第6話 クリスマス会
クリスマス会当日。
住吉はトナカイの被り物を着て入居者達の誘導に奔走していた。
「住吉くん似合ってるよ」
「トナカイくん転ばないようにね」
色とりどりの飾り付けが施されている廊下を行き来していると、至る所から入居者達の野次が飛んでくる。
振り返ると皆笑顔で手を振っていて、彼らのウキウキした気持ちが伝わってくる。
天井のスピーカーから聞こえてくる陽気なクリスマスソングと相まって、なんだかこちらまで浮き足立ってくるようだ。
深緑の郷のクリスマス会はレクリエーションの時間を大幅に拡大し、食堂にて開催される。
ここに暮らす全入居者が食堂に集まった。
普段のレクリエーションには参加しない榎本さんも、広岡の介助のもと車椅子で参加している。
そして、入居者に加えて今日は入居者達の家族も招待している。そのため食堂には小さい子どもからお年寄りまで様々な人が集まり、入居者を交えてそれぞれ旧交を温めていた。
こうして食堂に多くの人が集まる中、前方正面に飾られている住吉達の作った大きなちぎり絵は多くの人の注目を浴びていた。
入居者達もそれぞれ普段は見せることのない反応を見せてくれている。
和田さんは普段と同じく、この日もスタッフを頻繁に呼び止めて不安を訴えていたが、付き添いのスタッフに絵を紹介されると顔を上げて「わぁ、素敵ね!」と訴えを止めてしばらく見渡していた。
広岡に案内されて絵の前に来た榎本さんも、絵を見上げると「これはすごいな」と圧倒されたようだった。
住吉が描いた入居者達の似顔絵の評判も上々だった。
説明を促された住吉が、一人一人誰の似顔絵かを解説していくと、「あたしこんな可愛くないわよ」、「あたしにそっくりじゃない。住吉くん、ほんとありがとう」と三者三様の反応を見せながら、皆喜んでくれた。
ヨネさんは住吉が説明する前にめざとく自分の似顔絵を発見すると、「これ私!」と付き添っていた息子家族に自慢していた。
住吉がヨネさん達の様子を微笑ましく見ていると、ヨネさんの息子である水原隆さんが住吉に気づき、こちらにやってきた。
「ありがとうございました。母から聞きました」
住吉の前まで来ると、隆さんはそう言って頭を下げた。
住吉が何の事かと頭を捻っていると、隆さんは「誕生日の似顔絵です。お上手ですね。母から散々自慢されました」と笑った。
その事かと住吉は合点がいったが、照れ臭さもあり慌てて手を振った。
「いえいえ、下手の横好きですよ。似てなくて申し訳ないです」
「そんなことないですよ。父が死んでから、母のこんな笑顔は初めて見ました。僕なんか母が絵を好きだなんて事も知らなかったですし。本当に感謝してます」
その後、隆さんは改めて礼を述べると、家族の輪の中へ戻っていった。
それを見送った住吉は胸の奥が熱くなるのを感じた。
介護士として深緑の郷の一員になれた気がした。
その他にも多くの入居者やその家族が住吉等の描いたちぎり絵の前に集まり、賞賛の言葉をかけてくれた。
住吉はこうした光景を見て、頑張ってきて良かった、と改めて心から思った。
午後二時半。
クリスマス会が始まった。
司会はサンタの格好をした小林が務める。
まずは小林のクリスマス会の開会の挨拶から始まり、次いで小林の紹介で参加するスタッフ達が一言ずつ順に挨拶をしていく。
スタッフ達が自己紹介し挨拶する中、ジョアンやアマンダ等ムードメーカーのフィリピン勢が囃し立てて場を盛り上げている。
住吉の挨拶の時には、正面の絵の似顔絵を描いたスタッフであることが小林から紹介され、その場にいる全員から拍手喝采を受けた。
こんな風に自分の絵を褒められる事は初めての経験で照れ臭かったが、同時に満たされた気分になった。
一通りスタッフの挨拶が終わると、入居者全員にビンゴカードが配られ、ビンゴ大会が始まった。
会場の正面にあるテレビ画面に順番に数字が映し出され、その穴を開けていく。
自分一人で参加出来ない入居者にはスタッフが見守りつつ介助に入った。
そうしてビンゴになった入居者から順に、用意されたプレゼントの中から好きな物を選んでいき、小林と同じくサンタの格好をした谷川がプレゼントとして手渡す。
