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ツイノスミカ  作者: 日丘
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第2話⑶ 夜の勤務

 住吉は夜間帯の防犯システムを作動させるために、一階の事務所に向かった。

 一階に下りると、誰もいないはずの事務所から明かりが漏れている。

 近づくと、中からカタカタ、カタ、カッタカタ、と不器用なリズムでタイピングの音が聞こえる。

 誰かが残って残業しているようだった。


 住吉が事務所に入ると、食い入るようにパソコンに向かっている女性の後ろ姿が見えた。

 その女性は常勤の介護スタッフのジョアン・サントスだった。

 ジョアンは三十代のフィリピン人女性で、二十歳の時に来日してからずっと日本で生活しているらしい。そのため日本語が堪能だった。


 深緑の郷にはジョアンの他にもフィリピン人のスタッフが非常勤勤務で二人いる。彼女達も日常会話では問題なく日本語を話せるが、彼女達の間で喋る時はお互い英語で話し合っている。ジョアンはそのフィリピン人グループの中でリーダー的存在だった。


 ジョアンは住吉の気配に気づくと、振り向いて「お疲れー」と満面の笑みを見せた。

 ジョアンは明るく気さくな性格で、入居者達とも仲が良く、顔を合わせる度にお互いに「ハロー」と言って笑い合っている。

 しかし、今日のジョアンの勤務はたしか日勤のはずだ。今の時点で一時間以上残業していることになり、相当疲れているはずだが、その笑顔からは相変わらず疲れを感じさせない。


 そんなジョアンだが、再びパソコンに向かうと顔を曇らせて溜息を吐いた。

 住吉が近寄って見てみると、ジョアンが残業している業務は入居者のモニタリングだった。



 介護施設の入居者にはそれぞれケアマネージャーが作成した介護計画というものがある。

 モニタリングとは、その介護計画をもとに提供されている介護サービスが適切に実施されているか、入居者やその家族のニーズを満たしているか、今後もそのサービスを提供していくか、といったことを定期的に確認する作業だ。


 深緑の郷ではこのモニタリングを一ヶ月に一度、月末に介護スタッフが行っている。

 介護スタッフには居室担当として数名の入居者が割り振られ、それぞれ担当の入居者のモニタリングを行う。

 ジョアンはこれに苦戦しているようだ。



「パソコン難しいよ。これ合ってる?見てくれる?」


 ジョアンに尋ねられた住吉は脇から覗き、指摘された箇所を見てみた。


『この方今、ヨルグルット食べませんです』


『午後アクティビティ参加願えするます』


 だいたいの内容はわかるが明らかに日本語が変だ。

 普段話しているジョアンの日本語はもっと自然だったように思う。少なくとも違和感は感じなかったはずだ。

 ジョアンは元々日本語を書く事が少ないため、そちらの能力は低いのかもしれない。それなのに他の日本人と同じように仕事をしなければいけないのだから、かなり大変だろう。住吉は他にも不思議な日本語がちょこちょこあるのを見つけた。


「よかったら少し手伝いましょうか?」


「ホント?ありがとう!助かるよ」


 住吉は今の時間、少し余裕があったのでジョアンのモニタリングを手伝うことにした。

 しかし、ジョアンはすでにかなりの残業をしていて時間も夜遅いので、『ヨルグルット』など意味のわかるものはそのままに、あまりにも解読の難しいものだけをジョアンに確認しつつ、直していく。


 そうして手伝っていくうちに、和田菊枝さんのモニタリングの画面になった。

 和田さんもジョアンの担当の入居者の一人だ。しかし、サービスの評価の欄は空白のままだった。

 ジョアンがマウスを持つ手を止め、モニターを見つめた。


「和田サンのモニタリング、継続じゃない方がいいかな?和田サン、このままなサービスじゃワタシ達の負担大きいし。住吉サン、どうしたらいいと思う?」


 住吉もモニターを見つめる。


「……」


 しかし、なかなか答えは出なかった。


 パソコンに書かれた和田さんのサービスの内容は、『日中は不安を感じないよう他のご入居者方と一緒に過ごしていただく。ご本人様から不安の訴えがあれば職員が傾聴し、不安の解消に努める』といったものだった。

