諦めかけた夢
プロローグ
1996年8月12日
僕は長尾家の末っ子として大阪のとある病院で生まれた
僕が生まれた時に母は泣いていた。
それは嬉し涙ではなく
悲し涙だった。
僕は生まれた時には生死の境を彷徨っていた。普通の人は肺は胸の位置にあるものだけど
僕の左の肺は産まれた時にはお腹にあったんだそうだ。
産まれてすぐの大手術
母は悲しみの中で僕の無事を祈っててくれたらしい。
そのかいあってか僕は無事に手術を終え生まれてこれた。
僕が5歳の頃あることをいつも思っていた。
それは「アメリカに行きたい。」
なぜ急にそう思ったのかは、今となってはもう忘れてしまった。
その言葉を聞いた母は僕にこう言った
「行けるといいね、アメリカに」
その時の僕はまだ保育園に通ってたし
アメリカに行く手段や行き方英会話力全てにおいて何も知らない状態だった。
1、小学校の記憶
僕が小学校に入学する3年前ぐらいに
僕の母は僕の実の親父と離婚した。
その頃の僕は離婚の意味がわからなくて親父と離れるのが嫌で泣きわめいていた、だけど大人の決めた事情に子供の僕が何を言っても聞いてくれなくて結果的に離婚とゆうかたちになったらしい。
僕の兄弟は長男、長女、次男と僕の4人兄弟だった
僕と長男と長女は母一緒に住み
次男は親父と一緒に住み始めた。
長男と長女は産まれた時は健康的で元気よく育っていた。
けれど、次男はそうではなかった。
全身麻痺。次男は産まれた時から障害にかかっていた。
産まれた時の体重は1000グラムもなかったらしい。
次男はいつも車椅子生活を余儀なくされていて他の人の力なしでは何もできない状態だった。
今となっては次男の生活の大変さが
わかるけど、当時の僕はそれすらもわからずに「なんで次男はいつも車椅子に乗っているんだろう?」というのが
僕が次男に対しての印象だった。
そして僕と長男と長女と母の4人で暮らす日々が半年過ぎたころに、
突然その時がきた。
それは長男が親父の所で暮らすことに
なったのだ。
長男は当時まだ中学生で学校での日々はとても手がつけられないほどに
荒れていた。
喧嘩やタバコなどで母は毎日のように
学校に呼び出され毎日のように謝っていた...
そういった日々が続いたので母は
長男を親父に引き渡すことに
したのだ。
その頃の母には新しい彼氏ができていた。
彼氏の方は娘二人と息子1人の
4人で暮らしていたらしい。
そして
長男が親父の所で暮らすことを
きっかけに僕は母に連れられてその彼氏と同居することになったのだ。
僕はまだ保育園だったので
「これが新しいお父さんだよ?」と母に言われても何のことがよくわからずにいた。
同居生活が始まると僕は厄介払いされた感じだった。
ある日相手の娘と喧嘩した時に
母は僕にこう言った
「娘は何も悪くない、悪いのは全部お前や!」そう言われた時に僕は何も言い返せずに
呆然と立ち尽くすことしかできなかった…。
そんな生活がはや4年がたとうとしていた時
僕は初めて犯罪を犯してしまった
それは
万引きだった
家から自転車で15分ぐらいの所に
デパートがあった
僕は小学校が終わるとすぐ家に帰り
一緒に住んでいる娘二人とデパートに行くのが日課だった。
そしてデパートに着くとまず
ゲームセンターに行きコインゲームをして遊んでいた。
そして
帰りはお金もないのにお腹が空いたからと行って食品売り場に行きお菓子をズボンのポケットに入れて家に持って帰った。
初めての万引き...
