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スラムギーク、ビリオネア!!  作者: 夕野草路
歌姫の計画[The Project of Diva]
134/204

俺、貧乏で良かった……。――EP.12

[I Am Poor...and Good!! ――EP.12]


「あれをやる」


 5文字。

 口早にそれだけを伝える。

 ツヅリはただ静かに頷いた。




 約1週間ほど前、ゆず葉の研究室を訪れた日のことだ。

 その夜だった。

 ゆず葉からメッセージが届いた。


[二階堂ゆず葉:君の希望だが、もしかしたら叶うかもしれないよ?]


 メッセージを読んですぐ、俺は自転車にまたがった。

 日付が変わったばかりの時間だった。

 どうせ先生は世間のリズムなんて気にせず生活している。

 起きたいときに起きて、寝たいときに寝る。


 ペダルを踏むたびに加速する自転車。

 温い夜風を描き分ける。


 非常口から大学に潜り込む。

 林立するビル。

 まだいくつかの窓からは光が漏れていた。

 こんな時間まで何をしているのか。


「先生。起きてるか?」


 敷地の片隅。

 半壊したガレージのような研究室。

 扉を叩く。


「やあ。よく来たね」


 すぐに扉が開いた。

 研究室に招かれる。

 散乱した物で見えている床の方が少ない。


「さあ。座りたまえ」


 大量の書類をどけると、下から椅子が現れた。


「ああ。悪い」


 腰掛ける。

 ゆず葉は別の椅子を引っ張ってきて、対面に座る。

 案の定、先生はこんな時間にも関わらず白衣を羽織っていた。

 今は活動時間だったらしい。

 湯気の立つコーヒィまですすっていた。

 ただ、コーヒィはビーカに入っていた。


「先生。それは?」

「ああ……。耐熱ビーカだよ」

「どうしたんだよ?」

「ゴミ捨て場に良いのが落ちていてね。流石に灰皿では飲みにくいからね……」


 良いだろう、と笑いながら見せつける。


「何が入ってたか分からないぞ……」

「もちろん洗ったさ」

「そういう問題じゃないだろ……」


 しかし、鼻で笑われてしまう。


「腐った東京の空気を毎日吸ってるんだろ? 今更だね」


 そう言って煙草に火を点けた。

 その煙を美味そうに吸う。


「はぁ……」


 満足げな表情。


「それで、先生、さっきのメッセージなんだけど……」

「ああ。それか」


 ムムムトに殺されかけた。

 それがきっかけだった。

 麻痺していた痛みに対する恐怖が戻ってきた。

 結果、早業クイック・チェンジが使えなくなってしまった。

 わずかにタイミングがズレるだけで技として成立しない。

 恐怖に震えながらでは、その技は使えない。

 しかし、先生は


「治せない」


 と言った。

 そして、


「痛いのが怖い。それが普通なんだ。人間と言う生物はね」


 とも。


 元々、異常だったのが治っただけ。

 むしろ、今の状態が正常なのだ。


「確かに、痛みへの恐怖は消せないだろうね」


 ゆず葉は言った。


「……含みのある言い方だな?」

「ああ。一時的に恐怖を忘れることなら可能かもしれない。えん君。君はモルヒネを知っているかい?」

「いや、知ってるけどさ……」


 ケシから生成される、鎮痛剤として用いられる薬品。

 ただ、一般的には麻薬の印象が強いか。


「先生。麻薬はヤバいって……」


 確かに恐怖は消えるかもしれないけれど。


「失敬な! 私がそんな提案するとでも?」

「だって、先生、倫理とか気にしなさそうだから」

「そこは間違ってないな」

「おい」


 仮にも教育者だろう。


「確かに倫理とかはどうでも良い。だが。君のことは結構気に入ってるんだよ?」

「そ、そうなのか……」

「ああ。だから君に麻薬をすすめるわけなかろう」

「あ、ありがとう……」


 その返答で合っているのだろうか。

 麻薬を勧めないでくれてありがとう。


「知っての通り、モルヒネは痛みを伝える神経を阻害する。強力な鎮痛剤だ」

「ああ」

「しかし、人体はモルヒネの数倍の鎮痛作用を持つ物質を自分で生成できる」

「……そうなのか?」

「ああ。これがその物質だ」


 モニタに映し出される分子模型。

 無数の元素げんそが複雑に絡まりあっている。

 まるで網目のように。


「β《ベータ》エンドルフィンだ。脳内麻薬なんて呼ばれることもあるよ」

「聞いたことがあるな……」

「人体にごく普通に存在しているからね」

「何のために?」


 脳内麻薬なんて物騒な代物が。


報酬系ほうしゅうけいの制御。ざっくりと言えば「やる気」のコントロールだよ。後はストレスもコントロールしてくれるね」

「麻薬なんだろ? そんなことができるのか?」

「ものすごく微量だからね。モルヒネだって容量を守れば薬になる」

「そういうことか」

「……で、ここからが本題だ」


 ゆず葉はタイツに包まれた長い脚を組み直す。


「遠君。通常、体内に存在するβエンドルフィンはごく少量だ。しかし、ある状況(・・・・)では大量に分泌されるんだ。それこそ、洪水のように。脳内を呑み込むくらいにね。どんな状況だと思う?」



「あれをやる」


 5文字。

 口早にそれだけを伝える。

 ツヅリはただ静かに頷いた。


「宣言:関数 早業 鋳鉄ちゅうてつの鎖」


 先端におもりの付いた鎖を呼び出す。

 それを投げる。

 ムムムトの右手に巻き付いた。

 もちろん、彼は簡単に避けることができた。

 つまり、えて鎖を受けたのだ。

 当然だ。

 彼の方がSTR(筋力)が高い。


「ふんっ!」


 ムムムトが鎖を引く。

 拮抗きっこうも一瞬だった。

 すぐに力負けした。

 しかし、俺の身体が動く寸前、


「宣言:関数 早業 愚王の剣」


 鎖と反対の手で持っていた短剣。

 それが巨大な剣に変化。

 一軒家ほどもある大きさの、もはや剣とは呼べない剣。

 それにつかまって踏みとどまる。

 流石のムムムトのSTR(筋力)を以ってしても、この鉄塊は動かない。

 結果、鎖には膨大な張力テンションが掛かる。

 今だ。


「宣言:関数 蛙の帯(トード・バンド)


 ゲーテの大迷宮2層で倒した、巨大なカエル型の動的対象《MOB》

 その伸縮性に富んだ皮で造ったバンドだ。

 帯は、何重にもムムムトの右腕に絡まっていた。

 彼も一瞬では動けない。

 帯が強烈な勢いで縮む。


「ぬおっ!?」


 帯に掛かっていた張力テンションは、ムムムトが鎖を引いた力と同じだ。

 つまり、ムムムト自身の強力な腕力で引っ張られているのと同じ。

 彼の身体が急加速。


「宣言:関数 早業 空《Null》」


 ここで全ての武器を消した。

 踏ん張るムムムト。

 地面に2本の線を引く。

 しかし、勢いは止まらない。

 そして、ここはそびえる巨大な樹の頂上だ。

 飛ばされるムムムト。

 その先は宙へと続いていた。






—―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

総資産:-42,891,003(日本円)

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