 現状、サービスの実施は出来ている。

 ただジョアンの言う通り、傾聴の対応にあたる介護スタッフの負担が大きいのも事実だった。一人の入居者に負担が偏ってしまうと、他の部分が疎かになってしまう。


 家族のニーズは『日中は他の入居者達と過ごしてほしい』となっている。

 和田さん本人のニーズは認知症になった今、聞き取ることが出来なかったようだ。

 しかし、備考欄には『以前は社交的な性格だったため、やはり他の入居者達と一緒に過ごしていたいのではないか』と書かれている。

 そうなると日中も自室で過ごしてもらうという選択は出来ない。


 解決策の一つとして、スタッフへの訴えを減らすため抗認知症薬を増量するという選択もある。

 この薬を増量するとスタッフへの訴えのような周辺症状は収まる。ただ問題なのは訴えが減るだけでなく、本人の活動量そのものも低下させてしまうということだ。

 これでは本人のニーズはもちろん、家族のニーズにも応えられない。そのため、家族もこれを拒否していると書かれている。

 薬を増量するという話が和田さんに検討されるのは、たとえば歩くことによる転倒のリスクが今よりも増えた時などになるだろう。


 どうしたらいいかとしばらく考えていると、住吉はふと日中の真理子の対応を思い出した。

 住吉はこれまで和田さんから訴えがあっても、ただサービスの内容通り傾聴し、決まった答えを丁寧に返すだけだった。

 ただあの時、真理子がいつもと違う対応をすると、和田さんもいつもと違う反応を示した。そして数分間、いつもの訴えが止まった。


 それは何度も繰り返し効果のあるものではなかったが、手紙を書いてもらうだけでなく、他の対応でも彼女が夢中になれる事があるかもしれない。

 そして、今回は一度きりの数分間しか続かなかったが、中には繰り返し使える対応もあるかもしれない。

 もし何度も使える答えが見つかれば、介護スタッフにとっての業務が楽になるだけでなく、和田さんにとっても不安を感じる時間が少なくなるし、転倒リスクも減らすことが出来る。

 色々と模索して試してみる価値はあるのではないか。


 ジョアンにその事を話すと、彼女は満面の笑みを浮かべ、「住吉サン、頭いいなー」と言って賛成した。

 ジョアンは和田さんの対応にこれまで相当頭を悩ませていたのか、その後も住吉に何度も感謝を告げると、ズボンのポケットから隠し持っていた大量のアメちゃんを取り出して、お礼にと言ってくれた。



 後日、ジョアンがこの和田さんの対応策の件を、施設長の山上やケアマネージャーの鶴見に相談したところ、彼らもこの案に賛成した。

 そしてこの日から、和田さんが頻繁にスタッフを呼び止めるようになった時には、これまでと違う対応を試み、それに対して和田さんがどういう反応を示したのかを対応に当たった介護スタッフがパソコンに記録することになった。

 この結果、一時的にスタッフの肉体的な負担は上がるが、上手くいけば今後の精神的負担が大きく下がる可能性がある。

 和田さんに対するこの対応は強制的なものではなかったが、多くのスタッフが前向きに取り組んでいた。



 和田さんの今後の対応の件は、明日一度山上や鶴見に提案するということでこの日はまとまった。

 その後も住吉が少し口を挟みながら、二人でジョアンのモニタリングを進めていると、ガララと事務所のドアが開く音がした。

 突然の音に住吉とジョアンは思わずビクリと身体を震わせた。


 驚いた二人がドアの方を振り向くと、そこには入居者の浅沼弥生さんがシルバーカーを押して立っていた。


「すいませーん。ちょっといーい?」


「浅沼サン、どうしたですか?一人で歩くの危ないですよ。もお寝る時間です」


「ちょっと頼みたいことがあって」


「なにですか?」


「さっき寝てたら誰か知らない人が部屋の中に入ってきてたみたいなの。見てくれない?」


 認知症の入居者による誤入室は、夜間帯などスタッフが目を話している時間帯にたまに起きる。

 浅沼さんも認知症なため、実際に誤入室があったかはわからないが、訴えがあるからには確かめに行かなくてはいけない。


「じゃあ、僕浅沼さんについて行ってきますね」


「私の方はもう、すぐ終わるから大丈夫。ホントにありがとう」


 ジョアンと別れの挨拶をすると住吉は浅沼さんに付き添って事務所を出た。

 一階の暗い廊下にカラカラカラカラという浅沼さんのシルバーカーを押す音が怪しく響く。


(そういえば、自分の部屋に知らない人が入ってきたっていうのに、浅沼さんはよく平静でいられるな)


