新たな旅立ち。――EP.6
[The Pilgrims Begin.――EP.6]
「悪い。待たせたな」
舳先にいたツヅリに話しかける。
「じゃあ行こうか」
彼女は言う。
スミレとシイカが頷いた。
「発動:能力 【魔王】――」
ツヅリが能力を発動させる。
「――引数:30倍」
30倍。
マジかよ。
司書の効果とも合わせて、消費する金は300倍。
しかし、すさまじい威力だ。
「宣言:関数 奔流」
直後、背後の湖が膨れ上がる。
山のような膨大な水だ。
その水が一気に流れる。
その流れが、巨大な船を押し流す。
「達者でのおー!」
ムムムトが叫んでいた。
「爺さんもなー!!」
「おじいちゃんバイバーイ!!」
「ひ、ひえぇ……!! 飛んでる!」
思い思いの歓声で答える。
ツヅリだけは前を向いていた。
即席の滝が創り出す、水の放物線。
その流れに乗って船は滑り落ちる。
しかし、
「ツヅリ。飛距離が足りない」
このままでは、海に着く前に地面に激突してしまう。
「問題無し。宣言:関数 空衝」
それは威力30倍の関数だ
強烈な風圧が船を加速。
船体を浮かび上がらせる。
いつの間にか下に人がる景色が、南国の密林から、青い海原に変わる。
「何かに掴まって!!」
ツヅリが叫ぶ。
直後、衝撃。
船が海面に着いたのだ。
身体が跳ねる。
欄干に掴まり、何とか踏みとどまる。
「ひゃあーーー!!」
しかし、約1名、掴まり損ねたヤツがいた。
「シイカ!!」
すでに身体が船外へ投げ出されていた。
瞬間、俺は甲板を蹴っていた。
空中でシイカの腕を掴む。
「宣言:関数 早業 愚者の剣」
大剣を呼び出す。
それを蹴り飛ばして反対側に加速。
甲板に転がり落ちる。
「お前、本当に気を付けろよ?」
「……う、うん。いきなり冒険が終わるところだったよ」
はあ、とシイカは安堵の息を漏らす。
「それで、2人はくっついてるのかな?」
ツヅリが俺を見下ろしていた。
眇めた目で俺を睨む。
「あ、シイカ。悪い」
着地に失敗したのだ。
シイカは折り重なるように俺の上に倒れ込んでいた。
「大丈夫。私は全然、嫌じゃないから」
「エンが嫌なの!」
「うわー」
ツヅリがシイカを押しのける。
「それで、ツヅリは。進路は決まってるのか?」
「さあ? 未踏破領域は地図も無いからねぇ」
「そうだよな」
「とりあえず、北にあることはだけ分かってかな」
「じゃあ、とりあえずは北に進むか」
俺が帆を張ろうとすると、
「え、エンさん……」
スミレに声をかけられる。
「どうした?」
「か、風。思いっきり南向きですけど……?」
北には進めないのでは、とスミレが首を傾げる。
「そうじゃん!」
シイカも言う。
「確かに、困ったかも……」
ツヅリも悩ましげだ。
しかし、
「いや。進めるぞ」
「「「え!?」」」
「まあ、口で説明するのも難しいんだけどな――」
事実、帆船は風に逆らって進むことができる。
向かい風が吹いている時。
その風に対して、斜めに帆を構えるのだ。
すると、帆の前側は空気が早く流れる。
逆に、後ろ側では空気が遅く流れる。
つまり、帆の前方と後方で流れの速度が違う。
それによって、進行方向へ圧力が生じるのだ。
その圧力によって船は前に進む。
「――って感じだな」
「あ。飛行機が飛ぶのと同じ原理だね」
と、納得したのはツヅリ。
「そういうことだな」
圧力を上方に向けることで飛行機は浮く。
揚力だ。
一方、圧力を前に向けることで前進するのが帆船。
「「うーん……?」」
スミレとシイカは首を傾げていた。
「見る方が速いかな」
俺は帆を張った。
本当は筋骨隆々《きんこつりゅうりゅう》の水夫が数人がかりで張るのだろう。
しかし、俺はこれでも2000万円級のプレイヤだ。
片手でロープを引けば、簡単に帆を張れる。
感覚として、自転車のハンドルを切ることと変わらない。
「バッ!!」
と帆の布地が張る音。
風を孕み、膨れ上がる。
そして、船体はゆっくりと進み始めた。
向かい風に向かって。
「「「おおーっ!!!」」」
3人が歓声を上げる。
「すごい! 本当に風に向かって進んでるよっ!!」
「え、前に……。なんで……!?」
「頭では分かってても、体験してみると不思議な感じだねぇ」
「まあ、完全に真っすぐってわけにはいかないけどな」
実際には45°程度、傾いている。