僕はその夜いつバレるのだろうとドキドキして夜はあまり眠れなかった。
それから数日がたっても万引きがバレることがなかった。
それに味を占めて僕は万引きをし続けた。
ある時はお菓子、ある時は、ジュースそしてある時はオモチャを盗んだこともある。
そういった日々を三ヶ月続けたころ
僕の万引きがバレてしまった。
いつも通りにオモチャ盗もうとして
ゲーセンのカウンターで袋をもらい
その袋にオモチャを入れた時に
ゲーセンの警備員がオモチャ売り場にやってきた。
僕は近づいて来た警備員に気づきオモチャを入れた袋をその場に捨てて逃げようとした時、警備員が後ろから声をかけてきた
「おい!そこでなにやってるんだ?」
警備員は怒った口調でそういい、形相の眼差しでこちらを見ている。
「何もしてませんよ。」
僕は震えた口調でそう答えた。すると
警備員は僕が捨てた袋を拾い上げこう言った
「この袋の中に入っているんだ?」
そう言うと警備員は袋を覗き込んだ。
「このオモチャお前が入れたのか?だからさっきゲームセンターのカウンターに来て袋を貰ったんだろ?」と
警備員が言い放った瞬間に僕の体は硬直してしまった。
「どうしよう、どうしよう」
僕の心臓は今にも破裂しそうなぐらい恐怖に怯えていた。
「正直に言ったら警察に捕まる。」
そう思った時に警備員がまた口を開いた。
「正直にいいなさい。このオモチャを盗もうとしたね?」
警備員がそう言った時、僕はもう嘘はつけないと思い小さい声で
「はい...」と答えた。
すると今まで怒った口調で話していた警備員の声が柔らいだ。
「今日は見逃してやる。でももうこんな事はするなよ!」
そう言うと警備員は袋を抱え立ち去っていった。
それから僕は家に帰ったんだけど
恐怖のあまりデパートから家に帰る間での記憶がなくなっていた。
その日を境に僕は万引きをやめる!
と誓った。
それから数ヶ月が経ちもう季節は秋になっていた。
僕は万引きをやめたけど、姉二人と一緒にデパートに行く日々が続いていた。
姉二人は万引きをやめなかったが僕はやめた。
それが気に入らないのか姉二人が僕にこう言った。
「最近全然万引きしないよね。ウチらがしてるんだからしろよ。」
姉の1人が僕にそう言ってきたのだ。
でも僕は
「もう万引きは絶対にしない。」と
強い口調で姉二人に言い放つと
「なら、最後に一回お菓子とジュースを私たちに盗ってきてよ。じゃないと殴るよ?」
そう言って姉二人は僕を脅してきた。
姉二人は母の彼氏の娘だったので
僕と姉二人の間には壁みたいなものがあったし、年齢も5歳ぐらい離れていた。
「わかった。最後の一回ね」
僕はそう言うと足速にデパートの食品売り場に行き、お菓子とジュースを盗んできた。
これでもう万引きはしない。
そう思った瞬間、後ろからまた声が聞こえた。
「ポケットに入れたものを出しなさい。」
そう言ってきたのは食品売り場にいた店員だった。
僕は1度逃げよう!
っと思ったけど捕まるのが明白だっので素直にポケットに入れたお菓子とジュースを店員に差し出した。
すると店員は「ちょっと来て!」
と言って僕を従業員以外立ち入り禁止の部屋へ僕を連れて行った。
そこに居たのはスーツ姿の見るからに
偉そうな男の人が部屋の真ん中にある机の椅子に座っていた。
「そこに座って。」
そう言いながらスーツ姿の偉い人は
自分とは反対側にある椅子を指差し僕に指示した。
僕は言う通りに椅子に座ると五分ぐらい沈黙が続いた。
その五分は僕にとって1時間ぐらいに思えた。
するといきなりスーツ姿の偉い人は口を開いた
「なんで盗んだの?今までに何回盗んだ?」
僕はその質問に答えようとしたが
恐怖のあまりに答えようがなかった。
「もう一度聞くけどなんで盗んだの?」
そう言ってスーツ姿の偉い人は僕の顔をじっと見て聞いてきた。
「欲しかったからです。」
僕は聞こえるか聞こえないか微妙なトーンでそう答えた。
「悪い事だとわかってたよね?
