て待て、落ち着け、落ち着くんだ!」
頭の中から、正確には内側から響く声に耳を傾けた時に異変は起こった。
聞いたこともないはずのことが次々と内部から湧き上がってくるのだ。
突然の情報本流が物理的に頭を痛めつける。
『暦? ……あっ、そうか。ん、これでどうかな?』
何をしたのかはわからないが、ぶつぶつとセレナが呟くと頭の痛みが止まる。
「へ、あ、ありがとう」
『えへへ、いいよ、暦は私の契約者だからね。これぐらいは当然だよ』
「お、おう。そうか、それならいいんだが」
暦の頭をしこたま痛めつけた情報の嵐だったが、良い事もこの場面では存在していた。
自分が此処に呼ばれた目的、セレナはどこにいるのか。
さらに言えばこれから何をしないといけないのか、そういったこの森に突然連れて来られてからの諸々の疑問が解決したからだ。
「……なるほど、俺は女神に選ばれた伝説の勇者なのか。……ないな、うん。どう考えても俺は勇者って柄じゃないだろう」
『暦? まだ痛いの?』
「え、いや、違うよ。ちょっと、考え事をしてただけだ」
『そうなんだ! あっ、わかったよ。1人で考え事がしたいんだね。じゃあ、私は少し眠ってるね! 何かあったら、起こしてね』
「ああ……うん、ありがとさん」
全てを理解した、したからこそ切実に時間を欲している。
そんな相方の内心を理解した、文字通り同体の女神は朗らかに心の海に沈んでいく。
嫌な感じはまったくしていないのだが、子どもに嘘を吐いたような感じのせいで良心が微妙に痛かった。
「ま、まあ、結果オーライ、ということにしておこう」
求めていた時間は出来たのだ。
やるべきこと、やらないといけないことを纏めることは必要だった。
畳んだマットに座り、暦は思考を開始する。
ここが敵中であり、安全な時間はそれほど残っていない。
生き残るために何をすべきを含めて、『これから』について暦は真剣に考えるのだった。
この世界に暦を召喚したのは、セレナであり、彼女の目的は世界救済。
端的に表現するのならば、暦が得た情報とはそういうものだった。
その目的を阻む障害、異界からの侵略者『魔獣』。
他にもセレナと暦の関係や、そもそもセレナが何なのかなど、この状況を変えるために暦が欲しがっていたものは全て手に入った。
全て手に入ったからこそ、暦が早急に手を打たないといけないのはたった1つ。
どうやって、この後を生き抜くのか、ということである。
「世界を救うのはどうするのか、というのはともかくとして……この後が非常にマズイ」
情報も完璧ではない部分が多く、全面的に信じるのは心もとないところが少しずつ見受けられる。
「敵のデータはあるにはあるが、これってもしかしなくても負けた方の記録だよな。……大丈夫か?」
考えれば考えるほどに不安は募るが、それを脇に置き本題に思考を戻す。
「この世界の名前はファールベルト。うんで、ここが仮称女神の森。少し離れたところ、って言っても空を飛んで5時間ぐらいのところに人間がいる場所――大結界がある、と」
距離の基準となる部分が今一よくわからないのがネックだが、大凡向かうべき場所は感覚で掴んでいた。
問題はそこそこの距離がある、ということである。
「結界の中がこっちの領域で、残りは全部敵のもの。なるほど、わかりやすいシチュエーションだな。つまるところ、俺は援軍なのに敵中に孤立してる訳だ。1発逆転の切り札になるかもしれないものを抱えてな」
仮にこの森を空から見れば暦にとって愉快な光景が待っているのだろう。
現在、大結界ほどではないが魔獣の侵入を阻む結界が女神の森半径1キロ程度を囲んでいる。
当然のことながら大結界以外は魔獣の領域のため、よく考えなくても全てを敵に囲まれていることがわかってしまう。
さらに非常に厄介なことだが、問題はまだ終わりではないのだ。
「そして、この結界のタイムリミットが明日の夜明け、と。ふむ、っていやいや、余裕無さ過ぎだろうがっ!」
ツッコミを入れつつ、現実的な妥協点を探るべく少し意識を遠くに伸ばしてみる。
いろいろと上昇した感覚は期待通りに結界付近の動きをなんとなくが彼に伝えてくれた。
結界の傍には直視したくないような数の魔獣が屯している。
「……俺の勘が外れてなければだが、こいつら結界消えたら同時にやってくるよな。なるほど、最初にやるべきことは決まったな」
結論は出た。
暦がやるべきことは、この状況を乗り越えるための力を手に入れること。
セレナとの関係や、ここに呼ばれたことに対する感想などいろいろと思うところはあったが、全ては生存してからの話である。
知識にある限り神と名乗る者たちを殺戮した獣は決して弱くない。
「セレナの情報だけじゃ、どうして勝てなかったのかもわからんしな。とりあえずは、自分の性能を確かめるとしましょうか。――人間は割とやめているみたいだしな」
自分に対する違和感を含めて、セレナに思うところはあった。
それでも、暦はその全てを飲み込んだ。
