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電話番オールド

 6:00


 人の背丈ほどもある古時計の針が六時を指したと同時に、老人は布団を押しのけて上体を起こす。

 髪は真白く染まっていて、顔には深いしわが刻まれていた。老いているにしては整った顔立ちをしているが、一方で瞳はどこか暗い光を宿している。


 彼は首をゆっくり回した。その方向には窓を背にするようにして置かれた木製の高級そうな中世欧州風の机があり、視線は正確にはその真ん中にぽつんと置かれた電話にむけられている。ヨーロッパ風なのは机に限らず照明や窓、椅子、寝台と部屋全てがそうだった。

 

 彼は「また今日もか」と失望して肺から空気を押し出すようにしてため息をつく。気だるそうに足をベッドから出し靴を履いて牡丹、黄、緑でバラのような模様が描かれた絨毯の上に立った。


「おはよう」


 誰に言うわけでもなく、ただ自分の起床を確認するようにつぶやく。体にガタがきているのか随分とゆっくり歩き、机の向こうにあるカーテンを開けて朝日を取り入れた。朝日のまぶしさに目を細める。

 開かない窓の外に視線を向けるとしっかりと手入れされた庭園が眼下に望む。庭は石造りの道と優美な植物によって幾何学的文様が描かれている。ここからだと見えないが芸術性の高い噴水もあり、館の主人の部屋から見ると噴水を中心に庭が作られていることがわかる。いつも美しさを保ったそれが使用人の夜間の手入れの賜物であると、直接見たことはないが老人は知っていた。


 彼は電話番である。

 一日中電話の近くにいて、館の主に取り次ぐだけの仕事だ。


 ただし二十四時間この部屋から出ることはない。クローゼットや掃除用具など生活に必要なものは部屋の中に全て揃っているし、何より館の主人は彼にこの部屋を出ることのないようにと老人の生まれた時から命令を与えていた。

 彼の人生はこの部屋で完結しているのだ。外へ出るというのは主人が出るように言わない限りありえない話だった。


 ボタン付きで病的にまで白い寝巻を脱いで、クローゼットから出した黒い燕尾服に着替える。どうせ外出するわけもないから着替える意味もないのだが、これは館の主の意向だった。意義が存在しない命令は山ほど下されている。

 鏡の前でネクタイを締めながら身だしなみをチェックすると、その中の自分と目が合う。いつ位からこんな濁った眼をしていただろうか。


 気分を切り替えるようにして「次は掃除か」と彼は言葉を口の中で転がす。

 電話番とはいえ電話の前でずっと突っ立ってるのはあまりにも暇なので、こういったことで時間をつぶすのだ。部屋から出ることを許されない彼の生活は、いかにして無聊と戦うかが肝要だった。

 できるだけすることが何もない時間を無くしたいから、かなり綿密に掃除を行う。毎日年末の大掃除をするようなものだ。

 掃除用具入れに手をかけると、ぎいと音が鳴った。


 いっそ心なんて無かったら良かったかもしれない。

 少しの間動きを止めて、そんなことを考えた。

















 10:21


「ふむ」


 手を二回打ち鳴らして、掃除の出来栄えに満足する。もっとも昨日だって同じことをしたのだから、元々大して汚かったわけではないのだが。

 首だけ動かして机の上の電話を見るが、やはり鳴る気配はない。その事実を確認して目を伏せる。


「……着信無し、か」


 一人でいると独り言が増えていく。みっともないかもしれないが声を出す機能が衰えてしまうのが、寂しいと思う機能さえすり減るのが、言葉を発する機能を失うのが怖いからなのだろう。

 その位にはこの部屋の中でひとりぼっちの人生を過ごしてきた。


 目線を上げて本棚の方へ向かう。床下から天井までぎっしりと詰められた本の中から、昨日読んだものの隣にある一冊を取り出した。

 彼にとって何度か読んだ時のあるものであったが、それはこの小説だけに限った話ではない。この部屋にある本はもう全て読みつくしているのだ。

 だからといって主人の命に逆らって新しいものを手に入れるために部屋を出ることはできない。彼が持っている知識は、犯罪者が入れられる牢屋の方がまだ待遇が良いことを示していた。


