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常盤の薬  作者: 戌主
序章・疱瘡編
3/3

3話 常盤の薬


立河(たちかわ)千日(ちか)は夢を見ていた。


最初は、熱い鉛の中で溺れていた。

頭の内側で何かが煮え立ち、世界が歪み、体だけがひどく小さく、遠くなる。


けれど、ある時ふっと、それが嘘のように引いた。



次に訪れたのは、冷えだった。

骨の奥から冷たさが染み出し、皮膚の内側が張りつめていく。

何かが、内側で蠢いている。


やがて、それは破れ、体から(はえ)が湧いた。

皮膚の上ではなく、皮膚そのものが、別のものに置き換わっていく。





全身が乾き、割れ、硬くなる。

痛みも痒みも、次第に意味を失い、

触れられているのが、自分なのかどうかも分からなくなった。




胎盤にいるはずの赤子も、今はとても静かだった。

あまりにも静かで、

千日はそれを、眠っているのだと信じようとした。




やがて、何も感じなくなっていった。









どれほど時間が経ったのか、千日(ちか)には理解できなった。


依然として千日は夢から抜け出せず、遠い遠い深淵を彷徨っていた。


だがふと、周りの世界が突然変わった。

自分が今いるのは、日祭家の寝殿であり、千日の家だった。

しかし、その家には人は誰もおらず、水面のように揺らいでいたが、空は美しいほどに幻想的で、淡い光で満たされた、白い世界だった。



そんな時、ある旅人に出会った。


最初は、その人が誰だか理解できなかった。


でも、いつもの様に優しく穏やかな眼差しを向けられて、ようやく思い出した。


その旅人は、時義(ときよし)だった。


今際の旅路に、千日の最愛の主が佇んでいた。


「・・・千日。」


久方ぶりに耳にする彼の声は、とても平穏で癒しのある声だった。

千日は彼のおかげでこれほどなく安心し、落ち着きを取り戻した。


「時義、さま」

「わたしは、死んだのでしょうか?」


「・・・そうだな。」


既に千日は気づいていた。

自身はあの時、不治の病に罹り、死んだのだと。


「では、時義様も、」


千日は恐る恐る訪ねた。

胸の奥が痙攣し、頭の奥底が重くなることを感じる。


「・・・俺は死んでない。」


千日は目を見開いた。

同時に、とても幸福な感情が舞い降り、やがて安堵感に変わり行くのが分かった。


「私はこれから、どうなるのでしょうか?」


「・・・わからない。」


言葉が出なかった、そもそもここは何処なのだろうか。

私は既に死んでいるのなら、ここはあの世なのだろうか。

なら何故、亡者ではない時義が此処にいるのだろうか。


「なぁ千日、覚えてるか?」

「俺たちが初めて会ったとき。」


庭に目をやると、幼い頃の千日と時義が一緒に鬼ごっこをしていた。


「あの時は互いに過保護な家に嫌気がさして、二人でこっそり屋敷を抜け出した時もあったよな。」

「俺もお前も、兄弟くらいしか遊び相手がいなかったから、気づいたら一緒にいることが多かったよな。」


「えぇ、あなたが出家してしまったときは、ひどく寂しがった記憶があります。」


「思い返すといい思い出だよな。」

「よくあのクスノキで一緒に木登りしたっけ。」


「乳母に見つかったときは酷く怒られましたね。」


千日の胸には自然と懐かしさの感傷が満たされていった。


「俺が元服を控えたとき、あのクスノキのしたで告白したな。」


「・・・いい思い出です。」


千日の胸には幸甚(こうじん)の感触があったが、同時に得体の知れない不安感が彷徨っていた。



「なぁ千日」

「・・・俺はここで待ってようと思う。」


「・・・え?」

「あの、仰っていいる意味がよく、」


時義は酷く申し訳なさそうな表情を浮かべて、詫びるように千日に話しかけてきた。


「どんなに時間がたっても、俺はずっと待っている。」

「・・・だからどうか、迎えに来てほしい」


千日には時義の言葉は理解できなかった。

しかし、今一度聞き直そうとしても、何故か喉から声が出ることはなかった。


そして千日は次第に、時義が遠くに行ってしまうことが感じ取れた。

必死に手を伸ばし、追いかけようとしても、体が動くことはなかった。


彼は最後に、最愛の妻にこう告げた。










「また明日」











見慣れた天井が目の前に広がっていた。

自身は屋敷の床に臥せ、傍らには時義(ときよし)の弟である琥珀(こはく)が涙を堪えながらこちらを見ていた。


「・・・義姉(あね)上。」

「よくぞ、ご無事で。」


千日の意識は酷く朦朧(もうろう)としていて、

自分が病に臥せていたこと、時義が夢の中で話しかけてきたことを思い出すのに、しばらく時間がかかった。


そしてすべて思い出したころ、反射的に自身の腹に手を当てた。

膨らんでいたはずの腹に生気は無く、無情なほどに萎んでいた。


千日は心音を加速させながら、悲鳴を押し殺したような声で、琥珀に問いかけた。

「・・・こ、子供は?」


琥珀から向けられた悲壮な眼差しで千日は察してしまった。


「・・・申し訳ございません。」


その瞬間、世界が暗転するのが分かった。

千日は生まれて初めて悲鳴を上げ、驚くほどに目から涙が溢れ出てくるのを感じた。





〇●〇







意気消沈している自身の義姉を見て、琥珀は心を痛めた。

琥珀から()()を告げられた後、彼女は一度たりとも言葉を発することはなかった。


