あ。俺、人間を殺したのか......。――EP.1
[Did I kill a human......?――EP.1]
ツヅリはイタズラを企む子どものような顔をしていた。
それは無邪気な興奮。
「――キミが間違いなく、最強になること」
◆
現実世界に戻ってきた。
目を開ける。
すると、命の顔がほころんだ。
「おかえりなさい」
見上げる妹の顔。
近頃、毎日のように彼女の膝枕で目が覚める。
「ご飯にしましょうか? それともお風呂にします?」
両手を合わせながら弾んだ声で問う。
そんな様子を見ると改めて思うのだ。
危ない橋は渡れない。
だから、ツヅリの相棒になんて絶対になれない。
「……兄さん?」
「あ、悪い。ご飯で」
「はい。すぐに用意しますね」
ぱたぱたと小走りで台所に向かう。
緩い三つ編みを揺らしながら。
そんな命の後姿を眺めながら呟く。
「そろそろ逃げようか……」
ツヅリから。
彼女のおかげで強くなれた。
しかし、ここら辺が潮時だろう。
「兄さん。また難しい顔をしているのです」
サバの味噌煮を食卓に並べながら、命が俺の顔を伺う。
「そんな顔、してた?」
「してましたよ! 最近ずっとなのです」
「そうかな?」
しかし、心当たりは有った。
今週は色々と在ったから。
主にツヅリのことだけど。
「無理、してないですか?」
「してないよ」
俺が答える。
命が、ぐいっ、と顔を近づける。
眇めた目で俺を見る。
「……命さん?」
「んー、嘘は吐いてないみたいなのですね。まあ、良いでしょう」
「分かるの?」
「分からないとでも思ったのですか?」
「……マジ?」
「まじ、です。あまり意味は無いのですけれどね」
「嘘が分かるなら、意味、有りまくりでは?」
命はため息を吐く。
「兄さんは無理を無理だと思わないところがあるので……。それだと嘘にはならないですから……」
「流石に無理は無理だと思うぞ」
「そうだと良いのですけどねぇ……。明日くらい、少しはゆっくりするのですよね?」
「明日?」
「兄さん! 明日は土曜日ですよ!」
「あ、そうか」
「曜日感覚まで無くなってるじゃないですか! 兄さん。明日はお休みですよ? 意地でも休ませます! 私からのお願いです!」
妹にお願いをされて、断れる兄がいるのだろうか。
「……分かったよ」
「【計画】にログインは?」
「しません」
「勉強は?」
「しません」
「家事は?」
「まあ、ほどほどに……」
「んー、良いでしょう」
「あ」
明日も【計画】にログインする。
ツヅリとそう約束していた。
「兄さん?」
「いや。何でも無いよ」
ためらいは一瞬。
「妹にお願いされた」
と言えばツヅリも納得するだろう。
「妹にお願いされたんだ? それなら仕方ないね。たとえ人類が滅ぶとしても、そのお願いを最優先するべきだよ!」
脳裏にツヅリがそう答える様子を思い浮かべる。
◆
「――ふーん。それで?」
ツヅリの声。
その温度は初めて聞く冷たさ。
ここはゲーテの大迷宮、1層と2層の境目。
その壁面にツヅリが関数で開けた横穴だ。
当然、入口は塞いである。
現実世界で1秒が過ぎれば、【計画】の世界でも1秒が過ぎる。
それはプレイヤがログアウトしていても変わらない。
無防備な身体は危険に晒され続ける。
だから、ログアウトする時はこうして安全地帯を確保するのだ。
そんな狭い空間でツヅリは俺を睨む。
「昨日、どうしてキミは約束した時間にログインしなかったんだろうね?」
「だから、妹にお願いされたんだって! 明日は休んでくれって!」
「うん。それで? 言い訳ぐらいは聞いてあげるから言ってごらんよ」
「だから、妹にお願いされたんだって!」
「……もしかして、それ、言い訳のつもりだった?」
「ん? ああ」
当然だ。
妹にお願いされたら断れない。
断れるはずがない。
それは真理だ。
しかし、ツヅリは顎をそらして俺を見る。
射貫くような視線。
「とりあえず座ろうか。宣言:関数 重力」
瞬間、身体が重くなる。
下方向に引きずられギシギシと軋む関節。
立っていられない。
地面に膝を着く。
「お、お前っ、そんな高等関数を――」
「分かる? ボクは怒ってるんだよ。引数:6倍」
「うおっ!?」
さらに重くなる身体。
両手も地面に着く。
ひれ伏すような格好だ。
「エン。キミってシスコンなんだね?」
「そんなわけねぇだろ!」
「え?」
「うちはごくごく普通の兄妹だよ」
「あ、そう……」
押し黙るツヅリ。
「まあ、キミの性癖はどうでも良いとして」
「性癖ってなんだよ!?」
「うるさいな。引数:10倍」
「ぬおっ?」
見えない巨人の手に押し付けられるように、全身が地面に張り付く。
ツヅリはそんな俺の傍にしゃがみ込むと、囁いた。
「尾行されてる」
「え?」
「敵。動的対象《MOB》、じゃない。……たぶん、プレイヤ」
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総資産:99,882(日本円)