 カラカラカラ……。

 住吉がそんな事を思っていると、急に浅沼さんが立ち止まった。

 住吉が隣を見ると、浅沼さんは暗い廊下の奥の一点を見つめている。


「どうしました?」


 住吉が尋ねると、浅沼さんは一言呟いた。


「あの子誰だろう……」


 住吉はドキッとして、浅沼さんの視線の先を見た。

 暗闇に慣れてきた目を凝らして見ても誰も見えない。

 住吉は背筋が凍るのを感じた。

 住吉は立ち尽くしていた浅沼さんを必死に促しエレベーターに乗せると、二階に行き、二一七号室の浅沼さんの居室に急いだ。


 浅沼さんの居室の中はいつも通りで、誰かが入った痕跡はなかった。

 二階の入居者を思い出してみても、夜間に浅沼さんの部屋に間違えて入ってしまうような入居者は思い当たらない。

 それでも浅沼さんは誰かが入ってきたと思い込んでいるようだったが、住吉は夜は自分が二階廊下の見廻りをしていることを告げて、納得してもらった。



 二階のスタッフルームに入った住吉はそのままドサリと椅子に座り込むと、「フゥッ」と息を吐いてパソコンを開いた。

 浅沼さんの居室まで付き添って歩いただけなのに、住吉は相当な疲れを感じていた。

 精神的な疲れかもしれない。

 先程の浅沼さんの言動をパソコンに記録した。

 記録が終われば一安心だ。

 先程の浅沼さんの言動は朝まで全て忘れることにした。


 カチカチカチカチカチ。

 こうやって一人で座っていると、時計の針の動く音だけがはっきりと聞こえてくる。

 住吉が事務所に行ってジョアンの手伝いを始めてから、なんだかんだで三十分ほどの時間が経っていた。


 せっかく余裕のあった時間もほとんど無くなってしまったが、住吉は悪い気はしていなかった。

 今までの住吉は和田さんの訴えに対して機械的に対応し、ストレスを抱え込むだけで解決する方法なんてものは考えたことがなかった。

 住吉は半年間働いてきて、初めてこの仕事のやりがいを感じた。

 そしてこのやりがいは、無気力に働いていたままでは出会えなかったものだった。



 午後十一時を少し過ぎた頃。

 住吉は午後十一時の定時巡視を終えたが、今のところは珍しく何事も起こっていない。

 二階のほとんどの入居者はグッスリと眠りについていて、穏やかな夜だった。

 普段は頻繁に鳴る各居室に置かれているナースコールが鳴ることもない。

 おかげで洗濯業務や明日の朝食の準備など、夜間帯に行う雑務もスムーズにこなすことが出来た。


 一通りの業務が終わり、一段落すると「ふわぁっ」と自然に欠伸が出た。

 休憩まであと一時間。

 深緑の郷では、夜勤スタッフは午前零時から二時間ずつ、交互に仮眠のための休憩を取る。

 二階の担当の夜勤から休憩に入るため、この日は住吉が先に休憩に入る。


 スタッフルームに戻った住吉はどっと椅子に腰掛けるとパソコンを開き、前半の業務の最後の仕上げとして、夜間帯のこれまでの業務の記録を入力していった。


 カタカタカタカタ……。

 パソコンを打ち始めてから十分ほどが経った時、タイピングの音に混じり廊下の方からコツコツコツコツと足音が聞こえてきて、住吉はピタリとキーボードを叩く手を止めた。そして、注意深く耳を澄ました。

