気になることは
街中を歩いていると、たまに署名を乞われることがある。何かの運動を熱心にやっている人達からお願いされる。共感できる内容だった場合、以前は応じることもあった。しかし、今は大抵素通りしてしまう。
平成15年に個人情報保護法が公布されることになると、その少し前から、個人情報について世間でも話題になってきていた。思えば、それまでは個人情報の大切さに、無頓着な人が多かったのではないだろうか。私もその一人なのだが。
個人情報と言えば、少し前にニュースになった、USBメモリーの紛失事件には驚かされた。強制的に個人の情報を集めている役所なのに、集めた情報の管理方法について考えられないような杜撰さが露呈し、驚きを通り越して呆れさせられた。名前や住所だけでなく、銀行の口座番号なども含まれていたようで、巧妙な詐欺なども蔓延る昨今、何をどんな風に悪用されるかわからない。今回はそのような被害はなかったみたいで一安心ではあるが。でも、よくよく考えてみるとあれは氷山の一角で、我々が知らないだけでひょっとしたら似たようなことが、あちこちで起きる可能性があるのかも知れない。それを思うと心配が募るが、失敗を繰り返さないような改善策を講じるべきだ。
個人情報については、たまにテレビを見ていても、他人事なのに心配になることがある。山奥の一軒家の住人の生活の様子をつまびらかにする番組がある。似たような別番組もあるのか、田舎で暮らす善良な人達が、全力で取材に応じている様子が度々放送されている。目標とする一軒家に辿り着くまでの道が狭くて、車の運転が大変な様子は、定番の見せ場になっているようだ。いざその一軒家へ着くと、大抵は高齢の方々が少人数で住んでいる。一人暮らしも珍しくないようだ。そして、番組はその住人について、微に入り細に入り取材を重ね、毎日の生活はおろか、現在に至るまでのその家の歴史などにまで深入りする。驚くことにどの家でも、取材に対してとてもウエルカムな様子なのだ。まあ、取材拒否の家は放送はされないので、必然的にそうなってしまうのだろうが、あんな風に何もかもあからさまにしてしまって、その後の生活に支障はないのだろうか?
詳しい住所などは明かさないにしても、だいたいの地理的位置などは推測できそうなのが、全く関係のない人達のことなのに心配になる。そこに何人の家族で住んでいるとか、その生活ぶりについても、かなり詳細な内容になっている。また、住人や家族の過去の写真までも出してきたりする。見ていて思うのは、あそこまで詳しく伝える必要があるだろうかということ。必要以上に個人情報を露出しているのではないだろうかと思えて仕方がない。勿論当の住人の了解と協力を得ていることだろうし、そればかりか一軒家に住んでいる人達は皆一様に取材を歓迎しているようだから、こちらが何かを言う立場にはないとは思う。価値観はそれぞれであって、ひょっとしたら私の方が考えすぎなのかも知れない。その考え過ぎの思考によると、メリットよりもデメリットというか、リスクの方が大きいとしか思えないのだが。
ネットニュースを見ていても、こんな個人情報を露出して良いのかと思われる記事がある。例えば女性タレントの方の御子息について。内容を読まなくてもタイトルだけでだいたいの状況が分かるのだが、受験をしたとかその結果がどうであったかなど、度々出ていた気がする。どの様な経緯でそうなったのか分からないが、有名人の息子だと言っても、試験の当落までも世間に公表する必要があるのかと、不思議で仕方がない。また、その情報は需要があるのだろうか。
個人的に個人情報には、日に日にとても敏感になってきている。それほど考えなくても良い事なのかも知れないが、自分の名前や生年月日、住所、電話番号などを、外でできるだけ書きたくない。利用するお店によっては、書かざるを得ない時もあるが、その場合もできるだけ必要最小限度にしたい。例えば年齢と生年月日の両方を書く欄があっても、年齢だけを書いて、生年月日は書かない。病院など以外では、あまり必要がないのに、欄を設けているのが困る。
個人情報保護法ができてから、以前はあまり問題にならなかったことも、良きにつけ悪しきにつけ、脚光を浴びるようになった。保護は確かにされなければならないのだが、一方でちょっとしたことにも 法律が盾となって面倒くさいこともある。でも、特にネット社会になってからは、厳重に守られる必要に迫られている。
街中で行われている署名活動の方法が、以前と同じなのかどうかわからないのだが、方法が変わっていないのなら、署名で集めた名簿こそ、個人情報の宝庫になるのではないのか。世の中には、こんなふうに拘って考える人もいるのだ。