兄者は、姿を消した。


一月ほど前、琥珀は兄からある()()()をされた。

そして兄から、とある薬をもらった。


兄者が言うには、その薬は「常盤(ときわ)の薬」というらしい。

なんでも、その薬を飲んだものは決して老いることも、死ぬこともなくなる。


飲ませれば、たとえ一度死んだ者も、再び現世へ呼び戻すことができる不老不死の仙薬らしい。


琥珀は最初、兄がおかしくなったのだと思った。

不死の仙薬など竹取物語に出てくる空想の産物でしかないからだ。


しかし実際、兄が消えた後、琥珀が千日の体に薬を投与したら、彼女の体は息を吹き返した。

周りの家臣たちも、目をひん剥かせてた。


いくら兄上が優秀な薬師であったとしても、死んでから一月は経っている死者を蘇らせるなど、まさに空想に他ならないからだ。


この薬を使えば、より多くの人間を救うことができるだろう。

数多の者が喉から手が出る程の産物であろう。


しかし兄者は、琥珀以外にその薬の作り方を告げず、家を去った。


兄者が姿を消した後、千日はずっとクスノキの前に呆然としながら突っ立っている。

この前など、雨が降ってきても何も発せず夜まで立っていたため、門兵に頼んで千日を屋敷に押し込んだこともある。


琥珀を含め、未だ彼女を救えないでいる。






〇●〇





どれほど年月がたったのだろう。

来る日も来る日も、立河(たちかわ)千日(ちか)はクスノキの下で待ち続けていた。


山の色が幾度と変わり、集落が段々と大きくなり、子供たちもやがて大人になっていった。

それでも千日の姿は、17歳の時のまま変わらずにいる。


彼は今、どこにいるのだろうか。

彼が夢の中で告げた、「また明日」という言葉は、真実なのだろうか。


意識が戻った後、琥珀から何かしらの説明を受けた気がしたが、一向に頭の中に入ってこなかった。


唯一理解できたのは、千日の子供が死んだこと。時義が姿を消し、未だに表れていないことだけだった。



「もう、いいかな。」



時義は、亡くなったのだろう。。

彼が姿を消したのは、私に死んだ姿を見せないためなのかもしれない。

あの時見た光景は、千日自身の幻想だったのだろう


そうなれば、自分が永遠とクスノキに突っ立っていても意味がない。


そう、意味がない。


意味がないのなら―――。



義姉(あね)上」


振り返ると、時義によく似た青年が佇んでいた。


「あぁ、琥珀君」


「いえ、今しがた元服(げんぷく)を終えました。」

「今の私の名は日祭(ひまつりの)守継(もりつぐ)でございます。」


青年となり、千日と見た目の年齢が同じくらいになった守継(もりつぐ)は、時義(ときよし)とよく似た精悍で逞しい武将になっていた。


「只今より、下総(しもうさ)(のくに)に行き、(たいら)将門(のまさかど)の戦乱を鎮圧して参ります。」

「死闘になることが考えられますゆえ、姉上にご挨拶をと。」


「・・・そう。」

「気を付けてね。」


我ながら素っ気ない返事だなと感じた。

千日は昔から自身の臆病で気が弱い性格に嫌気がさしていた。


「・・・兄上は、未だ戻ってきませぬか?」


「・・・そうだね。」

「でも()()()、あの人は、もう。」

「いないんじゃないかな、、、」



そう千日が告げると、守継は酷く驚いたような顔をした。


「義姉上は、兄者がもう亡くなっていると思っておられるのですか?」


「・・・そうだね。」

「今までは考えたくなかったけど。」

「もう数年現れないってことは、多分、、、、」


守継はその言葉を聞き、ひどく悲壮な顔をした。

そして、何故か哀れみの眼差しを千日に向けてきた。


「・・・義姉上。」

「・・・兄上は、死んでいないのではないですか?」


守継の言葉に、思わず千日は「え?」と言ってしまった。


「兄上は、常盤(ときわ)の薬を()()作っておられました。」

「そして、私に渡された薬は一つだけでした。」


「それってつまり、」


「常盤の薬のもう一つは兄上が持っていて、おそらく兄上は自身に使ったのではないでしょうか?」


守継の言葉に、千日は興味と興奮が抑えられずにいた。

失っていた太陽の光を再び得たような気持になった。


「夢の中で、兄上に告げられたのでしょう。」

()()()()。と。」

「兄上は、今も義姉上を待っているのではないですか。」


守継の言葉は千日を励ますためのウソなのかもしれない。

そんなわけはない、と頭の中では思考は渦巻いていた。


「どうか、兄上を迎えに行ってはくれないでしょうか?」


守継の言葉に、千日は涙が出そうになった。

主を失い、何年も家のお荷物となった千日にこれほど優しい言葉を投げかけてくれる慈将はいないだろう。



「ごめんなさい、守継さん。」




もう、希望を見るのはごめんだ。

ありもしない希望など、いらない。


彼女は守継の目を見なかった。


「・・・左様でございますか。」


そう言葉を発した守継は、どこか悲しそうなそして安心したような顔を浮かばせていた。


「では改めまして。」





「行ってまいります!義姉上!」


張りのある朗々(ろうろう)とした声音だった。

千日を離れるその後ろ姿は、とても勇敢で逞しく見えた。


クスノキの葉が一枚一枚と落ち始め、黄昏時を迎え始めた頃

千日は義弟の最期を見送った。




挿絵(By みてみん)

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