キミが最強になることを、今から証明しようか。――EP.1
[You'ill be invincible.――EP.1]
古い畳の匂い。
コチコチ、と時計の針の音。
現実世界に帰ってきたのだと気が付く。
僅か数時間。しかし、随分と長い間、ゲームの世界に潜っていたように感じる。
「目が覚めました?」
VRダイブ用のヘッドギアを外す。目の前に妹の顔が有った。その大きな瞳に俺の顔が映る。
「……ん、あれ?」
仮想現実から帰った直後のぼんやりとした意識が鮮明になる。そして、やけに寝心地が良いことに気が付く。甘い匂いと、後頭部の柔らかな感触。自分が今、何を枕にしているのかようやく理解する。慌てて起き上がろうとすると、
「ふふっ。ダメです」
命は笑いながら俺の肩を抑える。仰向けに寝転がった体勢では、簡単に押し負けてしまう。
「せっかくの膝枕なのに、そんなに嫌がられてしまうと少し悲しいのです……」
「あ、別に、嫌ってわけじゃ……」
「本当に?」
「本当です」
「じゃあ、もう少しこのままいましょうか?」
「お願いします」
命は笑う。俺の眉にかかる前髪を、手櫛でそっとなでる。
「お疲れ様です」
「ああ。ありがとう」
その時だった。
「きゅう~」
と妙な音。最初、出所は分からなかったが、すぐに気が付く。命が口元を手で隠して、頬を赤らめていた。彼女のお腹の音だったらしい。
「ん?」
時計に目をやる。時刻は夜の十一時を回ったところ。
「命、飯は!?」
「まだなのです」
そうだ。今日はツヅリに捕まっていたから、帰るのが遅れた。
「悪い」
と、言いかけて。命に口をふさがれる。
「謝ったら怒りますよ。当然です。兄さんが頑張っているのですから、自分だけお夕飯を頂けません。それとも私、そんなに薄情な妹に見えますか?」
「いえ。全く」
「それなら良かった」
いたずらっぽく、命は笑う。
「温めなおしますね」
そう言って彼女は台所へ向かう。
間もなく、ちゃぶ台には湯気の立つ料理が並ぶ。
粒の立った白米に、みそ汁。それから、昨日の半額鶏肉を使った鶏の照り焼き。
「「いただきます」」
照り、という言葉がこれほど相応しい料理も有るだろうか。醤油ベースのタレに包まれて鳥皮が艶めかしく光る。宝石のように人を惹きつけて止まない。箸で掴めば、先端が沈み込む肉の柔らかさ。
「重曹に漬けましたからねー」
命は朗らかに言う。
「天才かよ……」
戦慄すら覚える。
「ほめすぎなのです」
命がはにかむ。
「いや。本当に美味いよ」
「喜んでもらえて何よりなのです」
そう言って命は、照れを隠すように汁椀に口をつける。そんな彼女と目が合って、視線を逸らされてしまう。残念、と思っていると、汁椀に隠れながら命はこちらを伺う。再び合う視線。思わず、互いに吹き出す。
こんな時間がずっと続けば良いのに。
素直にそう思う。
しかし、気が付けば時刻は零時を過ぎていた。
「兄さん。今日の勉強、どうしましょう?」
「流石に明日に回そうか。悪いけど」
テスト前でもないのに夜更かしして、体調を崩しても面白くない。
「大丈夫なのです。そうかと思って、一人でもできるとこを先に進めておいたのです。英単語とか、歴史とか、暗記モノを。実質、遅れは無しです!」
得意げな表情。俺の妹にしてはできすぎている。しかし、
「無理はするなよ」
「しないのです」
「別に、奨学金にこだわらないでも良いんだぜ? 都立くらいだったら」
「くどい、のです」
既に何度も繰り返したやり取り。命に苦言を呈される。
都立高校は有料だ。もちろん、学費免除も有る。しかし、この逼迫した日本財政。免除の条件はかなり厳しい。児童養護施設の子どもか、生活保護の家庭。少なくとも、俺たちはそのどちらも満たさない。
そこで、狙い目となるのが学校独自の奨学金。私立高校は優秀な生徒を集めるため、独自の奨学金を用意しているところも珍しくない。中には学費全額免除となるものも多い。
「奨学金だけじゃないのですよ。兄さんと同じ高校に通ってみたいのです」
ということはつまり、毎朝、命と一緒に登校できるということ。昼休みは一緒にお弁当を食べて、一緒に下校できるということだ。そのまま、二人で献立の話をしながら、一緒にスーパーに寄れば良い。少し寄り道するのも楽しいかもしれない。
「……確かに、それは魅力的だな」
「でしょう?」
命は笑う。
「さあ、明日も早いのです。もう休みましょう」
狭い六畳半。ちゃぶ台を畳んで布団を敷く。
「「おやすみ(なさい)」」
明かりを消す。間もなく、命の穏やかな寝息が聞こえる。しかし、俺は寝付けなかった。
熱帯夜。
どこかで名前も知らない虫が鳴いている。
コチコチと規則正しい時計の音。
天井を見上げる。
「都立高校くらいなら」
そうは言ってみたが、実際、東雲家の経済事情ではそれも難しい。命だってそのくらいは分かっているはずだ。私立一ノ木坂は奨学金も豊富だ。進学実績も優秀。この外周区から自転車で通える距離に有るのも悪くない。
「兄さんと同じ高校に通ってみたいのです」
それも命の本心だろう。
でも、高校くらいは自由に選べたら。
そんなことを思う。
「簡単だよ。ボクが君を強くしてあげる――」
ふと、脳裏にツヅリの声が響く。
「――だから君は、ボクの相棒になってよ」
そんな提案。
確かに、強くなれば、より強い敵を倒すことができる。
強い敵ほど、倒した時にもらえる金も多い。
そんな提案を
「悪い。それは無理だ」
俺は断った。
余計なリスクは背負えない。
一か八か、一攫千金のために、俺は【計画】をプレイしていない。
命と暮らしていくため。
金は無いけれど、ささやかな幸せに溢れている。
そんな生活を続けるために。
不確かなギャンブルに賭けるには、この日々の価値は重過ぎる。
だから断った。
「これで良かったんだよな?」
命の穏やかな寝顔に問う。
答えは無いけれど。
「ダメだ。寝よう、寝よう」
ぶんぶん、と頭をふって余計な思考を振り落とす。今日は赤字だった。明日は黒字にしたい。そのためにも、きちんと休まねば。頭まで布団を被る。
◆
「やあ。おはよう」
【計画】にログインすると、そこにツヅリがいた。
「なんで居るんだよ……」
「君を強くするために来ました」
清々しい笑顔で、迷惑極まりないことを宣言した。
—―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
総資産:95,169(日本円)




