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ツイノスミカ  作者: 日丘
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第4話⑵ 看取り介護

 クリスマス会の準備が前倒しされたおかげで、小林と田島の意図した通り深緑の郷の職場の空気は徐々に活気を取り戻しつつあった。

 門脇も普段の真理子や小佐田との口数は相変わらず少なかったが、クリスマス会の準備には自主的に参加するようになっていた。今は小林に対して嫌味っぽく文句を言うこともない。

 谷川の言っていた通り、無理に仲を取り持たなくても少しずつなるようになっているようだった。

 しかし、介護の職場において少しずつ変化しているのは介護スタッフ達の関係性だけではない。

 施設で暮らす入居者の状態も少しずつ変化していた。



 ある日、住吉が出勤すると食堂のパントリーで見守り業務をしていた真理子から声をかけられた。


「なんか今日ハナさんの様子がおかしいんだよね」


 真理子の視線の先を見ると三枝ハナさんが食堂の席に座っている。

 ハナさんはその場で何をするでもなくぼんやりと窓の外を眺めていた。


「どうおかしいんですか?」


「ずっと椅子に座って落ち着いてるの」


「……ずっと?」


「朝食が終わってからずっと」


「今は十時だから二時間くらいですよね……。それはたしかにおかしいですね」


 目の前のハナさんは以前住吉が心身共に疲労困憊した夜勤の時、榎本さんの居室に入り込み榎本さんに鬼の形相で怒鳴られ続けるも微動だにしなかったあのハナさんである。

 夜間に一人歩きすることは珍しいが、日中はこれまでなら昼寝や食事の時間以外は絶えずブラブラと歩き回っている人だった。

 これまでハナさんが日中に二時間もじっとしているところなど見た事がない。


「昨日の夜、寝れなかったんじゃないですか?それで実は今ウトウトしてるとか」


「夜勤者に聞いてみたら、昨日はグッスリ眠ってたって」


「じゃあ足をどこかで打ちつけてて歩くと痛いとか」


「でも痛がる様子は特になかったな。スタッフが声かけると普通に歩いてついていってたし」


「どこか体調でも悪いのかな?」


「どうなんだろ。表情見た感じそういうことでもなさそうだけど」


「今日がたまたま穏やかな日ってだけならいいですけど」



 しかし、翌日以降もハナさんが一人歩きを再開することはなかった。

 それどころか日に日に活動量が落ちていき、日中も何をするでもなくぼんやりと過ごしていることが増えてきた。

 そしてここからハナさんの状態は急速に悪化していった。

 まずは自分の足で歩くことを嫌がるようになった。スタッフが声をかけてもなかなか歩き出そうとしない。

 ようやく足を踏み出したと思った時には大きくふらついて転びそうになってしまった。

 この日からハナさんの移動は車椅子による介助に変わった。

 また、ハナさんの活動量の低下は食事にも及んでいった。


「ハナさんご飯全然食べてないですよ」


 ジョアンの声を聞き、ハナさんのテーブルを見ると目の前の食事には全く手がつけられていなかった。

 本人は覇気のない視線でぼーっと食事をただ眺めている。

「ハナさん、ご飯食べないですか?」とスタッフが聞いても、「えっ、これ?」とピンときていない様子だった。

 その後、「食べますよ」と返事をしても、返事をするだけで一向に箸に手を伸ばそうとはしない。


 この日からハナさんは自分で食事を摂らなくなり、スタッフがハナさんの食事介助をすることになった。

 食欲自体は落ちておらず、スタッフが介助をするとハナさんは食事を綺麗に食べきった。

 スタッフ達はハナさんが食事を摂れることにひとまず安心した。

 活動量が落ちたり食事が自分で摂れなくなったのは、体調が悪いというよりも単に認知症が進行したことが理由なのではないかとも思えた。


 しかし、それからまもなくの事。

 ハナさんは食事を摂ることを拒否するようになった。

 スタッフが口元に食事を持っていっても口を開かない。声をかけると何回かに一回、口を開け食べ物を口の中に入れるが飲み込まない。

 少し噛む仕草を見せることもあるが、その後すぐに口から出してしまう。

 それでもまだ水分は摂取出来た。

 そのため一日に何本か栄養剤を飲み、それでなんとか栄養を摂取しているような状態になった。

 しかし、そのうちにだんだんと自分ではベッドから起き上がる事も出来なくなり、ハナさんはスタッフの介助なしでは寝たきりの状態になってしまった。


 そしてとうとう栄養剤まで吐き出して飲めなくなってしまった時、ハナさんのかかりつけ医が臨時往診にやってきた。

 これまでも週に一度往診のためにやってきており、その際の診察結果やハナさんの現在の状態からハナさんの家族やスタッフ達はある程度の覚悟を持っていた。しかし、実際にそれを聞くとなるとショックだった。