 誰か入居者が目を覚まして出てきてしまったのかもしれない。

 休憩前に災難だ。


(休憩時間までに対応出来るだろうか)


 そう思いながら身構えていた住吉の前に姿を現したのは、入居者ではなく小林だった。

 小林はパンパンに膨れた自身のリュックサックを背負い、腕には業務用のパソコンを抱えている。


 どうしたのかと問いかける目を向けた住吉に対し、小林は「私もここで記録してもいい?」と言ってバツが悪そうに笑った。


「一階のスタッフルームにいると、どっかからなんか変な声が聞こえる気がしてさ。巡視したらみんな静かに寝てたから、入居者の声ではないと思うんだけど……」


 小林はその声を思い出したのかブルっと身体を震わせた。


 ここ深緑の郷ではもともと、最近になって夜中に一階で女性の霊が泣いている声が聞こえるという噂が広まっていた。夜勤勤務をしたスタッフの何人かが実際に女性の呻き声のようなものを聞いたと主張したことから広まったようだ。


 夜間帯、施設内ではスタッフルームを除いて、共有スペースでは非常灯以外のほとんどの電気を消しているため、フロアはかなり薄暗くなっている。

 加えて深緑の郷では看取り介護も行っていて、延命措置を取らずこの施設の中で息を引き取った入居者が今まで何人もいた。

 女性の呻き声のようなものの正体が何なのかはわからないが、ここは霊の噂が広まるのにうってつけの環境だった。


 そういえば先日、真理子と一緒に夜勤をしていた時も、朝になって「誰もいないのに夜中ずっと女の人の声聞こえてくるの!あれやっぱ霊だよ。絶対!」と興奮気味に訴えてきた。

 住吉はこの声をまだ聞いたことがないが、どうやらその音自体は本当に存在しているようだった。

 女性スタッフの中にはこの声を聞いた事があるかどうかに関わらず、これが怖くて夜勤が苦手だという人も結構いる。小林もその一人だったのかもしれない。


 断る理由もないので、住吉は快諾した。

 しかし、すぐさま頭を悩ませた。

 どうにも気まずい。

 しんとした空気の中、決して広いとは言えない空間で、一歳年上の女の子と二人きりである。彼女が七歳の子供を持つ母であるとはいえ意識してしまう。

 

 住吉のタイピングの音だけが響きわたる。

 カタッカタカタカタッカタカタ。心の動揺の表れか普段のように打てず、歪なリズムになってしまう。それを矯正しようと意識すると、さらにリズムが崩れる悪循環だった。

 気まずい雰囲気を断つためにも何か話題を振りたいが、何も思い浮かばない。

 そういえば半年間ここで働いてきたが、小林とはこれまであまり話したことがなかった。

 もしかしたら住吉の方から無意識的に避けていたのかもしれない。住吉は介護の仕事に対し真正面から向き合っている小林が苦手だった。


 気まずい沈黙をごまかすようにあれこれと考え思考の中に逃げていると、脇でゴソゴソと小林がリュックサックから何かを取り出し、机の上に並べていくのが見えた。

 それは折り紙や型紙など、深緑の郷の行事イベントの飾り付けで使う小物だった。


 深緑の郷では事故防止委員会、美化委員会などいくつかの委員会があり、常勤スタッフは全員がそのいずれかに所属している。

 小林はこの中のレクリエーション企画委員会に所属していた。


 レクリエーション企画委員会は毎日行う午後のレクリエーションや毎月一度行う行事イベントに関する作業全般を行う委員会で、企画を始め、準備や進行なども行う。一番やる事の多い大変な委員会だ。


 ちなみに住吉もなんらかの委員会に所属しているはずなのだが、これまで活動のために招集されたことはなかった。

 勤務時間外の活動ということもあって強制的に参加しなければいけないものではないのかもしれない。


 そんな消極的な住吉とは対照的に、隣に座る小林はせっせと折り紙を型紙に当ててカッターで切る作業をしている。

 赤い折り紙を使って複雑な形に切っているところを見ると、時期的に紅葉を作っているのかもしれない。


(記録作業が終わってるんなら、休めばいいのに)


