あ。俺、人間を殺したのか......。――EP.11
[Did I kill a human......?――EP.11]
「……はい。もう少し、このままでも?」
「もちろん」
とくん、とくん。
あ、これは。
命の心臓の音だ。
不思議と気持ちが安らぐ音。
暖かさに包まれながら、俺は聴き入っていた。
◆
「それはそれとして、兄さんが一生懸命、稼いできてくれた金です。大切に使いましょう」
そう言って命は顔の前で手を合わせる。
「とりあえず半分は貯金でも?」
『東雲家のかけいぼ』と掛かれたノートを取り出しながら、命は言う。
「ああ」
家計簿の管理はほとんど彼女に任せきりになっていた。
加えて、家事の分担も命の方が多い。
クラスメイトを見ていると、命より幼いと感じることが多々ある。
実年齢は命の方が低いはずなのに。
「ありがとうな」
「きゅ、急に、どうしたのです?」
戸惑いながらも笑う命の頭に、おもわず手を置いてしまう。
「に、兄さん!?」
「いや、つい」
「つい、と言うならいつまで撫でているのですか!?」
「いやぁ、つい、ね?」
「に、兄さん!?」
「ドンッ!!」
その時、壁が鳴る。
隣の部屋の住人が叩いたのだ。
流石は築50年。
遮音性は皆無。
「壁」という概念を覆される。
命と目を合わせながら、押し殺した声で笑う。
「それで残りの半分はどうする?」
「もちろん、兄さんの好きなように」
「優先順位の高いモノから買うか」
交錯する視線。
無言で頷き合う。
「「扇風機!!」」
現在、この部屋で稼働している扇風機は、前の住人が置いていった代物だ。
結構な年代物らしく、最近ではカラカラと異音がする始末。
触るとモータが異常に熱い。
冷房効果を打ち消していた。
と言うか、発火しそうで怖い。
「今年の夏も暑いらしいな……」
「はい。命に関わるのです……」
良いタイミングだった。
そういう意味ではツヅリに感謝したい。
「常備薬は?」
「ほとんと減ってないのです」
「俺たち、病気しないからな」
「丈夫な身体に生んでくれたことだけは、両親に感謝しないとですね」
「顔も覚えてないけどな」
「ふふっ」
「あっはっは」
本当に顔も覚えていない。
しかし、気にもしていない。
こうして冗談の種になるくらい。
「あ」
その時、思い出したように命が言う。
「何か有った?」
「あの、実は、欲しいモノがありまして……」
「え?」
「あ、その、ダメなら良いのです」
命がこうして自分の欲しいモノを主張することは珍しい。
だから、驚いてしまったが、
「ダメなわけないだろ! 何でも買って良いぞ! 好きなだけ買ってくれ!」
命に欲しいものを買ってあげる。
そんな機会、滅多に無いのだから。
「何が欲しいんだ?」
急かすように問うと、彼女は恥ずかしそうに答えた。
「あの、肌着を新調できたら、なんて……」
「――――ッ!」
言葉を失った。
肌着が欲しい。
そんなことすら遠慮していたなんて。
そう言えば、前に衣類を買ったのはいつだっただろう。
「買おう! いくらでも買おう!」
「良かった。大分、くたびれてましたからね」
彼女は嬉しそうに笑う。
そんな笑顔を見ていると、もう胸が一杯になる。
「せっかくだ。寝巻も新しくしようか?」
そんな提案もする。
命は、俺のお古のジャージの袖を折ってパジャマ代わりにしていた。
俺が中学の頃に使っていたジャージだ。
中学校を卒業する時に捨てようとしたら、
「兄さんのジャージ!? 捨ててはダメなのです! …………なぜかって? え、えっと……。そ、そうです。こんな丈夫な生地なのに、捨てるなんて勿体ない!」
と彼女が言うので、そのまま再利用されている。
「まだまだ着れるのです」
「そうかもしれないけど、睡眠の質は健康にも関わる。着心地の良いのを買ったら良いんじゃないか?」
