王子様のバレンタイン ②
小話なのに長くてすいません(涙)
夕方。サーシャマリーの部屋へ向かうユーリックは若干緊張していた。今日の彼女の行動から察するに、自分への菓子をくれるのであろうことは想像に難くない。しかし、その場でもしかしたら『実は…』が始まるのではないかという予想も、まだ彼の中ではくすぶっていた。
王女の部屋の前に立つと、中がいつもより騒がしい。一瞬眉をしかめた後、ユーリックは部屋の扉をノックする。
すぐに内側から扉が開かれ、王女付きの侍女が扉を開ける。
中に足を踏みいれた瞬間、ユーリックは驚いた。いつもは落ち着いた色合いのサーシャマリーの部屋が、いたる所でピンク色になっている。カーペット、クッション、テーブルクロス…。一瞬、足を踏み入れるのを躊躇したユーリックだが、サーシャマリーの笑顔を見つけて歩み寄る。
「兄様!お忙しかったのではないですか?」
「いや、大丈夫だよ。それにしても、スゴイな」
苦笑を浮かべながら、サーシャマリーのすすめるままソファに腰を下ろす。
「うふふ、そうでしょう?今日はバレンタインですもの!みんなで朝から頑張ったの」
「そ、そうか。…なにか、今年は特別いいことでも、あったのか?」
「いいこと、そうですわね。とってもいいことがありました!」
恐る恐る聞いたユーリックの言葉に、サーシャマリーは笑顔で頷く。その瞬間、ユーリックの表情が笑顔のまま固まった。
がしっと、妹の肩を掴むと、
「サーシャマリー、私に何か隠していることがあるんじゃないのかい?」
当事者二人以外には、今ユーリックの背後が黒く染まって見える。傍から見ていると、笑顔の分だけ恐ろしい。
そんなユーリックに、サーシャマリーは驚いて目を見張る。
「すごいわ、兄様!どうしてわかったの!?」
否定してほしかった言葉の答えに、ユーリックは心の中で――――絶対始末する!と叫ぶ。
「さあ、兄様に言ってごらん。どこの身の程知ら…いや、誰なんだい?」
きょとんと小首を傾げるサーシャマリーは、彼の言葉の意味が理解できなかったようだ。
「隠さなくていいんだよ、サーシャ。今日一日厨房に籠っていたのはそのためなんだろう?」
「そうですが…わたくしが差し上げるのは兄様だけですわ」
そう言ってにっこり笑うと、大ぶりなピンクのリボンを掛けた真っ赤なハート形の箱を差し出す。
ユーリックは一瞬にして背後の黒雲を払い、びっくりして妹の目を見つめ返す。
「私にだけ、かい?」
「はい、もちろんですわ!いつもお世話になりっぱなしなんですもの。サーシャは今日兄様のために頑張りました」
「では、いいこと、とは?」
「今年初めて自分で作ってもいい、と許可が出たんです!料理長は厳しくて、毎年門前払いだったんですけれど…今年は侍女たちが一緒に説得してくれて」
「では一緒に作ったのかい?」
「はい!でも、兄様のはわたくし一人で作りましたわ。おかげで何度か失敗してしまって…でも、なんでわたくしが失敗したのをご存じだったんです?もしかして、焦げ臭いですか?」
そう言ってドレスの袖を顔に近づけるサーシャマリーに、ユーリックは笑顔でそっと、その手を止める。
「いいや、甘くていい匂いしかしないよ、サーシャ。ありがとう、嬉しいよ」
「どういたしまして。では、さっそく開けてみてください!」
ピンクのリボンをほどきながら、そう言えばとユーリックが顔をあげる。
「父上には作らなかったのかい?」
「ええ。本当はお父様にも、と思ったんですけれど。お昼ぐらいにお母様が厨房にいらっしゃって、一緒に作っていたんです。そしたら…兄様、お母様がお菓子を作られる、ってご存知でした?」
「いや、初耳だが…」
「わたくしもです!もう、びっくりするくらいお上手なんですよ!こーんな大きなチョコレートケーキをパパっと作ってしまわれて!…あれを見てわたくしやる気がなくなりそうでしたわ」
思わぬところで見せつけられた母のすごさに、サーシャマリーは頬を膨らませている。
「ですから、お父様にはクッキーを一枚だけにしました。お母様のケーキの上に乗せておいたので十分ですわ」
「それは…大変だったな」
思わず苦笑するユーリックだが、きっと今頃父親はそのケーキを一人で完食しなければならないプレッシャーに苦しんでいることだろう。そう思うとサーシャマリーの当てつけじみた行為は、父にとっては救いかもしれない。
ハート形の箱をそっと開けると、中にはチョコレートチップのたっぷり入ったクッキー、ココアパウダーのかかったショコラ、それと一口サイズのチョコレートケーキが入っていた。ところどころ形がいびつなのもいじらしい。
ショコラを一つつまんで口に入れる。とろりと溶けるその甘さに顔がほころぶ。隣にいる目を輝かせている妹に、ユーリックはその極上の笑顔を向ける。
「おいしいよ」
「本当に!?よかった!!たくさん食べてくださいね」
うきうきとお茶を兄のもとへ寄せるサーシャマリーに、ユーリックはその手をそっと取って顔を寄せる。
「ありがとう、サーシャマリー。君の『愛』は確かに受け取ったよ」
キャーという、侍女たちの黄色い悲鳴とともに、バレンタインのお茶会はゆっくりと過ぎていく。