なのになんで盗んだの?警察に捕まりたいの?」
スーツ姿の偉い人はそう言って深くため息をついた。
僕の目からはいつの間にか涙が流れていた。その涙は止まることを知らず永遠にで続けた
その後の質問や自分が答えた事は、はっきりとは覚えてない。
部屋に入って2時間ほどたった後
「もう帰っていいよ。もう2度とするなよ。」
っと言ってスーツ姿の偉い人は部屋を立ち去ろうとした。
僕も帰ろうとした時
「学校と家には連絡したから。」
そう言ってスーツ姿の偉い人は部屋を立ち去った。
当然と言えば当然か
学校と家に連絡されるのは万引きが見つかった時点には想定ついていた。
家帰るのは足が重く15分で着く距離を1時間かけて帰った。
家に着くと玄関の前で母は立っていた。
怒られる。そう思っていた僕は覚悟を決めていたが母の一言は意外なものだった
「お前あほやん。もうするなよ。」
その声のトーンはいつもの母の声だった。
「え?それだけ?」と僕は心の中で思ったが何も言わずに深く頷いた。
次の日いつもの様に学校に行き、いつもの様に放課後になった。
僕はいつもの様に教室を出ようとしたら
「ちょっと残って!」
僕の後ろでそう聞こえたので振り返ると担任の先生が僕の後ろに立っていた。
僕は少し間をあけ
「はい」と答えた。
先生が何を言いたいのかは声をかけられた瞬間にわかった。
それから約1時間昨日の事を先生に話した。
先生は母とは違い鬼の様に僕を叱った。
まぁ当然と言えば当然だった。
僕は万引きがバレたのをきっかけに
姉二人とは遊ばなくなった。
その代わり学校の友達と一緒に帰ったり遊んだりすることが増えた。
やっぱり友達っていいなぁー
って初めて思えた。
ある時僕は友達と帰る途中の横断歩道を信号無視した。
それは友達に「俺は凄いぞ!」って思わせたかったからだった。
それを見た友達は
「俺だってそんなぐらいできるし!」と言って僕の真似をした。
それを近所の人が見ていたらしく
次の日学校に行くと先生に
「昨日信号無視したやろ?」
と問いだされた
その後はゆうまでもなく
先生の雷が僕と友達に落ちた。
今となっては本当にバカなことをしてしまったと後悔している。
そんな中
僕が小学校三年生の夏休みに入る前に
事件が起きた
それは
母と彼氏の中が悪くなったのだ。
日に日に母と彼氏の間は悪くなる一方で喧嘩が耐えなかった。
ある日の休みの日に僕は
いつもの様に起きてリビングに行こうとした時母の彼氏がタンスの中をあさっていた。
僕はそれを気にも止めずリビングで朝食を食べていたら
母の彼氏が仕事に行き
それを見計らってか母が起きて来た。
母はリビングに居る僕を見るなりこう言った
「最近彼氏がタンスあさくってない?」
そういい母は心配した顔つきで僕に聞いてきた。
「ついさっき何かタンスの中で探し物してたよ!」
僕はそう言うと母は急いでタンスの中を調べ始めた。
少し時間がたって母は深く深呼吸をした。
「大丈夫だったみたいだね。でもそろそろ隠し場所を変えないと。」
僕はなんのことかわからずに母に聞いた
「何が大丈夫なん?」
そう聞くと母は僕にバックを見せつけ
「この中にお金が入ってるの。多分あの人はお金を探してたのよ」
母はそう言うと
「そろそろ終わりだね」
っとそう言い残し母もどこかに出かけてしまった。
「そろそろ終わり?なんのこと?」
僕はそう言いたかったけどその言葉を飲んだ。
月曜日僕はいつもの様に学校に行こうとした。
朝ごはんを食べ僕が通っていた小学校は制服があったのでそれに着替え玄関のドアを開けようとした時後ろから母はこう言った。
「今日学校が終わったら校門の前で待ってて!先生に大事な話があるから」
母は僕にそう言うなり仕事に出かけてしまった。
放課後僕は母の言いつけ通り校門の前で待っていたら母がやって来た。
「ほら、行くよ」
そう言って母は僕の手を引き
校舎の中へ入って言った。
「また僕が何かしたっけ?」
そう母に尋ねると
「何かしたの?今日は先生に話しがあるだけ長女は遊びに行ってるからお前はついて来い。」
そう言って母の顔はいつにも増して真剣だった。
母は職員室に着くなり僕と長女の先生を呼んだ。
事情を聞いた先生達は
「教室の方で話をしましょう。」
そう言って僕と母を誰もいない教室へ招いた。
「それでお話と言うのは?」
長女の担任がそう切り出し
母はこう言った
「実は今家の家庭環境は最悪です。
今、一緒に住んでいる彼氏は私や子供達に何をするかわかりません。
だから私たちはここから離れようと思います。」
母はそう言うと先生達は驚きの表情を隠せないでいた。
そして僕も先生達と一緒に驚いていた。
そしてそれを気にもせすに母は話を進めた
「私たち3人で遠い所に逃げようと思います。」
それを聞いた先生達は母の真剣さを感じたのか
