歌姫の受難。――EP.7
[ Diva's Ordeal.――EP.7]
◆
試練:【星海航路】が始まった。
そして流された南海の孤島。
しかし、未だ何をすれば良いのかは不明。
そんな時に見つけた巨大な壁。
スミレはこれを
「植物ですぅ……」
と言うのだが。
「で、これを登るわけか」
どこまでも平坦な壁だ。
手を掛ける凹凸など無い。
しかも硬度は金属並み。
杭を打ちながら登ることも難しい。
不可能ではないが、かなりの金が掛かる。
「そ、それならウチがぁ……」
スミレがオドオドと名乗り出た。
インベントリから取り出した種を地面に埋める。
「宣言:関数 急成長」
瞬間、ツタが伸びる。
蛇のように壁面を這いながらするすると上へ。
「「「おおー!!」」」
吸盤のような葉が壁を掴むことで、凹凸の無い壁面にも張り付くことができた。
「み、みなさん……。【楽園】まで急ぎましょう……!」
カゴ入り娘のシイカを背負った俺が先陣を切る。
続いてスミレ。
ツヅリが一番危険な最後尾を務める。
「おー! エレベータみたいだー!」
背中でシイカが歓声を上げる。
「エレベータってこんな気持ちなんですねぇ……。初めて知りましたよぉ……」
動力源の俺は呟く。
ツタを掴み、腕に力を入れる。
ぐい、と身体を引き上げる。
その繰返し。
「ご、ごめんて! あ。歌おうか?」
シイカは慌ててそんな提案をする。
「え?」
耳を澄ませば、彼女の息遣いまで聴こえる距離だ。
世界の歌姫がこの距離で歌ってくれるのだと言う。
それはちょっと贅沢過ぎないか。
「……じゃあ、1曲だけ頼める?」
「あいよー」
すぅ、と息を吸う。
そして、シイカは最初の一節を歌い上げた。
「――あなたを追って津軽湾!!」
「何でだよ!?」
何故、演歌。
しかも歌詞が景色と合ってない。
見渡す限りエメラルドグリーンの海だ。
ただ、歌自体は上手かった。
この南国で真冬の海を思い浮かべて身震いするほどの表現力だ。
「何でって、こぶしを利かせたい気分だったから……」
歌い終わったシイカが答えた。
「そんな気分あるの?」
「私はあるよ」
「そうか……」
歌姫ともなるとそんな気分もあるのか。
知らないけど。
「って言うか、やっぱり歌姫なんだよな……」
空気の読めない選曲はさておき、歌唱力は本物だ。
「まだ疑ってるのー!?」
「いや。そうじゃないんだけどさ」
「じゃあ、どうなのさ?」
「有名人なのに、リアルアバタを使ってるんだなって……」
【計画】において、本物の金が取引される。
身バレの危険性は通常のVRゲームの比ではない。
彼女ほどの有名人だ。
現実と同じ姿の分身を使うのは危険。
「あっはっは」
しかし、シイカは笑いだす。
「天才シイカちゃんはそこも抜かりは無いのですよねー」
天才とは……?
「この姿、リアルの私とは違うよ」
歌姫は言う。
「だけど、俺の知ってる歌姫も、【計画】のシイカも同じだ」
「だから、歌姫の私も分身なんだって」
「あ、そういうことか……」
それはVRアイドルという21世紀初頭に生まれた表現形式だ。
生身の人間なのだが、姿は晒さない。
分身に声を吹き込むという形式で活動する。
つまり、世界的な歌姫、シイカの正体もVRアイドルだったのだ。
シイカは歌姫の姿で【計画】を始めたではない。
【計画】の分身で、歌姫を始めたのだ。
「別の分身を用意するのが面倒でさー。【計画】のアバタが良く出来てるから、これで良いかなって。ちょっと歌ってみたら、いつの間にか人気になってたんだよねー」
そういえば、詩歌は1度もリアルライブを行ったことが無い。
基本的に仮想空間で開催される。
メディアの露出も最低限。
人前に姿を現すのは歌う時だけ。
その裏にこんな理由があったとは。
謎に包まれた歌姫。
それはまるで星のよう。
見えているのに決して届かない。
そんな神秘的なキャラづくりに役立っていた。
しかし、
「あっはっは」
と口を開けて笑っている。
ファンが見たら何て言うだろう。
「……いや。ちょっと待てよ。これ、ヤバくないか?」
「うん?」
「【計画】って違法だろ」
もちろん罰則は無い。
仮に、このことでシイカが捕まるということも無い。
しかし、世界には【計画】を良く思わない人間も少なくない。
何故なら【計画】こそが世界大恐慌の引き金。
多くの人の職を、家を、家族を、そして命までも奪った原因なのだから。
そんな【計画】で歌姫が遊んでいると知ったら。
「大丈夫!」
と胸を張るシイカ。
「……本当かよ?」
「うん。だから、このことは公表してないよ。誰にも言ってない!」
え。
ええ……?
俺はどうすれば良いの。
「…………それなら、俺にも言っちゃダメじゃないの?」
「あーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」
シイカが叫ぶ。
思わず耳を塞ごうとして、崖登りの途中だと思いとどまる。
「ダメじゃん!!」
「ダメだよ」
「ど、ど、ど、どうしよう!?」
知らんよ。
「あ、あの、ウチも聞こえましたぁ……」
下の方からスミレが言う。
「ボクも聞こえたよねぇ。シイカの声は良く通るから」
後ろを見れば、半泣きのシイカ。
「ぶ、ぶん殴ったら記憶失くすかな?」
「止めとけよ」
ツヅリは3億円級、スミレは4000万円級のプレイヤだ。
それぞれシイカの300倍と40倍。
敵うはずがない。
そして、俺を殴ればカゴの中のスミレは地上まで真っ逆さまだ。
「心配するな。俺は別に誰にも言わないから」
「本当!?」
「俺の言うことを聞く限りはなぁ……。ぐっへっへ」
と言ったのはツヅリだ。
俺は
「ぐっへっへ」
とか笑わない。
「ひぇっ……。エンくん……」
「泣くな! 別に変な要求なんてしない!」
「……本当?」
「たりめーだろ」
正直、彼女を脅して金をせしめるのもアリかと思った。
しかし、俺たち兄妹の夢は真っ当に生きること。
普通に幸せになること。
誰かを脅さないと成り立たない生活を、普通とは言わない。
それに、人を陥れて手に入れる金を命は喜ばないから。
命が悲しむようなことは絶対にしない。
「俺の妹に感謝しろよ」
「う、うん! 何かよく分からないけど分かった! ありがとー! エンくんの妹!!」
青空に向かって讃美歌を歌い始めるシイカ。
その歌が命のためだと思うと気分が良い。
ツヅリに関しても他言はしないだろう。
そもそも彼女は【計画】の開発者の子どもだ。
シイカどころの騒ぎではない。
一方、スミレは
「ど、どうでも良いです……。そ、それより、早く【楽園】に行きたいので……」
そもそも他人が嫌いだった。
世間に興味が無い。
言わないメリットも無いが、言うメリットだって無い。
シイカが強く頼むならわざわざ他言しないだろう。
「ふぅ……。良かった……。3人が黙っていてくれるなら、もう1人だね」
シイカが言った。
3人が黙っていてくれるなら、もう1人だね
「え?」
人数を数えてみる。
ツヅリ。
スミレ。
俺。
どう数えても、シイカ以外には3人しかいない。
「なあ、シイカ。もう1人って?」
「うん。崖の上に座ってる人」
彼女の優れた耳は、4人目に気付いていた。
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総資産:-42,858,602(日本円)