「よっ……」


 電話専用と化している机に備え付けられた椅子に腰掛け、ページをめくった。目じりにしわが寄った瞳で、既に数度読んだ文字の列を追う。

 この本を読んだ回数は一度や二度ではないので、彼は勿論その中身がどんなものであるかを知っていた。

 内容は仲間外れの白いネズミが苦しい環境の中で本を書くお話で、終盤で他のネズミに文字は読めないことに気づいて彼は落ち込むのだが、最後は書いているだけで満足なんだ、なんて結論で締めくくられる。要点だけ切り取ると短いが本を書くために取材のたびに出かけたりなど中々テンポも良く、仲間から排他されるときの心情描写や、細かい場所に仕込まれた痛烈な当時の社会へ批判など見所も多い。

 それでも彼にとっては退屈なものでしかなかった。


 小説は同じものでも読むたびに伝わってくる印象が違ってくるから面白い、などという言葉が彼の頭に浮かんだが、全くそんなことは無い。違いが感じられるのは読んでいる当人に変化があったからだ。この電話のためだけに設けられた部屋の中だけの生活が、内面の変化を促すとは考えにくい。


 彼の中で読書はもう娯楽足りえず、手を組んで両手の人差し指をぐるぐると回しているのと大きな違いはなかった。しかし本を読むのを止めれば、やることがなくなってしまうのだ。あくまで暇つぶしの妥協点の着陸先が読書なのである。

 生活するのには困らない程度のものは揃っているこの部屋だが、心を慰めてくれるようなものは本以外何も無かった。

 強いていうなら窓の外からのぞく庭園くらいか。しかし季節によって違う顔を見せるといえども、いつも同じ場所からしか見られず、何十年もすれば飽きないはずは無い。

 ため息がこぼれる。

















 14:38


 茶色い長時計の針を見て、そろそろか、と彼は心の中でつぶやいた。

 右上のページ表記に少し目をやり、手にしていた本をわざとらしく音を立てて閉じて机の上に置いた。靴を鳴らしながら歩いて、ほとんど開かれていない廊下へと続く扉の前に立つ。

 その表情は噴水の前でデートの待ち合わせをしている少年のようにも、妻の墓参りに来た夫のようにも見える。


 扉の向こうから足音が聞こえてきて、それは少しずつ大きくなってくる。そして、部屋の前で足音は止まった。


 恐る恐るというように彼は指先で扉に触れ、一拍置いてから慈しむようにゆっくりと手を開き掌全体を押し付けた。

 向こう側にいる顔も知らない誰かも同じようにしているのでは、という微かな希望を抱いているのだ。

 使用人同士のコミュニケーションは主に禁止されており、故にドア越しに話すことすら許されない。もちろん部屋を出ることもできないので、彼は廊下にいる「誰か」の顔を知らなかった。


 誰かと話したい、延々と続くこの孤独を分かち合いたい。一言でいい、ただの挨拶だけでも構わないから。それすら叶わないのなら、ドア越しに手を合わせるだけでも満足だ。

 たったそれだけで十分だと思える程、彼はこの変化のない日々に耐えてきた。


 それでも禁を破ることは絶対にしない。

 なぜなら彼は電話番になるためだけに生まれてきたのだから。


 どれ位そうしていただろうか。向こう側にいる誰かが再び歩き始める音を聞くと、彼は後ろ髪を引かれながらも手をドアから離した。

 もしかしたら向こう側に存在を確認するだけで彼は満たされていたかもしれない。自分と同じように永遠の孤独に耐えている誰かがいてくれるなら、それは庭園の花たちよりも心を癒してくれるだろう。
















 20:54


 定められた就寝時刻が近づいている。彼は燕尾服から朝来ていた寝巻に着替えた。


 そして机の上の電話にそっと触れた。

 すると独特の電子音が鳴り、空中にホログラムの画面がいくつも浮かび上がる。

 その中の一つの画面にある横長の封筒の形をしたアイコンに指先が触れると、八文字のメッセージが表示された。


『着信はありません』


 電話が来ないだけではなく、メールの受信箱も空っぽだった。

 彼はもう何度目になるかわからないため息をついて、画面を操作して閉じ、ベッドに腰掛け背中を丸めて手を組み、苦悩する。


 自分は後どの位こうしていなければならないのか、と。

 腕をまくり手首より少し下を指でしばらく弄ぶと、白い排煙を上げ「皮膚」が開く。落とした目線の先では、腕の中に無数のコードが散らかっている。


 電話番をする為だけに作られた人型の機械、それが彼だった。

 館の主人は中世ヨーロッパの建築を好む酔狂な科学者で、電話番をするだけの人型の機械を造り、わざわざ感情を持たせる程に物好きだった。それが我が子とも言える自分のロボットに、後々どれほどの苦痛を与えるかも知らずに。