「着心地の良さで言えば、これ以上のモノは無いほどでして……」
「ただの学校指定ジャージだぞ?」
「と、とにかく、無駄遣いはダメです! ダメ! ゼッタイ!」
珍しく強い口調に押し切られ、寝間着の新調はうやむやになる。
◆
俺たちの住む外周区。
東京湾沿岸に広がるこの街は、いわゆる貧民窟だ。
しかし、
「ここまでが外周区で、ここからが市街地」
と言った明確な境界は無い。
ガラの悪い市街地から、比較的まともなスラムまで。
約1kmのグレーゾーンが広がる。
激安スーパー大玉。
電光過剰なこの大型スーパーマーケットは、そんなガラの悪い市街に在った。
(※体感では、東雲家は比較的まともなスラム街に在る)
生鮮食品はもちろん、日用雑貨や衣類から家電まで。
大概のものは揃う。
そして、心配になるほどの低価格がウリ。
ただ、客層は推して知るべし。
東雲家としては非常に有難いけれど。
「お買い物って楽しいですよね」
命が無邪気に笑う。
「そうだな」
俺も買い物は好きだ。
扇風機、肌着、洗剤、などなど。
目当ての品を買い物加カゴに放り込むたび、かすかな快感を覚える。
「あ、兄さん。トマトが安いのです」
「確かに安いな……」
トマト1つ、88円。
まとめて買えばさらに割引。
いくら何でも安すぎる。
(※2064年現在、インフレ率は2022年比で+48%)
山積みにされた赤い野菜を前に、
「そもそもトマトなのか?」
という根本的な疑問が湧き上がるほど。
「せっかくなのでまとめて買いましょう!」
命の目つきは、獲物を狙う野生動物のそれ。
山の中から質の良いトマトを抜き出しては、カゴに放り込む。
「こんなに買って大丈夫か?」
「トマトソースにして冷凍するのです。安い時にまとめて買えば食費が浮きます」
えっへん、と胸を張る少女。
「なるほど……」
若干、15歳にしてこの家事スキル。
我が妹ながら恐ろしい。
1つ、また1つ。
命がカゴにトマトを入れる。
その度に自動で会計され、携帯端末の残高が減る。
トマトがカゴに入る。
88円、残高が減る。
繰り返されるそんな様子を眺めていると、
「あ」
気が付いてしまう。
買う、ということの本質に。
買うとはつまり、金銭を対価に他者の人生を所有することだ。
農家は、人生の一部を消費してこのトマトを造った。
そして、俺はその成果を88円で買った。
つまり、「トマトを1つ育てる」分だけの、誰かの人生を所有したのだ。
「トマトを88円で買う」
この行為は、
「88円でトマトを造らせた」
という見方もできる。
「金とは何か?」
そんな問いに、俺はこう答えるだろう。
「人生の結晶だ」
と。
「これは、参ったな――」
思わず、手で口元を覆う。
昨日のPKerを思い出す。
彼を倒して手に入れた180万円。
それだけの金額を手に入れるため、
ある者は扇風機を組み立てるのかもしれないし、
肌着を縫うのかもしれないし、
トマトを育てるのかもしれない。
とにかく、いくらかの人生を消費するのだろう。
そうして手に入る180万円。
「兄さん?」
心配そうに顔を覗き込む命。
しかし、
「いや。家の鍵、閉めたか気になって」
という嘘。
「ちゃんと閉めましたよ。あわてんぼうなお兄様ですねぇ」
そう言って笑う命。
このトゲが刺さったような罪悪感。
彼女が知る必要はない。
遠く、セミの声が聞こえた。
買い物カゴに納められたトマト。
金とは人生の結晶だ。
俺は180万円を奪った。
180万円分だけ、他人の人生を奪ったのだ。
今になって、その行為の本質を理解する。
あ。俺、人間を殺したのか……。
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総資産:1,900,024(日本円)




