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第1話
うち、ドラゴンになったらしい
「……あれ?」
目を開けた瞬間、最初に思ったのはそれだった。
視界いっぱいに広がっているのは森だった。背の高い木々が何本も立ち並び、枝葉の隙間から差し込む光が地面をまだらに照らしている。風が吹くたびに葉がざわざわと揺れ、どこか遠くでは鳥の鳴き声が聞こえていた。湿った土の匂いと草の青い匂いが鼻の奥に入り込んでくる。
普通の森だ。
でも、何かがおかしい。
その森が妙に低い。
まるで高いビルの屋上から見下ろしているみたいに、木々の天辺がすぐそこにある。
「……なにこれ」
ゆっくり体を動かした、その瞬間。
ズシン。
地面が揺れた。
「え?」
びっくりして視線を下ろす。
赤い。
鱗だ。
しかも、でかい。
日差しを受けて鈍く光る、真っ赤な鱗が腕みたいなものを覆っている。先には鋭い爪。どう見ても人間の手じゃない。
「……は?」
恐る恐る、その腕をもう一度動かしてみる。
ズシン。
また地面が揺れる。
「ちょ、待って待って待って」
慌てて体を起こす。
ドシン!!
今度は森全体が揺れた。木々が大きくしなり、枝葉がざわざわと激しく鳴る。近くにいた鳥たちが一斉に飛び立ち、茂みの奥から小動物が慌てて逃げていく気配がした。さっきまで静かだった森が、うちの動きひとつで一気に騒がしくなる。
「え、今うちが揺らした?」
信じられない気持ちで自分の体を見る。
巨大な胴体。
真っ赤な鱗。
長く太い尻尾。
そして背中には――巨大な翼。
ゆっくり翼を動かしてみる。
バサッ。
強い風が巻き起こり、落ち葉が舞い上がる。
「……いや、なにこれ」
どう見ても普通じゃない。
その瞬間、頭の奥に記憶がよみがえった。
夕方の道。
学校帰り。
スマホ。
LINEの画面。
『明日カラオケ行こー』
『いいねー!』
『放課後集合ね!』
うちは笑いながら返した。
『OK!歌いまくるわw』
その直後。
クラクション。
眩しいライト。
急ブレーキの嫌な音。
振り向いた瞬間、目の前いっぱいに見えたトラック。
衝撃。
「……あ」
思い出した。
「うち、死んだ?」
森の中でぽつりと呟く。
しばらく黙る。
頭の中で、さっきの光景と今の森と赤い鱗が全然繋がらない。
でも、死んだっぽい。
それは分かる。
そして今、めちゃくちゃでかい。
そこまで理解したところで、別の感情が一気に込み上げてきた。
「待って」
「カラオケは?」
明日だったのに。
「ドラマの最終回も見てないんだけど!」
あの恋愛ドラマ、絶対最後くっつく流れだったのに。あそこまで引っ張っといて見れないとか最悪なんだけど。
「てか皆勤賞!」
中学からずっと続けてたのに。
「あと三日だったのに!!」
思わず叫ぶ。
「マジかよーーー!!」
声が森に響き渡った。いや、響くどころじゃない。低くて重い咆哮みたいな音になって、周りの木々がびりびり震えた気がした。
「今のうちの声!?」
やばい。色々やばい。
少し落ち着こうとしていると、水の音が聞こえた。
近くに小川が流れているらしい。
なんとなくそっちへ近づく。巨大な体のせいで一歩一歩がやたら重く、足元の草が踏み潰されていく。
水辺に着いて、そっと水面を覗き込んだ。
そこに映っていたのは――巨大な赤いドラゴンだった。
「……」
しばらく沈黙する。
横から見る。
ドラゴン。
下から見る。
ドラゴン。
上から見る。
ドラゴン。
もう一度水面を見る。
やっぱりドラゴン。
腕を動かす。
水面のドラゴンも腕を動かす。
尻尾を動かす。
水面のドラゴンも尻尾を動かす。
翼を少し動かす。
水面のドラゴンも翼を動かす。
「……」
少し考える。
さらに考える。
そして結論が出た。
「うちじゃん」
その瞬間、視界の端に光る文字が浮かんだ。
《竜の叡智 起動》
「うわっ!?」
半透明の画面が広がる。ゲームのステータス画面みたいな表示だ。
頭の中に、感情の薄い声が響いた。
『説明を開始します』
「誰!?」
『竜の叡智です』
「叡智?」
《種族:古代火竜》
《状態:正常》
《レベル:1》
画面に文字が並ぶ。
「古代火竜?」
『現在のノアの種族です』
「いやいやいや。ちょっと待って。いきなりスケールでかすぎない?」
『事実です』
「昨日まで普通のJKだったんだけど」
『現在は竜です』
「雑!!」
叡智はまったく悪びれない。
『補足します。ノアは死亡後、古代火竜として転生しました』
「さらっと言うなぁ……」
でも、そう説明されると、今の状況には一応筋が通る。死んだ。で、ドラゴンになった。筋は通ってるけど全然納得はできない。
「なんでドラゴン」
『適合したためです』
「その説明で分かるわけないでしょ」
その時、森の奥からガサガサと音がした。
灰色の狼みたいな魔物が姿を現す。普通の狼よりひと回り大きい。唸り声をあげながら、こちらを警戒している。
「うわ、出た」
数秒、目が合う。
その瞬間、口の奥が熱くなった。
「え、なにこれ。なんか出そう」
『竜炎吐息の予兆です』
「予兆ってなに」
『吐けばわかります』
「雑っ」
でも、ほんとに熱い。
我慢できなくて前を向く。
「えい」
ゴォォォ!!
