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ツイノスミカ  作者: 日丘
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第2話⑴ 派閥

 翌日。この日は夜勤勤務のため、夕方に出勤した住吉は、事務所に入ると施設長の山上裕太から声をかけられた。


「昨日の榎本さんの件、聞いたよ。小佐田くんのフォローしてくれたんだって。真理子さんがすごい感謝してたよ」


 今日も小佐田は通常通り出勤していた。

 ただそれはおそらく住吉のおかげではなく、真理子のおかげである。真理子自身はそれに気づいていないのかもしれない。


「僕からも本当にありがとう。最近、榎本さんに怒られて辞めちゃう人多かったし。住吉くんとか小佐田くんとか、若い子には特に頑張って続けていってもらいたいしさ」


 山上は白い歯を見せながら、爽やかに言った。住吉の事を若いと言うが、山上は現在二十六歳で住吉とは一歳しか違わない。


 山上は専門学校を卒業後、新卒で深緑の郷と同じ系列の介護施設に入社した。その後サービスリーダー、副施設長と順調にステップアップした後、昨年からこの深緑の郷に配属されると施設長に就任した。


 若々しく爽やかな見た目と誰に対しても優しく人当たりのいい性格が影響し、入居者や年上の先輩スタッフからは山上くんと呼ばれ慕われている。


「榎本さんも根は悪い人じゃないんだけどね」


 山上はそう言うと、困ったように笑った。

 お婆ちゃんっ子を自認する山上は優しい性格とは別に、高齢者に対する愛情が特に深いという側面もある。

 そのため、どの入居者に対しても自分の祖父母のように接し、彼らのために必死に働いている。その姿は彼の上司達からも介護士の鑑だと称賛されているほどだ。


 山上が施設長である限り、よほど根が悪い悪人でない限り入居者に退去を求めることはないだろう。

 実際に怒鳴られた小佐田や門脇からしたら根が悪い人かどうかで判断されるのは納得がいかないだろうが。


「でも住吉くんがそういう事するって意外だよね」


 住吉がモヤモヤと考えていると、山上の向かいのデスクに座るケアマネージャーの鶴見綾子が顔を上げてそう言った。


 鶴見は介護一筋この道二十五年の大ベテランで、様々な施設や役職を渡り歩き、こちらも山上同様昨年から深緑の郷のケアマネージャーに就任した。


 ケアマネージャーとは、入居者やその家族らの相談にのり、それをもとにそれぞれの入居者の介護サービスの計画を作成する仕事だ。

 基本的に現場に出て直接入居者の介助にあたることはなく、普段はほとんど事務所内でパソコンに向き合い仕事をしている。


「なんか住吉くんていつも暗いし、正直やる気ないんだと思ってた」


 いつも余計な一言が多いのが鶴見の特徴だ。

 思考の門が常に全開で、思ったことは全て吐き出す。

 住吉ははじめのうちは、こうしたことを言われるたびに腹立たしく思っていた。しかし、半年が経ち、これが彼女の性格なのだとわかるとだんだんと慣れてきて、今では何とも思わなくなった。

 何しろ鶴見のハッキリとした物言いには榎本さんでも首を垂らし、借りてきた猫のようにじっと押し黙っているのだ。榎本さんにあれほどハッキリものを言えるのは鶴見の他にいないだろう。


