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タイトル未定2026/07/22 00:58

 引き渡し訓練について書いたエッセイが思いのほか多くの方に読まれているようです。

 せっかく防災に関心を持っていただけるタイミングですから、この機会に、私が以前から考えている事を書いておこうと思います。

 防災については、一回では到底語り尽くせません。ですから、これは連載という形で投稿し、何かの折に続きを投稿したいと思っています。



 さて、災害が起きた時、一番深刻になる問題は何でしょうか。

 食料でしょうか。水でしょうか。

 寝る場所でしょうか。

 勿論、どれも重要です。


 ですが、私がもっとも深刻だと思っているのは、『トイレ』です。人は1日や2日食べられなくても、最悪、水だけで命を繋ぐ事はできます。


 しかし、排泄だけは止められません。

 だからこそ、災害時のトイレ対策は、命や健康に直結する問題なのです。


 皆さんは、「マンホールトイレ」というものをご存じでしょうか。

 普段は普通のマンホールですが、災害時にはフタを外し、下水道管へ直接つながる便器を設置します。そして周囲を簡易テントで囲えば、その場が仮設トイレになります。


 私はこれを、全国津々浦々の学校や公共施設へもっと整備すべきだと思っています。

 勿論、すぐに返ってくる言葉は分かっています。

「予算がありません」

 たった一言で終わる話でしょう。

 もしくは、こう反論されるかもしれません。

「うちは簡易トイレを備蓄しているので大丈夫です」


 本当にそうでしょうか?


 少し意地悪な質問をします。

「その簡易トイレ、実際に使った事はありますか?」

「説明書を最後まで読んだ事はありますか?」


 最も一般的なタイプを例に挙げます。

 まず便器全体に1枚目のごみ袋をかぶせます。

 これは便器の水や汚れが付着しないようにするためです。

 その上から2枚目の袋をかぶせます。排泄するのは、この2枚目です。

 終わったら凝固剤を入れます。

 ここまでは、多くの方が知っています。


 問題は、その先です。


 2枚目の袋を『自分で』取り出し、

『自分で』空気が入らないように口を縛り、

『自分で』決められた、外の集積場所まで運ぶ。

 文章にすると数行です。


「簡単じゃないですか」


 そう思われる方もいるでしょう。

 では、保育園児はどうでしょう。小学校低学年はどうでしょう。

 袋を結べますか?


 結べなければ、誰がやるのでしょうか?

 先生です。


 一人や二人ではありません。

 何十人もの子どもが排泄するたびに、先生が付き添い、袋を縛り、運び続ける事になります。

 しかも、水も十分にない。消毒液も限られている。

 衛生環境は最悪。


 その状況で何時間も、何日も・・・保護者が迎えに来るまで、です。


 簡易トイレは、備蓄している事と、運用できる事が全く別問題なのです。



 過去の大災害を振り返ると、その現実がよく分かります。


 阪神・淡路大震災では、校庭や公園に穴を掘り、板を渡して共同トイレとして使ったという話があります。

 いっぱいになれば土をかぶせ、また隣に穴を掘る。

 ところが、校庭は想像以上に硬く、簡単には掘れません。結果として側溝が使われ、あちこちが排泄物であふれました。

 臭いも衛生状態も、想像を絶するものだったそうです。


 能登半島地震でも、衛生管理に入った看護・医療の方々が最初に行った仕事は、糞尿で詰まった便器に手を入れ、かき出す事だったと報じられていました。

 使えるトイレに戻さなければ、次の人が利用できないからです。


 また、まだ下水設備が大丈夫だった避難所では、プールや川から水を運び、トイレの入り口の大きなバケツにためていました。

 利用者は排泄後、その水をくんで自分で流す。

 一見すると、うまく回っているように見えます。


 ですが、その時期は一月。冷たい風が吹く中、何度も川へ水をくみに行く作業は想像以上に重労働です。

「腰が痛いので・・・」

「寒いので・・・」

「今はちょっと・・・」

 何かと理由をつけ、水くみを避ける人もいたと聞きます。


 責めるつもりはありません。

 人は極限状態になると、綺麗事だけでは動けなくなるからです。


 だからこそ、善意を前提にした防災計画は危ういのです。


 災害報道では、助け合いや感動的な出来事が数多く紹介されます。

 それは勿論大切な事です。


 ですが、その陰で誰が排泄物を片付けていたのか。

 誰が臭いに耐えながら衛生を守っていたのか。

 誰が何十回も水を運んでいたのか。


 そうした泥くさい現実は、あまり報道されません。


 見えないからです。

 見せたくないからです。


 しかし、防災とは、本来そういう見えない仕事をどう支えるかを考えるものではないでしょうか。

 マンホールトイレにも、物凄いお金はかかります。

 設置費用も維持管理費も必要でしょう。


 そして、災害が来なければ必ずこう言われます。

「結局、一度も使わなかった」

「無駄な税金だった」

「心配し過ぎだった」


 ですが、防災とは、本来そういうものではないでしょうか。

 使わなかったら成功なのです。使わずに済んだからこそ、その投資には意味があります。

 日本では災害のたびに、決まり文句のように同じ言葉が繰り返されます。


「想定外でした」


 私は、この言葉をもう聞きたくありません。

 想定外だったのではありません。最悪を想定したくなかっただけではないでしょうか。

「備えていて良かった」

 そう言える社会を創るために、私はマンホールトイレをもっと増やすべきだと思っています。


 これは、あくまで超個人的な意見です。

 ですが、「想定外でした」と頭を下げる未来より、最悪の更に上を想定し、「少し心配し過ぎでしたね」と笑って終われる未来の方が、ずっと価値があると私は思います。


読んでくださってありがとうございます(*_ _)

ポイントを入れてもらえると、嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
 時司 龍さん、こんにちは。 「それ、本当に使えますか? ~マンホールトイレのススメ ~超個人的意見」拝読致しました。  災害時の関心事、トイレ。  で、マンホールトイレ。  いや、前から思ってま…
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