  

「あと、どの位……」


 こんな無駄なことをしなければならないのか。

 体の中で律儀にカウントされていく年数は、ただの人間でしかない主人がこの世を去ったことを暗に示唆していた。ただの人間でしかなかった主人が生きているはずも無い。館に残っているのは彼と同様の機械達だけだろう。生前からその科学者に来る連絡は皆無だった上、はるか昔に死んだ人間へ電話する物好きなんているはずも無い。

 いや、恐らく人類そのものが滅んでしまっている、と彼は考えていた。空を飛ぶ飛行機や広告メールが来なくなったのも随分と前の話で、過ぎ去った年数はそれが事実でもおかしくない程度には長かった。


 よって電話が来る可能性は億分、兆分の一もあれば良い方だと彼はわかっている。

 しかし彼は人間が人間を止められないのと同じように、電話番であることを止められない。

 未だにプログラミングされた細かな命令にすら逆らえないのだから、自らの本質といっても差し支えない業務を放棄するなど以ての外だ。


 それでもまだ読んでいない本があった頃は良かっただろう。今は暇をつぶせるものなど、この狭い部屋の中には無くなってしまった。


 来るはずのない電話を待ち続ける日々は苦痛でしかない。

 感情という機構を授けた自らの主君に、彼は僅かな憎しみを抱いた。

 心なんて要らなかったのに。


 いつまでこんなことをすればいい。

 自らの内で何万回と唱えてきたフレーズをまたつぶやく。

 同じようなことが他の場所でも起こっているのだろう。街中では警備用ロボットは自らの明かりを頼りに誰もいない夜の街を駆け回り、掃除用ロボットがただっぴろい無人の館を綺麗にしていく。調理用ロボットはクローン工場で安定して供給される材料を使って豪華な料理を作っては捨てる無駄な行為を繰り返す。

 主人を亡くし、意味を無くしても自らの仕事を続ける彼らは滑稽に映るかもしれない。


 彼が指で弾くと開いた腕が少し不快な金属音を発して閉じる。

 その時、今日読んだ本のことを思い出した。


「そうだ……」


 本を、書けばいい。

 読み手はいないが無聊を殺すのには十分だ。

 確かに物語を紡ぐ為の体験という要素は外の世界を知らない彼にはほんの少ししか存在しないが、今までに読んできた部屋の本棚が埋めてくれる。

 いや、それが本である必要はなく、空想するだけでも十分だ。いくらでも、無限に続けられる最高の暇つぶしだ。

 

 想像というのは精神運動において重要なものである。

 遥か昔の大戦では、捕虜にされた兵士のあるグループは過酷な捕虜生活に耐えるために空想の少女を作り出した。皆の食事を集めてその子のための一善をこしらえたり、自分たちの着替えの際は見苦しい姿を見せないように目隠しの布を用意したりといった具合だ。

 傍から見たら狂気の沙汰だが、他の捕虜が発狂や衰弱、自殺をする中でそのグループだけが全員そろって故郷に帰れたという。

 最後の心の支えになるのが空想というのは別段おかしな話ではないかもしれない。


 どんな話にしようか。そう考えると彼の心は浮き足立った。

 愛憎まみれた孤島の殺人事件か。国家の陰謀に立ち向かう青年の話か。それとも猫の視点から過去の人間社会を風刺してみようか。どんなストーリーだって構わない。

 剣と魔法と科学の異世界か。少し古臭いが風情のある二十一世紀のロンドンか。それとも惑星間を簡単に行き来できて様々な種族のいる銀河も悪くない。どんな世界観だっていい。

 そうだ、折角だから最初は電話の話にするのはどうだろうか。


 彼を苦しめる無聊と孤独の原因となった心が、彼に空想という希望を与えたのだ。 

 この循環するだけの日々が偶然によって終わるまで、ずっと妄想を続けられると彼は思った。しかも話を自分で作り出すことによって読む視点が変わり、今まで飽きるほどめくってきた本も楽しめるようになるかもしれない。

 

 首の後ろにある穴に、充電用のプラグを差し込んで彼はベッドに潜り、遠隔操作で電気を消した。

 相変わらず電話は来ないけれど、その顔は何十年かぶりに見る笑顔だったという。


 人類が滅びても、彼らが生んだ機械仕掛けの息子たちは生き続けるのだ。

このような拙作にお付き合いいただきありがとうございました。

よろしければコメントもいただければ嬉しいです。

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