闘いのとき
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
む……これは、猫同士のけんかだね。
最近、陽が暮れるとたびたびあるんだよねえ、彼らの牽制。本気でやりあうかどうかは分からないけれど、声そのものは響いてきている。
言い争いで済むならかわいいほうだけど、互いに怪我をするようになると争いごとは面倒になる。勝っても負けてもダメージが残り、普段ならこなすことができたものをこなせなくなって、損害を被る恐れもある。
争いはよくない、というのは心情や人情的なものをのぞけば、パフォーマンスの低下につながるのを防げと、いいたいのかもしれないね。
しかし、避けられない戦い。避けたらまずい戦いも世の中にはある。猫たちのそれと同じく、私たちも気張らねばならないときがね。
私の昔話なのだけど、ちょっと聞いてみないかい?
学生当時の私の睡眠は、少し妙な特徴があった。
慢性的な寝不足を抱える人は、どの世代にもいるだろうし、私もそのひとり。家のみならず、腰をおろしてまぶたを閉じることが許されれば、どこでも寝床と化した。
妙というのが、夢の見方なんだ。家で眠っているときには、夢の記憶はまともに残っていない。しかし、外で短時間でも眠るときははっきりとした夢を見るんだ。ほぼ確実にね。
しかも内容に偏りが生まれている。あのころの私は、夢の中でその手にほぼ武器をたずさえていたんだ。そして夢の中で出てきた何かと戦う。
あまりに頻繁に見るものだから、当初こそ驚いてはいたけれど、慣れてしまうと退屈なものへ変わっていった。慣れとは怖いものだ。
そのときの夢は、学校のグラウンドによく似た場所に突っ立っていた。
夢の中の私は自由がほぼきかない。ときおり、言うことをきいてくれたかのように思考とジャストフィットした動きをすることもあるが、オートが大半だ。
夢の中での得物も、そのときによって千変万化する。今回、私の手の中へおさまっているのは、童話の鬼が手にするような、とげ付きの金棒。いや、柄から先端までで、あまり太さは極端に変わっていないから金属バットが近いか。
それを握りながら、ぼんやりと正面フェンスより先の虚空を眺める私の眼に、ぽつぽつと飛翔体の影が映り始める。
いずれも野球の硬式ボールほどの大きさだ。ピッチャーが投げるそれに比べるとかなりゆったりめだが、それでもフェンスを越えてグラウンドへ侵入。高度を落としてきて、私のバットが届くくらいになっても、手前で不時着するまでには至らない。
立っている私の位置を越えて、なお先へゆかんとしていた。そして私はそれを阻む。
夢の中での動きは、さながらブロック崩しの受け皿のようだったよ。左右へ動き回る私はボール状の飛翔体を次々に打ち返していく。
バットに触れた飛翔体は、近づいてきたときの数倍はある勢いでもって、フェンスを飛び越えて彼方へと消えていき、もう戻ってはこなかった。
このときは合計して30ほどを相手にしたと思うけれど、ひとつが脇を通り抜け、ひとつがフォークボールのごとく急激に落ちて、股下を通過していった。
その後にはっと目が覚めて、自分が電車の中でうとうと眠り込んでいたのだと思い出したんだよ。通りかかった駅の名前を見るに、寝入ってからまだ10分も経っていないのが分かった。
久々に、記憶が残る夢だったなあと思いつつ、ごくりと唾を飲み込んでみた次の瞬間には飛び上がりそうな喉の痛みを感じた。
この渇き、このざらつき、そして一度味わったら二度と嚥下などしたくないとさえ思わせる鋭利な苦痛。十中八九が風邪の引きはじめだ。
まずいことになったなあ、と最寄り駅近くのコンビニでのど飴を買い、家へ帰ってからもおっかなびっくりで服を着替えると、早めに休もうかと布団を敷いて、ごろりと横になったんだ。
まさか、また「戦う」羽目になるとは思っていなかった。
夢の中で、また私は立っている。今度はグラウンドでなく、暗い倉庫の中だったよ。