 一息つける束の間の時間にも作業をするなんて、本当にこの仕事が好きなのだろう。自分の好きな仕事に就けているなんて、住吉から見たらとても羨ましい事だった。


 カタカタ、カタッ……。

 そうこう考えている間に住吉の記録作業も終わってしまった。

 時計を見ると休憩に入る時間まではあと二十分ほど。いつもなら何をするでもなくただダラダラと過ごすのだが、いそいそと作業をしている小林の隣でそれをするのは気がひける。

 パソコンを眺め、記録を続けているふりをしながら適当に時間を潰すことにした。


 そうしているうちにふと自分が担当する入居者達のモニタリングが気になった。

 先日、やはり夜勤で時間に余裕があった時に今月分のモニタリングはすでに終わらせていたが、もう一度確認してみることにした。

 住吉は三人いる自分の担当入居者のうちの一人である内藤美子さんのモニタリング画面を開いた。


 内藤さんは七十二歳と深緑の郷の入居者の中では比較的若い入居者だ。

 そういえば以前、谷川が「うちの姉ちゃんと同い年だ」と言っていた。

 内藤さんは数年前に夫を亡くしており、その後は一人暮らしをしていたらしい。

 しかし、認知症のため物忘れをすることが増え、家族との話し合いの結果、一人暮らしは困難だと判断し、施設に入所することになったそうだ。


 ただ、実際の内藤さんは健康的でアクティブなお婆さんだ。食堂の一角には毎日のように数人の入居者が集まり、内藤さん主催のお茶会が開催されている。

 認知症で物忘れが少し多いということ以外には特に生活に支障がなく、普段もほとんどの場面で介助なく自分のペースで生活している。

 介護スタッフが内藤さんに対して働きかける事といえば、物事を忘れないようにその都度声をかける程度だ。和田さんのようにこちらからあれこれと働きかけることをほとんど必要としていない入居者だった。


