キミが幸せになれるわけないじゃん!――EP.7
[You can't be happy! ――EP.7]
ツヅリと目が合った。
声を合わせて言う。
「「生活懸かってんだよ。こっちは」」
ツヅリが笑う。
別れはこれで済んでしまったのだ。
◆
陽炎に揺れる廃墟の街。
自転車を漕ぎながら、遠くに東京市街が見えた。
摩天楼。
そんな言葉が相応しい。
高さ数百メートルにもおよぶ人工物が、青い夏空に突き出している。
「天を摩るは言い過ぎだよなぁ……」
呟いた声にあくびが混ざる。
人が必死に積み上げた塔も、背後の入道雲に比べればちっぽけだ。
東京の南東部。
大田区のはずれに我がボロアパートは在った。
そこから命を後ろに乗せて、自転車を漕ぐこと30分。
多摩川の河口付近に大田市場は在った。
「いつ来てもすごいのです」
命が言う。
広大な敷地には無数の露店が集まっている。
上空から見れば巨大でカラフルなモザイクのように見えるだろう。
大田市場。
鮮魚が取り扱われていたのも昔の話。
この辺りがスラム街になってからは廃棄された。
跡地を不法占拠して形成された市場。
外周区最大の商業施設となっていた。
生鮮食品から日用品。
海賊版やコピー品といった違法な品々。
噂では、麻薬や銃火器も取引されているとか。
あくまで、噂だけれど。
「「人間以外はなんでも揃う」らしいですね?」
大田市場のキャッチコピーだ。
誰が言い出したかは定かではない。
「流石に嘘だと思うぞ」
「ですよね」
「ああ。ここなら人間も揃うだろ」
「兄さん!」
「冗談だよ」
笑い飛ばすが、そうとも言い切れないのが大田市場の凄いところ。
限界まで詰め込まれた露店と、行き交う人混み。
肩を触れずに歩けない。
「命。手」
「え? あ」
「はぐれたら会えないだろ。悪いけど、少しだけ我慢してくれ」
「我慢だなんて、そんな……」
歩くこと10分。
目当ての店に辿り着く。
用途不明の機械類が所狭しと並んでいる。
そんな部品の1種類のように、店主が収まっていた。
何年も切っていないぼさぼさの髪。
小柄な爺さんだ。
歯は何本か欠けている。
極度の猫背で、会話中も目は合わない。
「爺さん。来たぞ」
俺が声をかけると、ほんの一瞬、顔を上げて
「おう」
と小さく言った。
「頼んでた物は」
「あるよ」
爺さんは部品の間から、黒い板を引っ張り出す。
「兄さん。これは?」
「ホットプレートだよ」
この爺さんは、夢の島で壊れた家電を拾っては修理して売っている。
もともとは技術者だったらしいが、先の大恐慌で外周区に流れたらしい。
腕は確か。
そして、何より
「幾らだよ?」
「1000円」
「安っ!」
安いのだ。
「商売やってけんのかよ?」
「元手はタダだ」
「弟子入りさせてくれねーかな?」
「前も言っただろ。最近は複雑な家電が増えた。オレにも直せるヤツは減ってる」
ボソボソと答える。
近頃は、羽根を回せば良いだけの扇風機にも人工知能《AI》が搭載されていたりする。
爺さんには直せないらしい。
おかげで、この前も扇風機は在庫切れだった。
「アナログの時代は終わったよ」
爺さんは言う。
「一生の仕事にはできないか。……まあ、お代」
携帯端末を取り出す。
「現金で」
「あ、そうか」
現金が使われている店も珍しい。
若干、シワのついた1,000円札を渡す。
爺さんはそれを受け取ると、
指でこすって感触を確かめ、
匂いを嗅ぎ、
それから懐に納めた。
「毎度」
交換にホットプレートを受け取る。
その様子を、命はじっと見ていた。
◆
「不思議ですよね」
帰り道、自転車の荷台で命は言った。
「何が?」
「お金が、です」
「あー、そういう……」
1,000円札。
あの紙切れと引き換えに、荷物カゴには小型のホットプレートが収まっている。
ただの紙と、加熱調理できる機械。
価値が釣り合うはずがない。
しかし、現にこうして交換は成立した。
「昔は金に替えられたのですよね?」
