君は壊れていたんだよ。――EP.11
[You Were Broken, Already.――EP.11]
俺のトラウマは治らない。
何故なら、そもそもトラウマではないから。
痛みが怖いことは正常なのだ。
壊れていたのが正常に戻っただけ。
だから、治せないのだ。
◆
「あの人、学校の先生なの?」
学校からの帰り道、自転車の荷台で綴は言う。
背後からゆるく回された彼女の腕。
「まあ、教師だな。一応は」
教育者としての役割は求められていないだろう。
純粋に論文数を稼ぐためだけに雇われている。
大学の格を上げるためだ。
論文を書いてくれるならあとはご自由に、と言った具合。
「それにしては仲良くなかった? やけに距離が近いって言うかさぁ……」
「先生は他人との距離感が分からないんだよ。そもそも他人と付き合わないから」
「そのわりには、キミ、気に入られてなかった?」
「そういうんじゃねーよ」
「じゃあ、どういうんだよっ」
わき腹を小突かれる。
「止めろ。……からかって遊ばれてるんだろ?」
「はぁ……。遠もデレデレしてるしさぁ」
「してねえよ」
「キミって年上が好きなの?」
「別に……」
好きになった人が好きだ、と言いかけて呑み込む。
馬鹿にされる気がした。
「そうだった。キミはシスコンだったね」
「シスコンでもない」
ぽん、と肩に手を置かれる。
「いい加減、認めて楽になれって」
「何をだよ……」
俺をシスコンだと思っているヤツが多いから不思議だ。
東雲家はごく一般的な兄妹だ。
少しだけ特別なことがあるとすれば、それは命が世界一かわいいということくらい。
それ以外はごくごく普通の兄妹なのに。
「だけど、何も解決しなかったな」
トラウマではなく、正常に戻っただけ。
しかし、原因はどうだって良いの。
どちらにしろ戦えないことに変わりはないのだから。
「ボクならこういう時、まずは解決できそうな問題から手をつけるかな」
「解決できそうな問題?」
「アパート問題とか?」
「あ、そっちもあったな……」
最近、忙しくて忘れていた。
東雲家は現在、引っ越しを考えていた。
1つめは心理的な理由。
事件があった場所に住み続けるのは、命にとっても精神的な負担が大きいだろう。
2つめは防犯上の理由だ。
この先も兄妹2人で暮らしていくなら、もっと治安の良い住処は必須だ。
ただ、これが難しい。
治安の良いまともな物件は家賃が高い。
仮に金を用意できたとしても、俺のような社会的信用の無い人間を入居させない。
だからこそ治安が良いのだけれど、という本末転倒。
結果、見つかるのは今のボロアパートと似たり寄ったりの物件ばかり。
「良い物件、ありそう?」
「無いな……」
金は払えないけど良い家に住みたいです。
つまり、俺の要望はそういうこと。
そもそも無理な話なのかもしれない。
「こうなったらボロアパートを借りて、防犯グッズで埋めつくすか……」
防犯ベル、電気柵、催涙ガス、ナイフを持った俺、などなど。
大田市場で探せば安く揃うか。
「ボクが紹介したところは?」
「いや。まだ当たってないな」
「なんでだよー。ボクの紹介だぞ?」
「……なんと言うか、家まで厄介になるのは申し訳ないと思ってな」
「気にすんなよ。ボクとキミの仲だろ」
「どういう仲?」
「ボクに言わせるつもり? 照れるなー」
きゃー、と歓声をあげる綴。
もちろん、わざとだ。
「そんな仲でもないだろ」
「言っておくけど、キミのためだけじゃないからね?」
「どういう意味?」
「キミにはお金を返してもらわないとだから。これはボクのためでもあるんだよって話」
と言う建前だろう。
俺が気を遣わないように。
「ありがとな」
「別に―」
自転車を漕ぐこと十数分。
間もなく、命の入院する病院に辿り着く。
「あ、しまった……」
「うん?」
綴のことを考えないで病院まで来てしまった。
「悪い。どこまで送れば良い?」
「ボクはここで良いよ」
そう言って自転車からぴょんと降りる綴。
「ボクの教えた電話番号、かけてみなよ」
そう言い残し、道路の向こうに消えていった。
「そういえばアイツ、どこに住んでんだろうな……?」
雑踏に溶け込んだ綴を見送りながら、ふと、そんなことを呟く。
いや。
他人の住居を気にしている場合ではない。
命が退院した後、安心して住める場所を見つけなければ。
なりふり構ってもいられない。
端末を取り出す。
ケースに挟んだメモ。
綴からもらったその紙切れには数字の羅列が記されていた。
端末のカメラで読み取る。
ポップアップから通話を選択。
3回目のコールで繋がった。
「もしもし。突然の連絡失礼します。私は東雲遠と言います。不動産を探しておりまして、ご連絡差し上げました」
すでに何度も繰返して、慣れてしまった挨拶の文言。
しかし、端末のスピーカからは笑い声が聞こえた。
「私だってー。いつもは俺なのにー! 遠の余所行きの声も初めて聞いたかも。嫌いじゃないよ」
思わず、溜め息を吐く。
「……綴。メモの電話番号、間違えてるぞ」
しかし、綴は言う。
「間違えてないよ」
「いや。その電話番号にかけたら、綴につながったんだけど……」
「うん。ボクの電話番号だからね。ボクに繋がるよね」
「え?」
「お電話ありがとうございます。 葛ノ葉綴不動産です」
質の悪い冗談だ。
「切るぞ? じゃあな」
「あー! 待って待って! アパート紹介するのは本当だから!!」
「…………家賃は?」
「300万円だね。1か月」
「バイバイ」
「うそうそ! 東雲遠って名前の人は特別に安くするから!!」
「何だよその条件……」
「ちなみに、未成年で、親がいなくて、定職についてなくても入居できるよ」
何だその物件は。
外周区の孤児でも入居可能で、名前が「東雲遠」だと安くなる。
怪しいにもほどがある。
「敷金礼金も要らないから」
敷金礼金まで要らないらしい。
「それ、間違いなくまともな物件じゃないだろ」
「キミが入居できる時点でまともじゃないよ」
「そうだけどさ」
結局、住居問題は未解決か。
そう諦めかけた時だった。
しかし、綴は言う。
「セキュリティは間違いなく安全。ボクが保証する。信じて」
綴は何の根拠もなく、
「信じて」
などと言わない。
そう思えるくらいには、綴を信用してしまっている。
彼女のいうことは突飛だが、虚言ではない。
「大金を稼ぐ!」
と宣言した彼女は、実際に3億円を稼いでいるのだから。
何件も不動産屋を周った。
結局、ろくな物件はなかった。
それどころか、俺のような外周区の未成年、客として扱ってくれる不動産屋の方が珍しかった。
「…………とりあえず、内見だけでも頼めるか?」
「もちろん!」
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総資産:-42,859,010(日本円)




