#1 日常
肉の焼けたにおいが鼻につく。
見渡す限りの青い草原は、この凄惨な戦争を経て焼け野原に変わってしまった。
剣と弓で戦っていた時代。一日で千人死ぬようなことは珍しく、記録に残っている最大の死者は、240年前のクロミアン三晩の地獄、これの二日目の2100人が最高記録であり、学校では繰り返してはいけない悲劇として農民どころか奴隷の子どもすら知っている。
そして外の世界から魔法を得た人類は。たった二時間の戦いで5万人が死んだ。
クロミストの悲劇。人類が手にした魔法がどのようなものかを知らしめるものになった。
トルキア帝国立軍大学。キアノ大陸最大の国であるトルキア帝国の司令官養成学校。戦争史の授業でクロミストの悲劇が扱われた。
「諸君らは将来、士官としてこの悲劇を起こしうる立場になる。この悲劇を教訓として行動していくことを教官として望みたい」
教官のありがたい話が耳を素通りしている。いつも居眠りしている隣の席の友人が、どういうわけか真面目に聞いているのを見ると、聞くふりくらいはしないとまずいようだ。
ありがたい話が終わって隣から声がかかった。
「おい、ネーミアなんかさっきの授業ぼーっとしてなかったか」
私の名前は、ネーミア・γ・クロミント。魔法が伝わってからはさして珍しくなくなった女子学生だ。
「いつも居眠りしているお前だけには言われたくないがな」
話しかけてきたひょろっちい男が、コート・ε・フランテン。
軍大学は、入学試験順位で席を固定するという悪しき風習があり、一年も隣で授業を受けたのでそこそこ仲良くはなってしまった。
「それはそうだけどさー、やっぱあの悲劇は別格だから流石に真面目に聞くでしょ」
「まあそうだけどな、今日寝不足なんだ」
どうやらあの授業で心ここにあらずは不味かったらしいく、適当な言い訳をした。
「魔法実技の日に寝不足ってネーミアらしくないな、倒れないようにしろよ」
そう言って、コートは教室から出ていった。
トイレとは逆方向に行ったので、なぜかと思って時計を見ると昼休みの時間になっていた。
授業の興味のなさで時間感覚が変になっていたようで、慌てて食堂に向かった。
食堂の隅でソーセージを突っついていると、いつ見ても可愛らしい男が話しかけてきた。
「ネーミア、隣いい?」
彼は、メロ・α・トーメキア。同い年なのだが、身長が私より低くい上にかなり童顔なのでとても可愛らしく、男にも女にも人気である。その上、入学試験2位、一年前期(今は一年後期)成績1位と頭もよく魔法のセンスもいいという天が間違えて生んだような人間である。
「いいよ、というかよくこんな隅に居るの見つけたな」
メロは、小声でありがとう、と言うと隣に座った
「ネーミアの青い長髪は目立つからね」
「あー髪か。いつも男友達と食べてるイメージ合ったけど、なんで今日は」
「魔法実技のペア、ミーネアだったからだよ。さっき正門に張られてたの見てないの」
メロが信じられないという目でこちらを見ていた。
「あ、忘れてた」
なぜコートがすぐに教室を出ていったのかが今わかった。前期までの魔法実技は基礎だったので個人だったが、今期からの魔法実技は実戦となり、魔物や低級魔族の討伐などをする。これがペア実践な上、留年しない限りペアが変わらないため、とても重要な発表だったわけだ。それを見に行かずに呑気にソーセージを食べていたのだから、そんな目をされても仕方ない。
「あれを忘れるって、ネーミアたまに抜けてるところあるよね。まあ、しばらくの間よろしく」
メロがこちらに手を差し出す。
内心恥ずかしがりながら、しっかり顔を作って手を握る。
「よろしく」
軽い握手をした後、メロは食事に手を付けながら話し始めた。
「ネーミアって魔法得意な方だっけ」
「いや、あんまりかな。前期も20位くらいだったし」
メロは気にする様子はなく、パンを口の中に入れた。
「半分よりは上か、なら大丈夫かな」
何か、一人で納得されたので。わけもわからずに不思議そうにしていると。メロが気付いたのかさらに話し始めた。
「僕はね、とある事情でね、首席で軍大学を卒業したいんだ。だから、魔法実技では毎回トップスコアを狙いたい。だから」
「だから足を引っ張るな、か」
成績上位者が下位者に向ける視線は想像ついていたが。変な事情が加わっていると普通に申し訳ない気持ちになる。
言葉を遮ると、メロは苦笑いした。
「正直に言うとそうだね、でも責任を押し付けるつもりはないから、ネーミアは自分の全力でやってくれればいいよ。ごめんね、僕は訳アリ側の人間だから」
メロは気まずくなったのか、スープを一気飲みすると、またね、と呟いて、席を立って食堂の外に消えていった。
私は、取り残されて。ひとかけらだけ残ったパンのかけらをしばらく見つめた。
軍大学で有名な言葉はいくつかあるが、そのうちの一つに「この大学に来る人間の八割は出世を夢見る者。そして残りの二割は訳あって軍人にならざるを得ない者。八割側の人間もいつか二割側の人間の話を聞くことになる。その時までこの言葉を覚えておきなさい」と。実際にカミングアウトされたのは初めてだった。
平穏な学生生活の終わりの予感がしたが気にしないようにして、パンを食べきり魔法実技の集合場所の正門に向かった。