1話 日祭の者
16歳となり、今しがた元服の儀を終えた旭丸はそそくさと自身の対屋に戻り、動きずらい礼装を脱ぎ捨ていつもの軽装に着替える。
彼の実家は皇族でもないのになぜが元服を正月にやりたがる。
冬場は日暮れが早いので、すでに部屋の中は真っ暗だった。
西の寝殿に目を向けると、顔触れがほとんどない親族たちが盛大に宴をやっている。
元服に出される魚料理は好物なのだが座席や料理、お酒の提供に厳格なルールがあって楽しくない。
何より彼は酒があまり好きではなかった。
これ以上酒を飲まされまいと厠に行くと称して逃げ出してきたのが我ながら賢明な判断だったと思う。 今でも顔が紅潮し、頭がクラクラする。
持ち出してきた水を飲み干し、椅子にもたれる。
薬棚から漢方を取り出す。五苓散という、酔い止めに効く薬だ。
宴の主役がいなくなっても彼らは恐らく気付かないだろう。
退屈なので本でも読もうとしたら、部屋の入口に一人の女が佇んでいた。
「ここにおられましたか、時義様。」
「千日もその名前で呼ぶんだな。」
女の名は立河千日。
旭丸の護衛であり、許嫁だった。
千日の実家である立河家は旭丸の実家である日祭家を代々護衛する一族だった。
千日はそんな家の長女に生まれ、生まれながらにして日祭の嫡男である旭丸に生涯務めることが義務付けられた。
旭丸はそんな彼女が好きだった。
幼い頃から苦楽を共にし同じ屋敷に生まれた乳兄妹は、人見知りだが、朗らかで慈悲深く、誰よりも忠誠心が強い。そんな紳士な少女だった。
自身が先月、妻問婚もせず彼女に求婚してしまっても、彼女は嫌な顔せず、優しく受け入れてくれた。
「改めて、日祭家の当主御就任。おめでとうございます」
「・・・俺はあまり気が進まないんだけどな。」
「時義様は、皆様にとても慕われておられます。」
「日祭家の嫡男だからではなく、時義様であるから、皆あなた様に当主になって頂きたいのではないでしょうか。」
「・・・時義、、、、か。」
「ずいぶん仰々しい名前貰らっちゃったな。」
そうだ、自分はもう旭丸ではない。
元服で新たな名を賜り、日祭の当主となった今では、別の者として名乗らねばならない。
日祭家の当主、日祭時義だ。
時義は覚悟せねばならない、日祭の長として、この地を、この家を、そしてこの妻を、護らねばならない。
〇●〇
飼い犬と戯れている自分の主を見て、思わず立河千日は笑みをこぼした。
先月元服を迎えた日祭時義は以前と変わらぬ面持ちで周囲に接していた。
唯一の愚痴といえば彼の部屋が東側の対屋から中央の寝殿に移ったことだった。
彼は、自分の部屋から見えた大きなクスノキが見れなくなることをひどく残念がっていた。
時義は東門にあるクスノキが昔から大好きだった。
幼い頃は千日も彼と一緒に大きなクスノキで遊んだものだった。
しかし、東門は正門であり、敵が攻めてきた時に真っ先に狙われるであろう場所だった。
妻であり、護衛でもある千日としても中央の寝殿にいたほうが護りやすいと思った。
「千日、そこの棚に入ってる薬草とってくれ。」
「あぁ、はい。」
当主となった時義が寝殿で何をしているかというと、薬の調合だった。
時義は昔から植物や虫を集めることが好きだった。
千日は植物はともかく、虫はあまり好きではないのだが、時義の調薬を手伝う内に虫にも慣れてしまった。
当主として体たらくだ。とでも言われそうだが、現状そんなことを嘆く人間はこの家どころか、この地の民であっても、誰一人として口にしない。
というのも、時義の薬学はそこら辺の薬師の腕をはるかに凌駕していた。
薬師としての師を持たないのにもかかわらず、納屋にあった漢方の本を読み込むだけで、風邪薬や肥料などをありあわせの物から作ってしまう。
かつて、この地に瘧という流行り病が訪れたとき、昔手に入れたと言っていた樹木の樹脂から治療薬を作り出し、朝廷から勲等を貰ったこともあった。