サンタの格好をした谷川は本物のサンタだと言われても疑わない程完成度が高く、入居者達からも人気でたくさん声をかけられていた。
ビンゴ大会は好評だった。
介助を必要としない入居者達は自由に各地で集まって盛り上がり、介助が必要な入居者達も介助にあたったスタッフと楽しそうに笑い合っていた。
和田さんも夢中になっていた。
クリスマス会が始まってから三十分程が経とうとしているが、開始してからはまだ一度も不安の訴えがない。
やはり作業に集中すると不安を忘れられるのかもしれない。
榎本さんは家族やたくさんの人が集まる中でも通常営業だった。
威圧的な態度で広岡にマンツーマンで介助することを強要し、ちょっとした王様気分を味わっていた。
今は広岡の食事介助で周りより一足先におやつのケーキを食べている。
スタッフは入居者達の家族の前で榎本さんが怒鳴りだすことのないよう気を配っていたが、榎本さん一人に対する特別な王様待遇は逆に浮いているようにも見える。
しかし、そんな榎本さんをよそに入居者達の家族はせっかくの入居者との時間を思い思いに過ごしている。
竹本さんの家族のように入居者を後方に呼び出して一緒に参加する人もいれば、ヨネさんの家族のように後ろから自分達の家族が楽しむ姿を温かく見守っている人たちもいる。
住吉らトナカイ組のスタッフは榎本さんに捕まっている広岡を除いて、介助が必要な入居者達の合間を忙しなく行き来する。
これに合わせてトナカイの格好をさせられているのだと思うと悲しい。
それでも入居者達と和気藹々と過ごす時間は楽しかった。
そしてそれは他のスタッフも同じなようだった。
見渡してみると、最近元気がなかった鶴見や小佐田も周りの人達と笑顔で過ごしている。
山上は相変わらずいろんな入居者達とベタベタ触れ合いながらビンゴ大会を無邪気に楽しんでいる。これは入居者の家族が見ている前でも変わらなかった。
小佐田はもう完全に吹っ切れたようだった。真理子は一人で和田さん達の介助に当たっていたが、そちらの方には見向きもしていない。今は一直線にジョアンを見ていた。
ジョアンの方は小林やアマンダとクリスマス会を盛り上げるのに夢中なようだが、小佐田が一方的にベタベタとくっついていっている。
それにしても何故ジョアンなのか。
「あの二人、クリスマスの飾り付けの準備の時にすごい良い雰囲気だったの」
榎本さんの介助から抜け出してきた広岡がすぐ隣から小声で教えてくれた。
榎本さんの介助は、今は田島が代わりに行っている。
広岡によるとクリスマス会の飾り付けの準備を行っていた際、落ち込んでいた小佐田をジョアンが懸命にフォローしていたらしい。
その甲斐もあって小佐田は立ち直り、また前向きに業務に取り掛かることが出来た。
しかし、その後すぐに今度はジョアンに恋心が向かったらしい。
小佐田は惚れっぽい性格のようだった。
見ると小佐田が一方的に好意を向けているのは明らかだが、ジョアンも満更ではなさそうだった。
だからといって上手くいくわけではないということは真理子との時に学んだが、今度こそ上手くいき小佐田が落ち着いてくれることを住吉は願った。
もうこれ以上施設の空気が悪くなるのは勘弁してほしい。
そして今日はこうしたいつものスタッフの他にも、ボランティアとして何人かの元スタッフの人達も小林や田島の呼びかけで参加してくれていた。
しかし、残念ながらその中に門脇の姿はなかった。
門脇は退職した日以降、まったく音沙汰がない。住吉としては会って近況を聞きたかったので残念だった。
それに会場の飾り付けの中には門脇が作ったものもたくさんある。
そういった意味でもぜひ顔を出してもらいたかったが、住吉は門脇が自分の決めた新しい道を歩き出したのだと受け止めることにした。
大盛況のビンゴ大会が終わり、続いてカラオケ大会に移った。既に完食した榎本さん以外の入居者には、このタイミングでケーキも一緒に提供される。何人かのスタッフは介助が必要な入居者の食事介助に入った。