だから、風に対してジグザグに進む。
「え、エンさんって、博識ですよね……」
スミレがそんな言葉を漏らす。
「博識と言うか、残ったのが知識だけだったんだよ」
「……ど、どういうことですか?」
スミレが問う。
「もっと詳しく!!」
シイカが目を輝かせていた。
「……まあ、もう察してるかもしれないけど、俺はスラムギークだ」
2人の表情が曇る。
余計なことを訊いてしまった、という気まずさ。
ツヅリは別段、普段と変わらない。
「気にすんなよ。俺は自分が恵まれていると思っている」
「そうなの?」
「ああ」
確かに、孤児だったことは不運だ。
しかし、それを補って余りある幸運に恵まれている。
「うちの妹は世界一かわいいからな」
これで普通の家庭に生まれていたら世界は不公平すぎる。
「「「お、おう……」」」
「知識だけじゃない。金だって集めようとした」
「キミ、色々やってるもんね」
ツヅリが言う。
「そうだな」
廃墟の空き地で野菜を育ててみたり、東京湾で魚を取ってみたり、大道芸を披露してみたり。
金になりそうなことは大体試した。
「でもさ、金は奪えるんだよ」
「「…………」」
ごくり。
シイカとスミレが唾を呑む。
「殴って、蹴って、それで奪える」
特に外周区なんて現金が普通に使われてる。
電子通貨ではなく、現金だ。
だから奪いやすい。
少しばかり上手く稼いでいると、それだけで目立ってしまう。
年上の孤児や、ヤクザ崩れのチンピラに目を付けられる。
そして、後は数と暴力で奪われる。
こちらは何の後ろ盾も無い孤児だ。
命まで奪われるわけには行かないから、引き下がるしかない。
「だけど、知識は違う。いくら殴っても、いくら蹴り飛ばしても、俺の知識は俺のものだ」
頭の中だけは決して奪えない。
仮に俺を殺したとして、その知識を自分のモノにできるわけではないのだ。
「で、最終的に残ったのが知識だけだった」
「そ、壮絶です……」
スミレが言う。
シイカはしきりに頷いた。
「まあ、後は必死さが違うんだよ」
この知識が、いつか、どこかで生死を分けるかもしれない。
そんな切羽詰まった状況で学習をする人間がどのくらいいるのか。
真剣さが違うから、学習の速度が違う。
ツヅリは笑う。
「知識をお金にできたら、キミはお金持ちだろうね」
「ああ。だから、これから未踏破領域に行くんだろ?」
知識を活かして、もっと強い敵を倒す。
そして、もっと稼ぐのだ。
遠ざかる島影が見えた。
巨大な大地の樹も見える。
「ムムムトは、……流石に見えないか」
この距離だ。
しかし、船は巨大。
向こうからこちらは見えているだろう。
歓声を上げているだろうか。
もう戻ってくることも無いか。
3週間ほど過ごしただけだが、その島影が妙に懐かしい。
その時だ。
「そう言えば、よく未踏破領域って言ってるよね」
シイカが呟く。
「あ、ああ……」
嫌な予感がする。
「どんな所なの?」
彼女は問う。
「……お前さん、知らなかったのか!?」
「知らない」
あっけらかんとシイカは答え。
「島から出れたら、まあ、良いかなーって思ってた」
「あ、そうなの……」
「話を聞く感じだと、お金がたくさん手に入りそうなんだよねぇ?」
ツヅリとスミレ、俺は顔を見合わせる。
仕方ないので、俺が真実を伝えることにする。
「非常に言いにくいんだけど……」
「どうしたのー?」
「未踏破領域、ムムムトの島よりも全然、危険だからな?」
「え?」
「金が儲かるってことは、それだけ敵が強いってことなんだよ……」
「ええっ!?」
シイカが涙目になる。
「……軍隊ゴリラよりも?」
「全然、強いと思うぞ」
「帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る――」
シイカが泣き出した。
「私、ここから動かないからねっ!?」
そう言って、シイカは帆柱にしがみついた。
コアラみたいだ。
「良いんじゃないかなぁ……?」
ツヅリが言う。
確かに、帆柱に抱きついたシイカ自身は1ミリも動いていない。
しかし、彼女を乗せた帆船はゆっくりと進んでいく。
無慈悲にも、未踏破領域へ向けて。
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総資産:-43,510,203(日本円)