口から炎が吐き出された。
一直線に走った炎が狼を飲み込み、そのまま後ろの木まで燃やした。熱風が肌を打つ。いや、鱗を打つ。
狼は悲鳴を上げる間もなく倒れた。
「うわあああ!!」
慌てて後ろに下がる。
その瞬間、また視界に文字が浮かんだ。
《経験値獲得》
《レベルアップ》
《Lv1 → Lv2》
「え、レベルあるの!?」
『存在します』
「ゲームじゃん!」
《新たな身体制御が解放されました》
「なにそれ便利すぎない?」
ふと背中を見る。
巨大な翼。
「……これ、飛べるよね」
『飛行可能です』
「やるしかなくね?」
翼を広げる。
思いきり羽ばたく。
バサッ。
体が少し浮く。
「お?」
もう一回。
バサァッ!!
体がふわっと持ち上がった。
「え」
地面が離れていく。
木々の天辺が下に見える。
川が銀色の線みたいに光っている。
さらに上へ。
「うわーーーー!!」
テンションが一気に爆上がりした。
「空飛んでる!!」
やばい。
めっちゃ気持ちいい。
風が顔にぶつかる。翼を動かすたび体が前へ進む。落ちる怖さより、飛んでる楽しさの方が勝ってた。
「なにこれ!やば!めっちゃ楽しいんだけど!!」
うちは大きく旋回した。森の上を滑るみたいに飛ぶ。山が見える。川が見える。遠くには煙が上がっている。
その時、視界の先に大きな城壁が見えた。
石の壁。
高い塔。
屋根が並んでいる。
「……街?」
『人間の都市を確認』
「文明あるじゃん!」
一瞬テンションが上がる。
でも次の瞬間、自分の体を見る。
巨大ドラゴン。
翼。
尻尾。
「……いや」
「この姿じゃ無理じゃね?」
どう考えても街に入った瞬間大騒ぎだ。
その時、叡智が言った。
『人間形態に変化可能です』
「え?」
『竜は魔力を用いて人型へ変化できます』
「マジ?」
『推奨します』
「じゃあ早く言ってよ!」
その瞬間。
体が赤い光に包まれた。
魔力が全身を駆け巡る。巨大だった体が一気に縮んでいく。翼が小さくなる。重さが消えていく。ぐにゃっと視界が揺れて、次の瞬間。
地面に立っていた。
手を見る。
小さい。
細い指。
人間の手だ。
「お?」
指を動かす。
ちゃんと動く。
腕を曲げる。
普通だ。
「人間になれんじゃんかー!」
思わず声が出た。
「びっくりしたー!」
胸をなでおろす。
「なんだよー、普通に人間なれるじゃん」
安堵しながら小川を覗き込む。
水面に映ったのは、赤髪の少女だった。
「よかったー」
そう思った次の瞬間。
背中で何かが動いた。
翼。
「……ん?」
後ろを見る。
尻尾。
「……ん?」
頭に手を当てる。
角。
「……」
もう一度、水面を見る。
赤髪の少女。
でも背中には翼。
後ろには尻尾。
頭には角。
「いやいや!!」
思わず叫ぶ。
「中途半端かよ!!」
『竜の人間形態です』
「人間形態って言うには竜残りすぎでしょ!」
『個体差です』
「便利な言葉だな!」
そこで初めて、服を着ていることにも気づいた。
黒いジャケット。
ショートパンツ。
ブーツ。
赤い模様がうっすら入っていて、普通の服より少しだけ不思議な雰囲気がある。
「これなに?」
『竜鱗衣です』
「りゅうりんい?」
『竜の鱗から生成された衣服です』
袖を引っ張る。
普通の服っぽい。
「脱げる?」
『可能です』
「よかった」
『破損した場合も再生成可能です』
「万能じゃん」
そのまま、遠くの街を見る。
城壁。
煙。
人の気配。
風に乗って、かすかに人の生活の匂いまで届く気がした。
知らない世界。
知らない街。
知らない人生。
でも――
「……よし」
肩をすくめる。
「とりあえず行くか」
翼と尻尾を揺らしながら、うちは街へ向かって歩き出した。
こうして、元ギャル火竜の異世界生活が始まった。




