ママ友仲間外れアプリ
とあるタワーマンション内の会議室に、住民の妻たちが集まっていた。その中の一人、高級品を身にまとった麗華が、ある女性を見下ろし、吐き捨てるように言った。
「それじゃあ…、このリストに書かれている項目。2階の法子さん、やっといて。」
「嫌です」
法子のその一言に、その場にいる全員が息を吞んだ。もちろん麗華も例外ではない。この私の、この女達の中で確実にトップであるこの私の、思い通りにならない人間がこの世にいるのか。とでも言いたげだ。
「なんですって?」
麗華が動揺しても、法子は決してひるまなかった。堂々と胸を張り、キッと麗華を睨みつけて反論した。
「それ、前回も私がやりましたよね。あと、前から思っていたのですが、麗華さんは自分勝手なところがあります。」
予想外の反撃に震える麗華の様子を確認しつつ、法子は続けた。
「それが人に物を頼む態度ですか?」
「な…何生意気言ってるのよあんた!」
麗華の怒りは遂にピークに達した。大人しく私の言うことを聞いていれば良いものの。
「最下層住民のくせに!こっちは最上階に住んでるのよ?」
これでいい。これで黙らない人間は今までいなかった。法子も自分の立場を思い知るといい…
「だから何です?」
「えっ?」
思いがけない言葉だった。あまりに意外すぎて、素っ頓狂な声を出して自分のイメージが崩れないか心配になったほどだ。
「麗華さんが最上階に住めるのは、麗華さんの実力なのですか?」
一方の法子は、一旦落ち着いて一呼吸し、理路整然と述べ始めた。
「麗華さんが最上階に住めるのは、ご主人がエリートでお給料が高いから。麗華さんご自身は専業主婦だ…いつも自慢気に話されていますよねえ?」
微妙に延ばされた語尾を、その場にいた妻達は決して聞き逃さなかった。もちろん麗華も。だからこそ、室内には緊張が走った。法子は構わずトドメを刺す。
「ま、私の場合は。サラリーマンの夫の年収だけじゃなくて、作家である私の印税もあるから。辛うじてここの最下層に住めるんですけど」
文節や語尾をさり気なく区切ってくるその言い方に、侮蔑すら感じられる。しかし語られているのは全て事実なのだ。悔しいが麗華もそれを認めざるを得ない。
「あんたねぇ…この私に、そんなこと言って許されるとでも思ってんの?」
しかし麗華は余裕の笑みを見せている。
「おたくの息子の、守くん。確か、うちの優香と幼稚園で同じクラスだったわよねえ?」
そう、彼女にはまだ切り札があるのだ。もったいぶるように麗華は続ける。
「優香は私と同じく、幼稚園でもカーストのトップだから、私の指示でいつでも守くんを仲間外れにできるのよ?」
今度は麗華が一旦一呼吸して、文節や語尾を区切りながら、語尾を粘っこく伸ばす番だ。「法子さん、さすがに謝った方が…」
さすがに周りも黙っていられず、遂に安藤という主婦が法子に助言した…のだが、この後の法子の台詞に誰もが息を呑むこととなる。
「ご自由にどうぞ」
法子の声は、少し高くて喜んでいるようにすら聞こえた。先程素っ頓狂な声を出しそうになった麗華も、今度は大きな驚きのあまり絶句してしまった。
「守は、一人でも遊べる子です。それに、万が一ですよ?」
室内には、法子の落ち着いた声が響く。
「万が一、優香ちゃんが守を好きだったらどうするんですか?貴女のつまらないエゴで、大切な我が子の幸せを傷つけるのですか?…貴女はそれでも親ですか?」
気付くと麗華すら聞き入っていた。
「あと、何故か分からないんですけど、うちの守って」
法子は一旦区切り、満面の笑みを浮かべ、大袈裟にこう告げた。
「誰からも愛されるんですう」
* * * *
会議室の喧騒とは打って変わって、エレベーターホールは静まり返っていた。
自分の部屋へ向かう法子の後ろから、誰かが彼女に声をかけた。振り返ると、先程謝罪を促した安藤と、彼女と仲の良い住人である遠野と今村が立っていた。