 そんな内藤さんのサービス内容を見てみると、『レクリエーションに参加することで楽しい生活を送っていただく』とある。住吉は継続にチェックしていた。

 実際に内藤さんは毎日様々なレクリエーションのほぼ全てに参加しているし、いつも楽しそうに生活している。

 今、住吉の隣で小林が作っているような飾り付けに対しても、「これ素敵ね」、「もうそんな季節なのね」などと笑顔で反応していた。

 内藤さんが楽しい生活を送る上で、レクリエーションへの参加は不可欠だろう。


 ただ、そう考えると内藤さんが楽しく生活を送れているのは、小林達レクリエーション企画委員会に所属するスタッフ達のおかげだ。

 こちらから働きかけることがないわけではなく、彼らが代わりにやってくれていただけなのだ。

 そう思うと、黙々と作業をしている小林の隣でただやる事なく黙々と時間を潰していることに先程までとはまた別の居心地の悪さを感じた。

 住吉はその居心地の悪さに耐えきれず、思わず小林に声をかけていた。


「その作業、僕もやっていいですか?」


 小林は真横から不意に声をかけられたことに驚いたようで、ビクッと飛び跳ねながら振り向いた。

 しかし、住吉を見ると「もちろん!ありがとう」と言って机の上に並べていた折り紙のうち何枚かを手渡した。


「折り紙を何枚か重ねた後半分に折って、それをこの型紙に合わせてカッターで切って欲しいの」


 そうすると再び折り紙を広げた時に綺麗な紅葉の形になるらしい。

 型紙は複雑な形をしていて、実際やってみると何枚もまとめて切るのは意外と難しい作業だった。

 慎重に少しずつカッターを動かしている小林を横目に、住吉はカッターを器用に使ってサクサクと進めていった。

 こういった細かい単純作業は漫画家のアシスタント時代にやり慣れている。その時の経験が意外なところで役に立った。

 型紙を取り折り紙を広げると、数枚の綺麗な紅葉が広がった。仕上がりは上々だった。


「住吉くんて手先器用なんだね!」


 小林が住吉の手元を見て感嘆の声をあげた。

 たいしたことはしていないのだが、褒められると嬉しい。住吉は嬉しい時の癖で鼻をかいた。


「昔からこういう作業だけは得意なんです」


「これまで仕事とか趣味で何かやってたの?」


「子どもの頃はアニメとか漫画が好きな影響でプラモデル作ったり、絵を描いたりしてました」


「あ。あたしもアニメ好きなの!どんなアニメが好きなの?」


 その後は、今までほとんど会話のなかったことが嘘のように話が盛り上がり、二人で和気藹々と作業を進めた。

 あっという間に、あと五分で休憩という時間になった。住吉はこんな時に限って時間が経つのが早いことを残念に思った。


「住吉くんが羨ましいな。私は手先が不器用だから」


 ポツリとそう言った小林の手元を見てみると、確かにあれだけ時間をかけていたのが嘘みたいに、歪な花びらが重なっている。


「そのせいで飾り付けは下手くそだし。元旦那とも別れたし」


「え?」


「前の旦那とは私の不器用が原因で別れたの」


「そうだったんですか……」


 思わぬ話題に飛び火してしまった。

 この話はもう少し続けるべきなのか、深入りせずにここで話題を変えるべきなのかと住吉が迷って押し黙っていると、小林の方から身の上話を始めた。


 小林が元旦那と別れた原因の発端は、小林が不器用ゆえに家事全般が苦手だったことにあったらしい。


「元旦那も不器用だったから、相手は器用な人が良かったんだろうね」


「でも小林さんが不器用なのわかってて結婚したんですよね」


「バレてなかったんじゃないかな。結婚する前までは出来合いのもの私が作ったって言って出したりしてたし。でも結婚した後は流石に自分で作ろうと思うじゃん。それでバレちゃったの」


 色々とツッコミどころがあるようにも思えるが、その分野の経験値がない住吉には何が正解なのかわからない。

 まるで雲の上の出来事について話されているようだった。


「住吉くんは結婚してるの?」


「してないです」


 住吉は慌てて手を振った。


「それどころか付き合ったこともないですよ」


 突然の質問に動揺した住吉はついつい余計なことまで口にしてしまった。


「そうなの?住吉くんて私の一歳下だよね」


 今度は小林の方が見たことのないものを見る目で住吉を見た。


「なんでなんだろ。こんなに器用なのに。顔も身長も普通だし。眼鏡だし」


 小林なりにフォローしてくれているのだろうが、褒められている感じはしない。

 そもそもそんなに驚かれるほど、出会いとはコロコロと落ちているものなのだろうか。

 自分でも見た目は普通だと自覚しているが、今までそういった機会は一度もなかった。

 何故だろうと考えると、自分なりに一つの理由に思い当たる。

 しかし、それは小林の次の言葉に吹き飛ばされ、一瞬で忘れさった。


「ほんともったいないよね。私も今度結婚する時は住吉くんみたいな人がいいな」


 住吉の脳がその音の羅列を言葉として処理するのに相当な時間がかかった。

 そして、やっとのことで言葉の意味が理解出来ても、今度は自分の出すべき言葉がまとまらない。言葉になりかけては、次々に解れていってしまう。

 小林がどういうつもりで言っているのか、からかわれているだけなのか経験不足の住吉には皆目検討がつかない。

 住吉は口を開くも言葉が出ず、ただただ自分の顔が赤く火照っているのを実感していた。


 誤魔化すように時計を見ると、時刻はすでに午前零時を回っていた。

 これ幸いと住吉は小林に休憩の時間であることを告げると、赤く染まった顔を見られないように俯いて、そそくさとスタッフルームを抜け出した。


 休憩室に入り、仮眠用のベッドの上で横になってからも、住吉は先程の事を思い返していた。

 せっかくの休憩時間なのに仮眠どころではなくなった。

 住吉自身の気持ちはどうなのだろう。小林の真意もわからないうちにこんな事を考えるのは気が早い気もするが、自分は小林のことを好きなのだろうか。

 正直今まで考えたこともなかった。

 単に小林に関心がなかったというわけではない。

 これまでは自分のことで精一杯だったのだ。田島に同じことを言われたとしても同じように悩んだだろう。

 住吉がそんな皮算用に悶々とうなされていると、あっという間に二時間が経っていた。

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