食べて歌って笑って、どの入居者も楽しそうだった。
そんな中、意外だったのが榎本さんの歌が上手かったことだ。
田島に代わって再び榎本さんの介助に入った広岡にマイクを持たせ、気持ち良さそうに熱唱していた。
そして性格的にやはりというべきか、なかなかマイクを離させない。
途中からはマイクを通して谷川に呼びかけ、二人でデュエットを始めた。
谷川も顔に似合わず上手い。
クリスマス会は二人のちょっとした独演会になった。
そんな榎本さんのワンマンな横暴ぶりを入居者達の家族は面白がって見ていたが、入居者達からは徐々に不満の声が出始めた。
「ちょっとおじさん!いつまで歌ってんのよ」
「なんであんたばっか歌ってんのよ!広岡さんも可哀想じゃない」
野次はだんだんと大きくなった。
そしてついに榎本さんの耳にも届いたのか眉間がピクリと動いた時、広岡が壇上の小林に向かってアイコンタクトをとった。
すると小林が機転を利かせて榎本さんが歌えない曲を流す。そして榎本さんが固まっている間に広岡がマイクを他の入居者に渡すと、その入居者が代わりに歌い始めた。
これに対し、案の定榎本さんは怒り出してしまったが、ノリノリのデュエットですぐ隣まで来ていた相方の谷川が榎本さんを調子よくなだめた。
「これ以上俺達が歌うと聴衆にお金が発生しちゃうんだよ」
「ったく。それじゃあしょうがねえか」
榎本さんは谷川の方を見ると、満更でもない様子でニヤリと笑った。
榎本さんも谷川の前だとチョロい。
こうしてサンタの格好をしたベテランスタッフ陣のチームワークのおかげで、なんとかその場は収まった。
この後もカラオケが好きな入居者達が順次歌っていき、カラオケ大会も無事に終了した。
これで本来のクリスマス会のプログラムは終了である。
しかし、この後サプライズがあった。
小林が合図を送ると田島が壇上に上がった。
田島はそのまま小林の前を通ると、会場の隅にあるグランドピアノの椅子に腰掛けた。
「最後に瑞紀ちゃんがクリスマスソングを弾いてくれるので、それに合わせてみんなで歌いましょう!」
司会の小林が会場の全員に向かって呼びかける。
「瑞紀ちゃん頑張れ!」
「落ち着いてやれば大丈夫だよ!」
「瑞紀ちゃんなら絶対出来るよ!」
あちこちから入居者達の声援が飛んだ。
入居者達の中には田島がピアノの練習をしていることを本人の口から既に聞いている人もいる。
高齢者施設のただのクリスマスイベントとは思えないほど力強い声援が飛び交っていた。
自分達のために一生懸命練習していると知って嬉しくない人はいないだろう。
まだ始まる前なのに住吉は鼻がツンとなるのを感じた。
田島が鍵盤に手を添えた。
会場がしんとなる。
「頑張れー!」
榎本さんのドスの効いた場違いな声援が響いたが、榎本さんでさえも応援しているという事は田島にとって嬉しいはずだ。
田島は緊張した面持ちのまま笑みを浮かべると、四曲のクリスマスソングを順番に弾いていった。
入居者もその家族もスタッフもボランティアも会場の全員が田島の旋律に合わせて歌う。
住吉も歌った。歌いながら以前の自分だったらこんなにはっきり声を出してなかっただろうということに気づいた。
田島を応援したいと思う気持ちの後押しもあるが、自分が前向きになれたことを改めて感じた。
田島のピアノ演奏はミスもあり、決して上手いとは言えないものだった。
しかし、しっかりとメロディーになっている。
この演奏をここにいる入居者達を喜ばせるために弾きたいと思い、努力し、実現させたのだ。
それを理解している入居者達は歌いながら涙を流していた。
目の前の入居者達は田島のピアノのメロディーに自分の声を乗せ、気持ち良さそうに歌っている。
住吉も歌いながら、この空間にいることに心地よさを感じた。
田島は全四曲を弾き終わると、会場に向かって一礼した。
会場からは惜しみない拍手喝采が送られ、しばらく鳴り止まなかった。
田島が顔をあげた瞬間、住吉は彼女の頬を一筋の光が流れたのを見た気がした。
こうして田島の感動的なピアノ演奏とともに、大成功の深緑の郷のクリスマス会は閉会した。