「ああ。金本位制だな」
金本位制。
1,000円札を持っていけば、1,000円分の金と交換してもらえる。
だから、ただの紙切れが価値を持つ。
そんな制度だ。
「2学期の内容だろ。もう予習してるのか?」
中学の社会科で学ぶ、地理、歴史、公民。
その中でも公民で扱う内容だ。
「東雲家には素晴らしい先生がいますからね。今のうちに予習をしておこうかと」
「素晴らしいかはさておき、分かる範囲で答えるよ」
「それでは遠慮なく。……なぜ、金本位制は廃止されたのですか?」
「金が足らなくなった」
自転車を漕ぎながら答える。
金と交換できるということは、金と同じ分しか紙幣を造れないからだ。
しかし、文明が発達すれば、行きかう金は無限に増える。
一方、地面に埋まった金は有限だ。
金が不足するのは明らかだ。
「そして、金の代わりが計算なのですね」
「そうだな」
一時期は、管理通貨制度(※リアルの世界で使われている制度)が導入されたこともあった。
各国が自由に通貨を発行できる。
しかし、金との交換はできない。
大雑把に言えば、
「これはお金です! 何故なら、これはお金だから!」
という制度だ。
当然、うまくいくはずがない。
金の使い方を誤り、幾つかの国が財政破綻した。
金が価値を持つためには裏付けが必要だ。
しかし、金では足らない。
代わりが必要だった。
金のように誰もが価値を認めるが、
金のように有限ではない。
そんな代替物。
それが計算だった。
「兄さん。計算とは何なのでしょうか?」
「あらゆる情報処理だよ」
2064年現在 、人間は計算を抜きにしてトマトの1もまともに造れない。
気温、湿度、雨量の予測。
トマトの状態の把握。
与える水や肥料の計算。
収穫用ロボットアームの操作。
不良品の検査。
出荷処理。
そして、代金の振込。
全ての過程で膨大な量の情報を処理している。
もちろん、全工程を人間が行うことも可能だ。
しかし、何十倍もの労力をかけて、出来上がるトマトの量も、質も、劣るだろう。
計算。
つまり、情報を処理すること。
それこそが価値の源泉だった。
「この紙切れが1000円の価値を持つのは、1000円分の計算と交換できるからだ」
1000円があれば、
それだけの電力を消費し、
半導体を駆動させ、
計算することができる。
つまり、1000円分だけ情報の処理をできる。
そして、価値を産み出せる。
計算量本位制。
それが現在の貨幣システムの名前だ。
そして、元凶の名前でもあった。
【計画】なんて厄介な代物が、世界に存在してしまったことの。
「んー、難しいのです……」
「まあ、ここは引っかかるところだからな……。後でゆっくり説明するよ」
我がボロ家に帰り着く。
駐輪場に自転車を停め、荷物カゴからホットプレートを取り出す。
すると、命が言った。
「そう言えば兄さん。急にホットプレートなんてどうしたのですか?」
兄さんのお金ですから兄さんの自由ですけれど、と付け足す彼女。
しかし、どこか不満そう。
「約束しただろ?」
「……約束、ですか?」
数十秒、考え込む。
「ごめんなさい。思い出せないのです……」
「ちょうど今ぐらいの時期かな。まだ孤児院にいたころ」
「あ」
命は口元を両手で覆う。
「思い出したか?」
こくこくと何度も頷く。
「誕生日、おめでとう」
「――――!」
命は潤んだ瞳で俺を見上げる。
「……覚えていて、くれたのですね?」
「忘れるはずがない」
「何年前の話ですか……」
「6、7年くらいかな」
「兄さんはバカです」
ふらふらと、おぼつかない足取りで寄って来る。
「……命?」
かくん、と項垂れたと思ったら、額を俺の胸に押し当てた。
そのままの姿勢で言う。
「私、兄さんの妹で良かった」
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総資産:1,899,172(日本円)