「わかりました。転校手続きはこちらでしましょう。」
その先生達の言葉を聞いた瞬間に
僕は泣いてしまった。
母や先生達に気づかれず
涙をこぼした
話が終わり僕は母と一緒に家に帰った。
そして帰る途中に母から
「明日学校に行ったら荷物全部持って帰ってきなさい。」
そう言われ無言で頷いた。
次の日僕は学校にある全ての荷物を家に持って帰った。
長女も母に言われたのか自分の荷物を全部持って帰ってきた。
そしていつもの様に眠り、いつもの様に朝になった。
そろそろ学校に行く時間だ。
彼氏の方の娘二人はいつも通りに学校に行った。
彼氏もいつも通りに仕事に行く
でも、僕と母と長女は家にこもっていた。
そして3人しかいないことを確かめると
自分達の荷物をおもむろにダンボールに詰め始めた。
僕は自分の荷物の整理が終わり母の手伝いをしようとリビングに行く途中
ある部屋を覗き込んだ。
その部屋は誰も使わずに物置部屋として使っていた部屋だ。
2mぐらいの棚の中に犬の人形が飾られていた。
その人形は母が大切にしていた人形だった。
その犬の人形には首輪とは違い小さな巾着袋をしていた
僕はその中が気になり巾着袋を開けると
1枚の紙にこう書かれていた。
「次男の病気が治ります様に
どうか彼が幸せになれます様に」
それを見た瞬間僕の胸は急に苦しくなった。
母は離れて暮していても次男のことを見守ってるんだ。愛されてるんだね。
そう思い僕は紙を巾着袋にしまい犬の人形にかけて手を合わせ願いを込めた。
「また家族が揃いますように。」
僕がそうゆうことをしているうちに
作業が終わっていた。
母は僕の所へ来て
「ちょっとジュース買って来て!」
そう言うと母は僕に千円札を渡して来た。
僕は近くの自動販売機でジュースを買い
家に帰ると家の前には見たことが無い車が止まっていた。
そして家に入ると知らない男の人が僕の前に現れた。
「初めまして、これからよろしくね!」
そう言うと男の人は僕に握手を求めてきた。僕は少し間をあけ握手した。
母にあの人誰?そう聞くと
「これからはあの人と住むのよ!」
母少し明るい声で僕にそう言った。
正直、またか...
そう思ったけど言わなかった。
2新しい土地
荷物を運び終え車に乗ると車は
港に向かい出した。
港には大きな船が止まっており
船の中にある駐車場で車を止めた。
僕は母に
「何で船に乗るん?」
そう訪ねると
「こらから長崎に行くのよ」
そう言って母は彼氏と一緒に歩き出した。
船の旅は3時間ぐらいだった
僕は船酔いしたので外に出て潮風をあびていたら
長女が僕の所へ来て質問してきた
「新しい彼氏のことどう思う?」
「別に」
僕はそう言って歩き出した。
そうするうちに船は長崎に着いた
これから母方の家に向かうらしい
母方の家には
二日ぐらいで着く予定だったが
初めての土地で道がわからず
到着するまでに4日ぐらいかかった。
やっとの思いで着いたそこは
大阪で住んでたいた場所はかけ離れているぐらい田舎だった
僕は静かな所が好きだったので
すぐに環境にはなれたが
長女は僕とは違い慣れるまでに時間がかかった。
8月に入った頃母と彼氏は新しい家を探しに行った。
僕と長女は近くの海に行き釣りをして母達が帰ってくるのを待っていた。
辺りが暗くなり始めたころ
僕と長女は帰る支度をして
帰ろうとした時ちょうど母達も帰って来た。
そして車を降りた母の彼氏から
「新しい家が決まったよ!」
そう言って僕と長女の頭を撫でた。
僕達は嬉しくなり
「やった!!」
そう言って大喜びした。
次の日僕と母と長女と彼氏は
お世話なった叔母にお礼を言い
新しい家へ出発した。
叔母の家を出て車を2時間走らせると
小学校が見えた
そしてその先を母が指差し
「あれが新しい家だよ!!」
そう言って笑顔で僕と長女に言った。
その家は一軒家でドアベルの上に旗を立てる器があった。
それを母に聞くと
「これは前に住んでいた人が自衛隊だったからここに日本の国旗を飾ってたんだって!」
僕はそのことを聞くと
「自衛が住んでいた家かよ。」
そう思い何故だかわからないけど少し怖くなった。
家の中に入るとフローリングの床で
部屋は広くすぐに僕と長女はこの家が気に入った。
そして始めに家の掃除をして
自分達の荷物を運び入れた。
僕と長女の部屋は畳とフローリングで
長女のわがままで僕の部屋は畳の部屋になった。
そして
引越してきて
数日がたちそろそろ夏休みも終盤にさしかかったので
僕は新しい小学校に挨拶しに行くことになった。
大阪の小学校は制服があったけれども
長崎の小学校は私服で登校らしい。
それを聞いた時嬉しかったが
少しぎこちない感じがした。
そして
新学期が始まった。
体育館での始業式。
そして僕と長女は始業式の後に転校生として自己紹介があった。
「初めまして、大阪から来ました!