しかし、薬師の腕はあれどこうして堂々と薬の研究に没頭できるのは彼の優れた人格があってのことだろう。
誰よりも強く、優しく、思慮深い彼のことを、千日も含め、皆慕っている。
薬の調合がひと段落すると、時義は床に大きく寝そべっていた。
「お疲れ様です。」
「これは防虫剤ですか?」
「あぁ、そろそろ春になるだろ?」
「クスノキから樟脳がとれたし、ちょうどいいと思ってな。」
「もう夜遅いです、そろそろお休みになられては。」
「・・・そうだな。」
千日が薬品道具を片付け、畳を敷き、寝る準備をしていると、ふと時義に左手を掴まれた。
何も言わず、珍しく年相応の少年のような淡い表情を浮かべ、右頬を少し紅潮させる夫を一瞥し、千日は察する。
几帳を降ろし、二人は向かい合う。
時義の大きな左手が、千日の小さな手と重なり合う。
今だけは護衛としてではなく、妻として、彼を受け入れる。
冬場だというのに体は熱くなりながら、二人の境界線が曖昧になる。
異物が体に入り込んでくる感覚を、最初は激痛を伴いながら、徐々に快楽へと変わってゆく。
申し訳なさそうな顔を浮かべながら頬を赤らめる自分の夫からは、普段の強く頼もしい姿はなく、今だけは自身の弱い部分を文字通りさらけ出してくれているのだとわかる。
そんな自分の夫を、千日は必死に受け止める。
16歳にして初めての営みは、とてもぎこちなく、そして互いの愛情を大きく深めるものだった。
〇●〇
紅葉の落ち葉が池に浮かび、気持ちの良い風が千日の体を撫でまわす。
夏の蜩は姿を消し、武蔵の国は秋を迎えた。
縁側で本を読んでいるだけで、とても心地よい風情になる。
ここのところ、千日は護衛としての任を降りた。
本来、妻が夫の護衛をすることはあまりないことであったというのもあるが。
もっと大きな理由があった。
今、千日は二つの命を宿していた。
千日が身籠ったことがわかったのは、二人が一つになった晩のおよそ八月ほど後だった。
千日に月の巡りが途絶えていたことで、都から医者を呼びつけたら、予想通り懐妊していた。
傍らにいた時義は嬉しいのか今まで見たことのない表情で涙を流していて、千日のことを、これでもかというほど、強く抱きしめてくれた。
着心地がよく、ゆったりとした略装に身を包み、庭の池を眺めていると、ふと横から精悍な顔をした青年が歩いてきた。時義だ。
時義は千日の隣に座ると、懐から一輪の花を取り出し、千日に渡してきた。
色鮮やかな丸い苞を持つ小さくてかわいらしい花だった。
「この花は?」
「んーーとな。」
「名前は俺も分かんねぇんだ。」
「じゃあ、この花は、、、」
「異国の友人がくれたモンだよ。」
「あぁ、確か、前に瘧の薬を作ったときに」
「ああ。あれもあいつからもらったモンだよ」
「あんなに役立つなら、種と栽培方法聞いときゃよかったな」
「それで、この花は、、、」
「あぁ、その花な、実は―――。」
そう言いかけたところで、後ろから時義を呼びつける大きな声が聞こえた。
声の主は時義の弟である、琥珀だった。
「兄上、大変です!」
「どうした?琥珀。」
「京の都で、延喜帝が、・・・崩御されました。」
「なに?」
「死因は?」
「それが、、、疱瘡だと言われています。」
それを聞いた瞬間、時義の首筋が硬直することが、千日にも分かった。
疱瘡は平安の世において、患ったものは生きて帰れないと言われた、魔の病だった。
「・・・交通規制を強化しろ。」
「・・・商人、役人、たとえ受領であろうとも、流行り病が落ち着くまで、誰一人武蔵に入れさせるな。」
「わかりました。」
〇●〇
日祭時義は知っていたのだろう。疱瘡という病の恐ろしさを。
だがそれでは足りなかった。 彼は選択を誤った。
この時の彼はまだ知らない。
1年後、彼が愛した妻と子供が、病によって、この世を去ることを。