 しかし、介護スタッフの中には、今でも鶴見の鼻につく物言いに不快感を覚えている人も多い。

 その代表的なのが真理子だった。

 門脇を喫煙室に誘い、鶴見の言動についてよく愚痴り合っている。


 反対に鶴見の側でも真理子等ベテランを始めとした介護スタッフ達の仕事ぶりに対し、不満を抱えているようだった。こちらは普段からよくあけすけに非難していた。


「そもそも何で他の職員は新人一人に榎本さんの介助任せるのかな」


 今回の件に関しても不満を抱えていたようで、隣に座る看護師の呉田直美に向かって愚痴を溢した。


「ほんと。真理子さんとか門脇くんとかいたんでしょ?あの人たち、いつも自分のことばっかりだよね」


 呉田が応じた。

 呉田も日頃から介護スタッフ達の仕事ぶりに不満を抱えているようで、特に真理子とは同年代ということもあってか犬猿の仲だった。

 そのため鶴見とは意気投合してよく事務所内で愚痴り合っている。


「だいたい真理子さんが最初に榎本さんの誘導すれば済んだ話じゃないの?」


「そうだよね。門脇くんだって服薬介助でいけなかったとか変な言い訳してるし。ここの人達っていつもなんか他人事なんだよね」


「この前もヨネさんがトイレ行きたいって言ってるのに自分の仕事じゃないからとか言ってさ」


「なにそれ。自分で立ち上がったら危ないじゃない。いい加減にして欲しいよね」


 二人の愚痴は盛り上がり、その内容は普段の介助にまで飛び火していった。

 真理子や門脇は、このように普段直接入居者の介助にあたることのない鶴見や呉田が、介護スタッフの仕事に意見をしてくることに対しても不満を抱えている。


「事務所の人達は現場のことわかってないくせに余計な口出しばっかするんだよね」


「時間的に無理なのわかんないのかな。理想論押し付けて文句だけ言うんだよな」


 このように二人で言い合っているのを住吉もよく聞く。

 こうした形でお互いの不満は真正面からぶつかり合い、施設内では真理子や門脇の現場派と鶴見や呉田の事務所派で別れ、対立構造が生まれている。


 とは言っても、ほとんどのスタッフはその時々に応じてそれぞれの愚痴を聞くだけで、特に誰かと敵対しているわけではない。

 住吉もこの対立にはあまり関わらないようにしていた。

 現場派と事務所派は対立しているが、それはどちらも介護の仕事に真摯に向き合っているからこそ起こったものだ。

 住吉は彼らの熱血な部分に触れるたびに心が苦しくなるのを感じた。


「まあまあ、今回は住吉くんがフォローしてくれたんだから良かったじゃない」


 鶴見と呉田の愚痴り合いがヒートアップする中、山上が柔らかい笑みを浮かべながら間に入った。

 本人達が狙ってやっているのかはわからないが、まず鶴見や呉田が見境なく物事を非難し、その後山上が優しくフォローして場を収める、という飴と鞭のスタイルは深緑の郷の事務所組のお家芸だった。


 山上は顔を上げると、鶴見と呉田の愚痴り合いを呆然と眺めていた住吉に対しても声をかけた。


「今一番小佐田くんの気持ちがわかるのは住吉くんだと思うから、これからも彼のこと頼むよ」


 こういった方々への気配りこそが、山上がスピード出世した理由かもしれない。

 住吉は山上の気配りに対し感心すると同時に、彼の要求には応えられそうにないことを申し訳なく思った。

 今の住吉に他人を気遣う余裕はない。

 今回小佐田のフォローに入ったのは、あの時誰がどう見ても自分がフォローしに行かなければいけないポジションに立っていたからだ。近くに真理子がいたならば躊躇なく彼女に任せていただろうし、誰かが応援に駆けつけてくれば躊躇なくその人に任せて途中退室していただろう。自分のために仕方なく動いたにすぎない。


 鶴見の物言いは無神経で乱暴だが住吉のことに関しては確かに的を射ている。

 住吉は自分にやる気がないことを自分でも自覚している。

 漫画家になる夢を挫折してから、心は今も宙ぶらりんの状態だ。あそこまではっきり才能を否定されたにも関わらず、漫画家になりたいという夢にまだ未練がある。そして、そのために真理子や鶴見達のように真剣に介護の仕事に向き合っていくという覚悟が持てていない。

 視界が真っ暗で自分の足取りもおぼつかない。このままではダメだということは自分でもわかっているのだが、どうしていいのか次に取るべき行動がまるでわかっていなかった。



 ガララと音がして「お疲れでーす」と門脇が事務所に入ってきた。

 早番の仕事が終わったところらしい。

 住吉に目で挨拶し、退勤カードを切ったところで呉田から物言いが出た。


「門脇くん。一昨日の夜勤のことだけどさ。私がフォローしたけど本当はアレ介護スタッフの仕事でしょ。万が一の時、あれでどうするの?この前、私ちゃんと緊急対応の冊子みといてって言ったよね」


「あー、見ましたよ。でもあんな分厚い冊子、こんな忙しいのに全部見る時間ないでしょ。適当に投げるだけじゃなくて、どこが大事かとかくらい言ってくださいよ」


 門脇は面倒くさそうに頬を掻きながら言った。仕事終わりを狙って非難されたことに苛立っているようだった。


「全部大事に決まってるじゃない。それくらいー」


 呉田が言い返したところで住吉は山上等に頭を下げ、そそくさと事務所を出た。


 時計を見るとちょうど夜勤の勤務時間になっていた。

 これ以上住吉があの場に留まっていても仕方がない。

 きっと呉田と門脇がお互い言いたいことを吐き出した後に、山上が間に入って場を収めるだろう。

 住吉はこれから十五時間と長丁場の夜勤業務が始まる。

 住吉は切り替えてスタッフルームへと向かった。

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