よろしくお願いします」
僕が全校生徒の前でそう言うと
かすかに笑い声が聴こえてきた。
少し小馬鹿にした笑い声だった
始業式も終わり僕は新しい先生に教室へ連れた
そして教室に行くなりまた
自己紹介が始まった。
「初めまして、大阪から来ました
これからよろしくお願いします。」
そう僕が言うと
体育館同様に小馬鹿にした笑い声が聞こえてきた。
でも僕はそれを気にせず先生に指示された椅子に座った。
こうして僕の新しい学校生活が始まったのだ!
新しい小学校に通い始めて
数日がたった。
その頃に僕には新しい友達が出来た
新しい友達とはとても仲良くなり
学校が終わると急いで家に帰り
ランドセルを玄関に放り投げて
友達の家に走って向かった。
そんな日々が早や半年が続いて
僕は四年生になった。
四年生になってもその友達とは相変わらずの仲良しで
毎日のように遊んでいた。
夏になると僕は違う友達と釣りをするようになっりその友達とは
あまり遊ばなくなった。
でも、その友達遊ぶ時は相変わらずの仲良しでとても楽しい日々が続いた。
そんな中家に帰ると僕は
孤立してた。
長女は勉強が出来た
そのせいか母も彼氏も
長女ばかり可愛がるようになっていた
それに
比べて僕は勉強が苦手で
学校の宿題もろくに出していなかった。
それを知った日から母の彼氏は
僕と長女の接し方に差別がついた。
長女が欲しい物は何でも買ってあげる癖に僕が
「これ欲しい!」
と言っても何も買ってもらえなかった。
それを見ていた母も
見て見ぬ振りをし
僕は母と彼氏のことが嫌いになった。
彼氏は僕にとても厳しかった。
家の門限は五時で僕が2分ぐらい
遅れただけで家に入れてもらえなかったし
「9時には寝ろ」
彼氏がそう言って
僕が9時すぎても起きていると
大きく開いた口で怒ってきた。
僕は渋々布団に入ったが
リビングからは
長女の笑い声が聞こえてきた。
「何で俺だけこんな扱い?」
そんな事を毎日考えながら
眠りについた。
そしてある日
僕のイライラが溜まってしまった時に
僕は母に当たってしまった。
そして僕は母に酷いことを言ってしまった。
「お前なんか死ね。」
そう言って僕が自分の部屋に行こうとした時
母は僕の所へやってきて
「親に向かって死ねってなんや!!」
そう言った母は右手で思いっきり
僕を叩いた。
叩かれた瞬間は痛くなかったが
母を振り切り自分の部屋に入った
瞬間痛みがやってきた。
めっちゃくちゃ痛かった。
「なんで?なんで?僕がこんなことされなきゃいけないんだ。」
そう思いながら僕は
泣き崩れた。
でも
今となっては
1番痛かったのは母の心だと思う。
頑張って育てた子供にあんなこと言われて...