「あ、安藤さんたち。お疲れ様です。」
法子が愛想よく挨拶した途端、安藤が身を乗り出し、感極まったように叫んだ。
「私…感動しました!」
「え?」法子が呆気にとられていると、遠野と今村も後を続けた。
「実は私、麗華さんが苦手なんです。」
「でも、うちの子も優香ちゃんと同じクラスなので。仲間外れにされたらと思うと…」
「そうだったんですか…」
法子にとっては意外でもなかった。やはり、そういうことだったのか。
* * * *
優香と共に幼稚園から帰宅し、寛いでいたとき、麗華は自分の娘に言い聞かせていた。
「優香ちゃん。もう守くんと遊んじゃだめよ。」
「いやー!守くん、優しいんだもん!」
優香が珍しく反抗した。いつもはママの言うことを聞くのに。こんなときに限って、困ったものだ。
「仕方ないわえ」
そう呟きながら、麗華はスマホであるアプリを立ち上げた。そのアプリの名は…
『ママ友仲間はずれアプリ』
スクリーンには、優香のスナップ写真を使ったプロフィールが映し出された。右上のメニューボタンを押すと、「仲間はずれにする相手を設定する」という、恐ろしい文字列が現れる。
麗華はそれを選択し、「名前を検索」で『前田守』と平仮名で入力した。候補が何人か出てきたので、同じ幼稚園の同じ組の子を選び、「前田守 を仲間はずれに設定しますか?」というメッセージに対して「はい」を押した。
こうすれば、優香の目も耳も、守の姿や声を一切認識しなくなるのだ。つまり
ーーー強制的に守を仲間はずれにできる…
* * * *
後日、会議室で再び会合が行われた。前回とほぼ変わらぬ光景であるーーー法子がいないことを除いては。
「法子さんは、いないのね。」麗華も相変わらずであった。
「じゃあこのリストに書かれていることは、3階の安藤さん、やって。」
「嫌です。」
「はぁぁっ?」
麗華は人を子馬鹿にする言い方しかできないのだろうか、と思いたくなるほど、前回と全く同じ流れだった。相手が変わっただけだ。そして、言われた側の毅然とした態度もまた、前回と同様だ。
「以前に法子さんも言っていましたが、麗華さんは自分勝手なだけじゃなくて、傲慢なところがあります!」
遠野と今村も援護する。「しかも、階数で私達を判断して、私達を馬鹿にしていませんか?その割にご自身では特に成果も上げていないじゃないですか。」
「麗華さんのその態度、私はもう我慢できません!」
今村の言葉に対し、その場にいた全員が「私も!」と賛同してくれた。更に安藤が思い切って続けた。
「私達、法子さんから勇気をもらったのです!」
その場にいる誰も、麗華に味方する者はいなかった。それを察し、麗華は啖呵を切って部屋を出た。
「そこまで言うなら、あんた達の子供、みーんな仲間はずれにしてやるから!」
返ってきたのは「どうぞ!」の大合唱だった…。
* * * *
「ふふふ…。馬鹿ねあいつら。私にはこのアプリがあるのに…」
* * * *
次の日。麗華は幼稚園まで優香を迎えに来ていた。
「優香ちゃーん。迎えに来たわよぉ。」
それに応えたのは、泣きながら走って来る優香だった。
「ゆ、優香ちゃん?どうしたのっ!?」
「ママぁ。先生ってばひどいんだよお。」優香は泣きながら説明する。
「今日、教室に誰もいなかったのに、先生が『どうしてみんなと遊ばないの?』って聞いてくるんだよお~?」
「え…」麗華の背筋に冷や汗が流れる。
「今日、優香独りぼっちだった。寂しかったよお。うわああああん!」
「はっ…、そうか。そうだったのか…」
夕べ「仲間はずれ」に設定した住民の子供たちは、みんな優香のクラスメイトだったのだ。アプリで設定したせいで、優香は、クラスメイト全員の姿を見られなくなったのだ。
「仲間はずれになったのは、優香の方だったのね…」
麗華は虚ろ気に呟いた。
ー完ー