キミが幸せになれるわけないじゃん!――EP.8
[You can't be happy! ――EP.8]
かくん、と項垂れたと思ったら、額を俺の胸に押し当てた。
そのままの姿勢で言う。
「私、兄さんの妹で良かった」
「――!?」
これ以上、兄冥利に尽きる言葉があるか。
蝉の声が聞こえなくなった。
鼓動が速くなる。
胸にかかる心地よい重み。
そして、命の息遣い。
今、世界に存在しているのはそれだけ。
惜しむべきは、命の表情がうかがい知れないことか。
ずっとこのままでいたい。
そんなことを思う。
しかし、
「チッ」
いつの間にか、背後に男が立っていた。
「あ、どうも……」
俺が慌てて道を譲ると、
「……っ!?」
命は頬を赤らめながら顔をそむけた。
男は、俺たちと目線を合わせることもなく、廊下を歩いて言ってしまった。
彼もこのアパートの住人。
お隣さんだ。
とは言え、互いに名前も知らない。
こちらから挨拶をしても返ってきたことはない。
あとは時々、壁を叩かれるくらいか。
お隣さんが去ってからしばらくして
「兄さんっ」
俺の裾を引っ張って命は抗議する。
頬をふくらませながら。
「廊下であんなことしたのは、貴方じゃないですか」
などとは言い返せないけれど。
◆
カルビ、ロース、タン、ホルモン、ミノ。
狭いちゃぶ台を埋めつくすように並んだ肉たち。
もちろん全てアメリカ産。
しかし、壮観。
「兄さん! 舶来ものですよ!」
「……そ、そうだな」
牛肉に関して言えば国産の方が高い。
普段、牛肉なんて買わないから失念しているらしい。
もちろん、わざわざ訂正なんて野暮なことはしない。
「最近、頑張っていたのはこれのためですか?」
「まあ、一応」
「無理だけはダメですよ」
「当然」
「本当にダメですからね?」
「最近さ、効率よく稼ぐ方法が分かってきたんだ」
ツヅリのおかげだ。
「そうなのですか?」
「ああ。これから、もう少し余裕もできると思うよ」
「流石は兄さんなのです」
命は手のひらを顔の前で合わせる。
「目途が立ったよ」
「目途、ですか?」
今の成績を維持しながら高校を卒業。
奨学金を獲得した上で大学に進学。
そして、真っ当な職に就く。
それが俺の計画だ。
しかし、一番の懸案事項はそれまでの生活費だった。
職に就くまでの数年、きちんと生きていられるか。
食べて行くにも金が要る。
ただ、それにも目途が立った。
俺は強くなったから。
【計画】で、十分な金を稼ぐことができる。
「くぅ~」
その時、命がお腹を鳴らす。
「命さん?」
「聞かなかったことにして欲しいのです……」
「わ、悪い。食うか」
山盛りの肉を前にして、これ以上は我慢の限界だった。
ホットプレートをコンセントに繋ぐ。
1分ほどで温まる。
牛脂を落とせば雪のように溶ける。
香ばしい香り。
「「んんっ!!」」
思わず声が漏れる。
チャイムが鳴ったのはそんな時だった。
命が窓から外を伺う。
「あ。お隣さんですね」
顔見知りだから、という油断が在ったのかもしれない。
「私が」
そう言って立ち上がる命に、
「悪い。頼む」
と答えてしまったのだ。
「はい。今、出ますね」
扉を開けた姿勢で命が固まった。
「どうした?」
問いかけると、彼女は首だけで振り向いた。
ぱくぱく、と口を動かす。
「兄さん」
そう言おうとしたのか。
声の代わりに口から零れたのは、赤い血の泡だった。
「……命?」
刃は、彼女の胸に深々と突き刺さっていたのだ。
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総資産:1,881,004(日本円)