本当にあの時はごめん
そして
僕は誓った
2度と母に向かって死ねなんて
言葉は言わないと。
そうして
1年が過ぎたころ
僕はある壁にぶつかっていた。
それは
友達との温度差だった。
僕は産まれ育った関西で
関西人はテンションが高くノリがいいけれど
そんな僕を友達はあまり受け入れてくれなかった。
僕はいつもの様にテンション高く
友達に話しかけると
「何?マジうざいっちゃけど?」
そう言われて
無視される様になった。
でも
無視されていた友達とも
少し時間がかかったが
仲良くなれる様になり
遊ぶことも増えていった。
僕が5年生になるころ
ハワイから短期間の子が小学校にらやってきた。
僕はその子と話したくて
家で長女が持っていた英語の本を見ていると
母の彼氏が僕にこう言ってきた。
「何で英語の本を見てるんや?」
そう聞かれ僕は
「いいやん。ちょっと見たかっただけ!」
そう僕が言うと
「お前が勉強しても、無理無理」
彼氏は小馬鹿にして僕にそう言ってきた。
そして僕はアメリカに行くのは無理なのかなって考えるようになった。
そして
また
家庭環境は悪くなった。
僕は変わらず
彼氏のことを嫌っていた。
そして
長女も彼氏のことを嫌うようになっていた。
それに気づいた彼氏は母と
喧嘩するようになっていた。
毎日喧嘩がたえず
いつの間にか
時が過ぎていた。
そして
ある日母と大喧嘩した
彼氏が僕にこう言ったきた。
「ママと別れそうなんやけど別れたら嫌?」
僕はそう聞かれ
少し戸惑ったが
「嫌」
とだけ答えた。
そして彼氏は
長女にも同じ質問をし
長女も「嫌」
と答えた。
僕と長女の答えを聞いた時
彼氏は僕と長女を抱き寄せこう言った
「俺が二人を幸せにするからな」
そう言って彼氏は力いっぱい抱き寄せてくれた。
でも
今となっては僕の答えた返事は後悔でしかない。
3中学校の記憶
家族関係は修復され
彼氏は仕事の事情で転勤することになった。
転勤と言っても近場だったが
僕は2度目の転校をした。
やはり
新しい学校でも
関西弁長崎弁の混じった喋り方で
小馬鹿にされたが気にはしなかった。
新しい小学校でも
すぐに友達を作れた。
新しい家は平屋の団地で
同じ団地内に3人もの同級生が住んでいた。
その三人とは
火曜金曜以外は毎日遊んでいた。
なぜ火曜金曜は遊べないとゆうと
その三人はミニバスをしていたからだった。
そして
その三人の影響で僕もバスケが
したいと思った。
月日が経つのはやはり早かった。
小学校を卒業し近くの中学校に
入学した。
中学校に入ると
僕は迷わずバスケ部に入部した。
バスケ部に入ってからは
毎日が楽しくてしょうがなかった。
1年生でバスケ部に入ったのは
僕を合わせて6人だった。
僕以外の5人はミニバスからの経験者だった。
当然のことだけど
みんな俺よりもうまかった。
だから
みんなに負けないように
僕は毎日部活には
1番乗りでシュート練習をした。
アメリカに言ってNBAプレイヤーになれたらいいなぁーそんな事を言っていると
そんな
僕がうざかったのか
ある日
いつも通りにバスケをしようと
バッシュを履こうとした時
いつも通り棚に置いたはずのバッシュがどこにもなかった。
それを見ていた他の人は
薄い笑みを浮かべていた。
そしてそれは毎日の様に続いた。
そして僕はイジメられていることに気づいた。
そのイジメは中学校2年生になっても続いた。
バッシュを隠されたりカバンをゴミ箱に捨てられたり
上履きを隠されて3日ぐらい
見つからなかったこともあった。
そして
僕はその頃から学校に行きたくなかった。
でも
母は学校には行けっと言って
無理やり学校に連れ出した。
そして
2年のなかばに僕は勇気を出して
先生にイジメられていることを伝えた
そしたら
すぐに先生は行動を起こしてくれた
初めは学年集会で僕の名前を出さずに
「この中で誰かをイジメている奴がいる。誰か何か知らないか?
