邂逅、$10億ドルの少女。――EP.3
[A boy meets a billion dollars girl.――EP.3]
この仮想現実を「仮想だ」と人間の脳は識別できない。
【計画】
このVRゲームはそう呼ばれていた。
分かっているのは、それだけ。
開発者も何もかも不明。
◆
「旅人かい?」
杖を片手に岩に腰かける老人。
彼も仮想に過ぎない。
単なる電気的な情報。
しかし、俺はこのNPCと、本物の人間を区別することができない。
恐らく、誰にも。
「まあ、一応」
「ってことはアンタ、強いんだろうね」
まあ、一応。
肯定だが全面的ではない。
そんな曖昧な回答にも自然に対応する。
なんて精度の人工知能か。
さらに驚くべきは、この老人は何ら特別なキャラクタではないということ。
脇役も脇役。
ゲーム開始以来、このモブに接触したプレイヤは俺が初めてかもしれない。
辺境の村人A。
そんなモブですらこの水準の人工知能を持つ。
それが【計画】というゲームだった。
「雨が降ってないのか?」
「雨はもともと降らんよ。井戸が有るんだが、枯れてな」
老人が杖で指す。
その先には集落が有った。
大陸の南端に広がるヴドド砂漠。
それを取り囲むように広がる、ここヴドド山脈。
その中腹にこの集落は在った。
日干しレンガが積まれただけの小屋が並んだ、茶色一色の殺風景な集落。
これは当たりか。
心の中で呟く。
「原因は?」
「あんた、そんなこと聞いてどうするんだい?」
「力になれるかもしれない」
老人はパイプの吸い口を噛む。
しばらくしてから口を開く。
「……本当かい?」
俺の事を警戒している。
当然だろう。
見ず知らずの人間が村の危機に手を貸そうと言うのだ。
無償の善意ほど後が怖い。
「俺は旅人なんだけど、いわゆる修行の旅ってやつでさ」
全くの嘘。
言い方を変えればロールプレイ。
NPCの俺に対する感情パラメータは彼の行動に影響を与える。
つまり、不信感を抱かれると村人の協力を得られない。
その辺りは現実と変わらない。
リアルさ故の煩わしさ。
「修行の旅? それでわざわざこんなところまで来たのか。……着いてきなよ」
ロールプレイは成功したらしい。
集落に招かれる。
「ここだよ」
案内されたのは集落の広場だった。
中央にはぽっかりと大穴が空いている。
その壁面に貼り付くように頼りない階段が設置されている。
「ここが村の井戸だよ」
そう言いながら老人は地面の石を拾い上げる。
穴に向かって放った。
数秒後、からん、ころん、と乾いた音が返ってくる。
「降りても?」
「構わんよ」
井戸の傍には角灯が備えられていた。
老人は火に点けると片手に持つ。
軋む階段を下りること1分。
井戸の底に辿り着く。
「なるほど。これは……」
声が反響する。
想像よりも遥かに広い空間。
暗闇に満ちる湿った匂い。
井戸と言うよりかは地下河川だ。
その上部に穴を開けて水を汲んでいたのだ。
ただ、今は様子が違う。
「しばらく前から水が減ってな。今ではこの通りだよ」
老人が松明を掲げる。
川はすっかり枯れていた。
ぽつん、ぽつん、と水たまりが残るばかり。
先に目を向ければ、洞窟はどこまでも続く。
「上流は?」
「あっちだが……」
「どこまで続いてるんだ?」
「ワシらも分からん。少なくとも10kmは有るらしい」
「km」という聞き慣れた単位はご愛敬。
ここはやはり仮想現実なのだ。
このリアルな異世界では普通にSI単位系が使われていた。
可笑しさがある。
「ちょっと見て来るよ」
「ま、待て! 先日も、若い衆が三人、様子を見に行ったきり戻らん」
「それは余計に興味が湧くな」
これは当たりだ。
「し、死んでも知らんぞ?」
「死にそうになったら流石に逃げる」
「そ、それなら……」
俺だって死ぬ気はない。
【計画】にセーブポイントなんて気の利いたモノはない。
死ねば今まで育てたこの分身は失われる。
さいしょからやり直し。
つまり、稼ぐ手段を失うということ。
それは、妹が、飯を食えないと言うことだ。
「絶対に死なねえよ」
思わず、呟いていた。
砂除けの外套を脱ぐ。
「悪い。これ、持っててくれよ」
「あんた、そんな軽装で大丈夫なのか?」
これと言った特別な防具は身に着けてない。
丈夫な底のブーツ。
生地の厚さの割には伸縮性のあるカンテレ革の上下。
滑り止めの付いた手袋。
腰に巻いたベルトに、すぐ取り出せるように道具類の詰まった小物入れを吊るす。
確かに、逸品で身を固めた他のプレイヤに比べて貧相だ。
俺はむしろ建築現場にでも居そうな出で立ち。
「金が無いからなぁ」
思わず呟く。
「あんた、本当に大丈夫か?」
「仕方ねえだろ。金がねえんだ。稼がねえと」
「え? 修行は?」
「あ、そう! 修行だよ! 修行! 修行に決まってんだろ!?」
ロールプレイは苦手だ。
ボロが出そうになる。
ごまかすように会話を打ち切り、闇の中に歩を進める。
「死ぬなよー!」
そんな声が背後から聞こえた。
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総資産:96,227(日本円)