荷物の入った段ボールらしきものが見えるが、いずれも離れたところへ点々と散らばっているのみ。左右のスペースは十分にとれる。
もっとも、先の夢のように動き回らずともいいかもしれない。なにしろ、今回の得物はとげ付きバットではなく、かぎ爪なのだから。
10本の手の指すべてが凶器。しかも、一本一本の長さは私の身長を大きく超えており、両腕を広げて指を伸ばせば、今いるフロアの壁から壁までをほぼカバーできてしまうほどのサイズ。背伸びをすれば天井にも届くかと思った。
こうもアンバランスでは実用性など乏しそうなものだけど、これは夢の中。長大なつくりに反して、動作はそのまま手で引っかくかのごとく機敏で細やか。空気抵抗はじめとした、動作におけるもろもろのデメリットを感じさせない。
このように大げさな装備をつけて、何を相手取ろうとするのか……そう考える私の思考を察してか、にわかに正面の倉庫の戸を左右へ開き、無数の影が姿を見せる。
先のボールを思わせる飛翔体ではなかった。地に足をついている。
全体的に暗がりで分かりづらいが、やや背を丸めて、長い腕をだらりと下げながら「そんきょ」するような足の曲がり。一見して、サルに近い生き物のように思えたよ。
それが5匹、10匹と群れを成して、向かってくる。飛翔体とおなじく、目当ては私自身ではなさそうだ。私をすり抜けるような軌道で、あるいは地を走り、あるいは天井すれすれを伝っていく。物量と時間差の緩急をつけた進撃だ。
私が持つのが、このけったいな得物でなければ通し放題だったろう。しかし、夢の中で私は巨大な十指を巧みに動かし、連中を遮っていく。
この指、振るうだけでも、そんじょそこらの刃物よりも危険なものだ。触れたサルたちは、その一点から深々と切り裂かれるのみならず、一拍を置いてその身が大きく爆ぜる。
サルたち自身の体質か、あるいは指になにかしら仕込みがあるのか。倉庫のあちらこちらへ痕跡を飛び散らせながら、やつらは数を減らしていく。
これもまた30匹ほどはいただろうか。やはりほとんどの動きは自動的で、私の介入できる余地はない。だが、こちらでも逃したやつがいた。
ただ一匹だったが、かぎ爪による縦横無尽な打ち払いをくぐり抜けて、私を越えた奥部へ消えていったんだ。まだ他のサルたちが健在だったこともあるのか、夢の中の私も追うようなことはしなかった。
処理がひと段落し、私もまた動きが止まったものの、ふと思う。
私は自宅での夢が記憶に残らないのだ。外でのうたた寝で見る、この戦うような夢の内容も。なのに、家の中でこの夢を見ているとは、どうしたことか。
たいていは家での睡眠で夢を見るはず。私もとうとう、そうなっただけである……となればわかりやすかったのだけど。
私は目を覚ます。同時に驚いたよ。
そこは家ではない。あの夢で見た倉庫の中と、うり二つの景色だったんだ。
広さや箱の位置だけじゃなくて、あのサルたちがまき散らした体液らしきものも健在。確認できる限り、夢で見たのとほぼ同じ箇所へ引っ付いている。
何事かと、身を起こしかけて胸がずきんと痛んだ。私の服の胸の部分に、三本の斜め線が肩を寄せ合うように並び、生地を割いてその下の肌へ薄く赤い筋を残している。
――あのサルたちの爪、こんな感じだったかな。
夢の中で間近まで迫った個体のいくつかは、このような傷がつけられそうな爪をそなえていたのを思い出す。
またごくりと固唾を飲んで、走る痛みに顔をしかめつつ倉庫を出た私。そこは私の家の近所にある、廃棄されたと思しき倉庫群の一角だったんだ。
確かに家で寝ていたと思ったのに、誰かにさらわれたのか、あるいはここを家だと誤認して迷い込んだのか……いずれにせよ、ぞっとする話だ。
今度こそ家に帰り着いて、ゆっくりと眠ったよ。幸いといっていいか分からないけれど、家族も気づいていないようだったしね。
あの戦い、私の健康ひいては命がかかったものだったのかもしれないな、と考えたりするよ。