 臨時往診をしたかかりつけ医によると、ハナさんの状態は現状回復する見込みがないという。

 家族の意向もあり、深緑の郷でのハナさんの看取り介護が始まった。



 看取り介護とは、死期の迫った高齢者に対し延命治療を行わず、心身の苦痛を和らげ、その人の尊厳に寄り添いながらその人らしい最期を送れるように介助する介護である。

 住吉が真理子からハナさんの様子がおかしいと聞かされてから、わずか一ヵ月足らずでの出来事だった。

 人の死がそんなにもあっという間に訪れるものだとは思っていなかった。


 看取り介護が始まると、ハナさんを取り巻く環境は一変した。

 ハナさんは二十四時間自室のベッドで寝たきりの状態になり、居室の外に出てくることはなくなった。

 またハナさんの家族が頻繁に施設に来訪するようになり、面会時間が終わるといつも目を腫らして帰っていく。

 介護スタッフ同士でもそれぞれ話し合い、ハナさんの居室担当者を中心にハナさんが最期まで幸せな生活を送れるような看取り介護を行うことを決意した。


 ハナさんの居室担当者は門脇だ。

 深緑の郷では看取り介護を行うにあたって居室担当者がやるべき事は多い。

 たとえばハナさんの家族と連携を取り、ハナさんの好きなものや縁のあるものを居室に準備してハナさんが幸せを感じられる居室環境を整える。


 門脇は最初のうちは手こずっていたようだが、ハナさんの家族と話し合いを重ねることで徐々にハナさんの居室にはハナさんらしいと思えるもので溢れるようになっていった。

 ハナさんが好きな明るい色の花。ハナさんが好きなクラシック音楽。実家に保管していたアルバムやぬいぐるみなど思い出の品々。

 それに家族からの手紙やスタッフからのメッセージで溢れた寄せ書き。

 ハナさんはふとした時にはいつもこれらを眺めていて、それに気づいたスタッフがそれを枕元に持っていくと穏やかに微笑んだ。


 ある日、住吉が介助のために訪室すると、ハナさんはぼんやりとアルバムを眺めていた。

 住吉は介助が終わるとアルバムを枕元に持っていき、パラパラとページをめくってハナさんと一緒にそれを見た。

 アルバムにはハナさんが若い頃に職場の同僚と撮ったものから深緑の郷で家族と一緒に撮ったものまで、数多くの写真が収められていた。

 若い頃のハナさんの写真は住吉達介護スタッフから見ても新鮮なものだった。ピシッとしたスーツを着こなし凛と佇むその姿は、いかにもその時代のキャリアウーマンといった印象を受けた。

 ただ、たしかにハナさんの面影はあるが、住吉の知っているハナさんとはイメージが全く違う。

 アルバムの中にはつい四ヵ月程前の夏祭りイベントで浴衣を着た住吉と金魚を入れた袋を持って一緒に撮ったツーショット写真もあった。


(懐かしい……)


 これがたかだか四ヵ月前なのだ。写真の中で笑顔を浮かべたハナさんは間違いなく住吉の知っているハナさんそのものだ。

 しかし今、目の前で寝息を立てているハナさんとはまるで別人だった。

 改めてアルバムを見ると人の変化のスピードを実感する。

 特に衰弱した時の変化は著しい。

 ハナさんが目を瞑るのを確認すると、住吉はアルバムを元の位置に戻した。

 そして、最期の時が訪れるまで少しでも長く目の前のハナさんと時間を共有したいと心から願い部屋を出た。


 しかし、その時はあっという間に訪れた。

 降り続く冷雨に打たれ銀杏の葉がパラパラと舞い散ったその日、三枝ハナさんは逝去した。

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