知ってるなら後ででいいから
先生に教えてくれ。」
先生はそう言って話を終えた。
「これでイジメられなくて済む」
そう思ったのはつかのま
イジメはなくならなかった。
またバッシュを隠されたり上履きを隠されたりする日々が続いた。
そして、僕はまた先生に助けを求めた。
「先生、またバッシュが隠されたり上履きを隠されました。」
そう言うと先生は
「わかった。今度はお前の名前を出していいか?」
僕は無言で頷き
先生は
その場を立ち去った。
次の日の朝
緊急学年集会が開かれた。
先生は僕の名前を呼びその場に立たせた。
僕の周りはざわめいている
「誰がこいつをイジメてる?正直に言え!!」
先生は激怒し声を荒げ叫んだ。
「イジメなんて汚い真似はするな!人として1番酷いことをしてるんだぞ?」
先生がそう言うと
さっきまでざわめいていた空気が一瞬にして静かになった
そして先生はこう続けた
「イジメているやつは2度とこんなことをするな!」
先生がこう言った瞬間に僕の心は今まで何かに押しつぶされていた物に解放されたように
軽くなった。
そして
ついにイジメはなくなったのだ。
4孤独の日々と将来
僕が中学2年になるころ
長女は自分の夢のために住んでいる所から離れて私立の高校に通っていた。
その時から
僕は母と二人暮らしだった。
母の彼氏とは僕が1年生の冬に
別れた。
母と彼氏が別れても僕はなんとも
思わなかった。
そして二人暮しを初めてもう1年がだった。
僕は2年になると
時間は光のように過ぎ
いつの間にかもう3年になった。
その頃から僕は進学じゃなく
就職したいと思っていた。
僕の親父は大阪で自営業をしていたので長男もそこで働いていたので
僕もそこに行きたいと思った。
突然だが
僕は実の親父以外お父さんとかパパとか読んだことない。
それは
そう呼んでしまったら親父との
関係が終わってしまうと思っていたからだ。
中学3年の5月
母は家に帰って来なくなった。
母は朝から昼まで仕事をし
夕方まで家にいるけど僕が帰って来る前に新しい彼氏の家に行っていた。
ご飯も作らず掃除もせず
母は新しい彼氏のことだけを
考えていた。
僕はその頃から
孤独だった。
晩御飯を食べない日が続いた。
1人さみしくて苦しかった夜があった
それを見かねた友達がある日
僕を晩御飯に招待してくるれた。
友達の家に着くとご飯が並べられて
友達の家族と僕でそれを囲み
一緒にご飯を食べた。
嬉しかった。
久しぶり家族の温もりを感じた。
そして友達は
「またおいで!」
「いつでも歓迎だよ!」
っと友達のお母さんも言ってくれた。
その友達には
いくら
感謝の言葉を述べても足りないくらいだ
孤独の日々で
「死にたい」
そう思ってた僕に
友達は
「東日本大震災で生きたくても生きれんかった人がいるのに死にたいとか言うな」
といって僕を怒ってくれた。
いい友達を持った。
僕はそう心から思った。
ありがと。
本気で心配してくれて
初めてこんな人に出会えたよ。
そう思うと泣けてきた。
悲し涙じゃない
これは嬉しい涙だ。
本当にありがと。
中学3年の9月僕は進路相談の時に
こういった
「高校は行きません。大阪にいって働います」
それを聞いた先生は
「高校は行っといた方がいいよ?行かなかったら絶対に後悔するから」
そう先生に言われ僕は
渋々高校に行くことにした。
5諦めかけていた夢
僕は高校に行くことにした。
初めての友達
初めての授業
高校生活は初めてのことだらけだった。
初めの1年は楽しかった
でも
1年の終わりに僕は高校を中退した
僕の家では
やはり高校生を2人も母だけで
育てることができない状態だった
それを
見かねて僕は
「俺学校辞めるよ。やっぱり働く」
そう言ったら母は
「自分の好きなようにしなさい」
とだけいって後は何も言わなかった。
そして2年に上がってから
数日で僕は学校を辞めた。
学校を辞めた僕は
近くのコンビニでバイトをするようになった。
バイトは初めの2週間は面白くなくて
辞めたいって思ってたけど
やって行くうちに今ではもう1年近く働いている。
そして
ある日携帯をいじってたら
外国の人とトークできる
アプリがあった。
僕はそれを見つけた瞬間
鳥肌がたった。
そして
記憶が蘇ってきた。
「アメリカに行きたい」
そう思ってから
もう13年の年月が過ぎている。
アメリカに行く手段はあの日から
調べていろいろなことが分かった
後はバイトをして
お金を貯めるだけだ。
アメリカに言ったらすることは決まってる!
自分で企業を起こしてそれを成功させ
世界の貧しい子供達に支援することだ!
この思いは
前から変わってない。
過去に辛いことがあったけど
未来は自分しだいで変わる。
1度は諦めかけたけど
もう諦めない。
夢に向かって一歩ずつ
歩幅は小さいけど歩もう。