もしかしたら、その飲み込んだ決断すらも彼女との『契約』の影響かもしれない。
しかし、それら全てを脇に捨て去る。
ヒーローをやって欲しい、と遠い世界の女神が他の誰でもない『今川暦』に頼んだのだ。
何故という疑問など、必要ないだろう。
「男の子は皆、ヒーローは好きだしな」
柄ではないが求められているのならばやることに否はなかった。
何より、暦は彼だけではなく女神の命も背負うことになっている。
なんとか、幼い女神を生かすためにも必死に思考を巡らせた。
「……時間は有限だ。上手く使わないとな」
不安はあるが、力を振るうことへの喜びもまた強い。
この天秤がどちらに傾けばよいのか、暦はよくわかっていた。
何もかも変わってしまっても、この割り切りの良さは自分らしさだと誇ることが出来る。
1つだけ誇れるものと、後は応援してくれる女でもいれば男は案外なんとかなると思っているのだ。
状況はピッタリと合致していた。
後は実践するだけである。
「まずは、おさらいだな」
この世界を生き抜く上で忘れてはならないこと、暦の世界との最大の相違点は言うまでもないだろう。
女神――神を名乗る超越者が実際に存在していることである。
本当に世界を生み出した存在なのか、などという疑問はともかくとして彼・あるいは彼女が恐ろしく強い存在であることはその1人と契約したことで身に染みていた。
そんな彼らの強さを支えるもの、それこそが今後の戦いにおいて鍵となる。
敵――魔獣はその神の強さの源が絶対ではなかったからこそ、この世界における勝者となったのだ。
ここから生きて脱出しようと思った時に避けてはいけない話題だった。
「法則……つまりは、ルール。それを支配する故に、神」
女神から託された知識の中には、この世界の文字などの日常の知識は当然ながら、世界を救うための力――武力についてもしっかりと存在していた。
「この世界では、ルールを改変することで敵と争っていた。でも、敵には直接的な改変が通用しなかった。ふむ、負けた理由とかはなんとなく想像が付くな」
暦の世界において戦いとは物理的なものだった。
剣、弓、槍、銃などの武器の類くらいは知識と彼も持っている。
当然、この世界でもそれらの武器は存在していた。
存在していたが、メインのものではない。
暦の世界により効率の良い武器に主流が移り変わったのと似たような理由で、ファールベルトでは『法則』こそが最良の武器だった。
ただし、神やその契約者限定、という注釈がある。
「法則、ね。なんとも抽象的で扱いずらいことだ。……何、死ねって書けば相手は死ぬの? 呪文を唱えて奇跡を起こす方がわかりやすいんだけど……」
暦としては最強の聖剣でも与えられて、これで魔王と戦ってほしいと言われた方が楽だった。
法則、ルール、秩序、言い方はなんでもいいがそんな目に見えないものを駆使して戦っています、と言われても暦は理解できない。
自分が願ったことがなんでも実現できる、という素敵な力ならば文句はないのだが、思った以上にこの世界は面倒臭いということが判明しただけである。
何故ならば神にも限界はあったからだ。
「それなりに解釈するならば、限定的な相手側への命令ってところか。ポイントを消費して行う、お手軽な奇跡ってやつだ」
戦い方の知識と力は与えられているが、その実、暦が知っていることはこれぐらいしかなかった。
この辺りにこの世界が敗退した理由が見えてくる。
早い話、神という絶対者に従属していた世界では戦い方すらも進化していないのだ。
神の振るう奇跡や、その使徒の力を解釈するなど烏滸がましい。
逆に神の側や、暦の同類たる契約者も工夫しないと勝てないような敵がいないのだから効率的な戦い方を研究しようとは思わないだろう。
必要は発明の母、という言葉があるがそれは真理だった。
セレナが何を思って暦を召喚したのかは今でもわからないが、やるべきことは結構ありそうである。
「となると、大事なのは認識かな」
原理をわかりやすい形に落とし込んだならば、次は整理することが重要である。
法則、と一言で表現しているが、おそらく難易度があるのは容易く予想が付いた。
暦が習得すべきこと、その第1歩が見えてきた。
「精神力的なもので、ルールを改変する。ただし、世界には元に戻る作用が存在しているため、長期に大きく変えるのはそれなりの代償がある。まあ、わかりやすいと言えばわかりやすいな。神ごとの得意分野とかもあったんだろうし」
暦がセレナから貰った知識の中には風の神と契約した者が、自在に風を操った、というものがある。
理屈としては不思議ではないが、法則を改変、という謳い文句の割には妙にショボイ感じの能力でもあった。
暦がルールを自在に決められるのならば『敵は即死する』なり、もっと即効性の高いルールを選択する。
そうなってはいない、ということは対抗するための方法や不発となっている理由があるのだ。
名前に反して、その全能性はそこまで高くないことが簡単に読み取れる。
風の神と契約して、風を操るルールを手に入れた。
別におかしくはないが、法則を操るのならばもうちょっとやりようがあるはずなのだ。
「相手にも影響するようなものは、抵抗にあって効果が下がる。永続的に世界を書き換えるようなものを厳しい。……逆に言えば、自分に関するものは融通が利きそうだな」
やるべきことは見えた。
タイムリミットは日の出まで、沈む太陽の姿も見えない暗黒の雲を見上げて暦はこの世界で初めての弱音を漏らす。
「……なんとかなるか。やってみないとわからない、っていうのもあれだな」
流されている。
どうにもならない大河を前に諦めるのは悪いことではない。
それでもなんとも言えない気分となるのは、人が繋がれることを好みながら、同時に反抗するのも大好きな生き物だからだろうか。
「我が女神が立派な淑女に育ってくれることを祈って――命を賭ける。まあ、上等だろうさ」
不本意な部分はあれど、女の子を置いていくつもりはなかった。
どれほど強大な力があろうとも、彼女はまだ赤子なのだ。
善悪の区別などつくはずもない。
世界を救うために生まれた女神が、そのために勇者を求めても誰も責められないだろう。
人が自分の生まれた意味を探す生き物ならば、神とは生まれた意味を貫く生き物である。
「人の信仰などを核にして、意思を持って生まれた存在が『神』。彼女は、先代の大地の女神と結界の中の救済への祈りが合わさって生まれた2代目。でも、この世界には変な生き物もいるから、そのせいできちんと誕生出来なかった」
きっと彼女はこれから大変な経験を積む。
勘に過ぎないが、なんとなくの予感があった。
神であるが、司るものを持たない『未完成』の神様。
だから成長もするし、変化もする。
それはきっと良いことばかりではないだろう。
人ならぬ身で彼女は人の感性を得てしまうのだ。
その責任の一端は暦にあると、彼女との繋がりからわかっていた。
「……ここで戦う。それだけはきっと、俺が決めたことだ。だから、やり通すさ。見捨てるとかは恰好悪いしな」
準備不足の救世主でもなんとかしないといけないのだ。
変身ヒーローが変身のやり方も理解していない内に相手は殺しにやって来る。
それならば、変身しないでも相手を倒せばいい。
この世界の生き物ではない、暦も魔獣たちと同じステージにいるのだ。
「相手は世界を侵す獣。こっちはちょっと狡賢い学生とおませな女神様。――いいじゃないか、これぐらいの方が遣り甲斐があるさ」
口元を不敵に歪めて、決戦まで只管に思考を続ける。
明日は今までの人生の中で最も刺激的な夜明けになるだろう。
期待と不安、両立する感情を抑えて暦は未来を見据えるのだった。
自らの契約者の内なる闘いを、女神は彼の中で見つめる。
彼女が彼をこの地に招いた理由、それは彼女にもわかっていない。
女神の持つ理解不能の感覚が、それこそが勝利のカギにとなると判断して、わざわざ何も関わりのない遥かな世界から暦を呼び寄せたのだ。
そこに暦の事情を勘案するような気持ちは存在していない。
己の機能を果たす。
それだけが彼女に設定されたことであり、未だに自分の意思で思考などと言うことを彼女は行ったことがなかった。
そこに僅かな遊びが出来たのが、機能を果たすために呼び寄せた半身となる相手だったのは運命の悪戯であろうか。
本当の神でもいなければわからないだろう、小さな奇跡が少女を少しずつ変えていく。
暦の力が増すほどに、2人の繋がりは強くなりそれが彼女を彼女ではない存在に変えてしまう。
『……なんだろう。暖かいな』
完成されているからこその神。
永遠だからこその神。
人とは決定的に異なる在り方を備えた人を導き、時に断罪する存在が神。
全てに共通していることは、本来の彼らに成長などという要素はないということだった。
そんな前提を覆す存在がここにいる。
交わってはいけない存在たちが、激突を繰り返すこの世界は混沌に傾きすぎている。
不変のはずのルールは徒に書き換えられて、安定を無くしていく。
セレナは人の祈りと世界の祈りから生まれた反発する属性を持つ神である。
司るべきものを持たず、力の色は無色。
慈愛もなければ、暴虐もない。
『不思議な感じ……』
彼女は『未完成』の女神。
これからの物語を経て、いつの日にか完成に至る器だった。
契約者――『繋ぐ者』が誕生したことで、セレナは異なる視点を手に入れた。
それがどのような意味を持つのか。
今はまだ、誰も知らず、理解していない。
少女の姿をした『神』は穏やかに微睡んでいた。
生を知らず、故に死もしらない存在がこの世で『生きる』ための日々が始まる。
『明日が、良い日でありますように……? うん、頑張ってね。暦』
運命の朝がやってくる。
伝説が幕を開けるのか、それともあっさりと終幕となるのか。
神であろうと、未熟な彼女と庶民すぎる超越者にはわからない。
1つだけ確かなことは、彼らの関係が始まるのも明日からだと言うことである。
双方、朝日に想いを馳せながらその日は静かに終わりへと向かうのだった。