第22話 逃走
水冷直列四気筒サイドバルブエンジンが唸る。
内燃機関から発生したパワーはプロペラシャフトで後輪に伝わり、細くて頼りないタイヤを回転させる。
窓も風除けも無い、幌が付いただけの車体だ。もろに風を受けて、アベルもサタナキアも髪をなびかせる。
それでもアベルは、無我夢中でアクセルを踏んだ。
後方で聞こえる怒号や銃声を置き去りにし、一心不乱にアクセルを開き続けた。
ブロロロロロロロロロロロ――――
ガタンガタンガタンガタンガタン!
元世界の高性能な車とは違い、乗り心地も最悪なクラシックカーのような車体。
ハンドルも重く、スピードも遅く、独特の慣れない操作で手間取ってしまう。
元世界に持って帰れたのなら、骨董品のような価値がつくのかもしれないが。
(くそっ! アクセルの位置が違う! クラシックカーに詳しい俺だが、この世界の車は少し構造が違うのか!)
ガチャガチャとレバーやクラッチを操作しながら、アベルは車を走らせる。
(最初の魔法攻撃で出し抜き、距離を広げたが……。奴らはすぐに追いついてくるはずだ。少しでも遠くに逃げて差を広げておかないと)
「お、おい、アベル……他の者たちは……」
しばらく呆然と固まっていたサタナキアが、やっと口を開いた。
予想外の事態が連発して、まだ思考が追い付いていないように見える。
「陛下! 今は、ご自身が逃げることだけをお考え下さい!」
アベルの言葉に、サタナキアは顔を曇らせる。
「じゃ、じゃが……近衛が……官僚の者たちが……」
「もう殺されているはずです! 諦めましょう」
「そ、そんな……助けに行かないと……」
事ここに至っても危機感の薄いサタナキアに、アベルは苛立ちを隠せない。
「誰のせいでこのような事態になったと思っておられるのです! 陛下は全魔族に対する責任がおありなのですよ! 何が何でも王都デスザガートに戻ってもらいます!」
「う、ううっ……すまぬ……」
サタナキアがシュンとしてしまった。
良かれとしてやった行為が、全て脆く崩れ去ってしまったのだ。
アベルも強く言い過ぎたのかもしれないが、とにかく今は一刻の猶予もない。我儘を聞いている場合ではないのだ。
「陛下、このまま国境まで走り続けます。落ちないように掴まっていて下さい」
「わ、分かったのじゃ……」
二人を乗せた車は、土煙を上げながらひたすら魔王領へと突き進んで行った。
◆ ◇ ◆
調印式が行われるはずだった会場に残されたバークは、地団駄を踏みながら檄を飛ばしていた。
「早く追わぬか! 絶対に逃がすな! 早くせよ!」
「はっ!」
部下が急いで車に乗り込み、続けざまにアベルたちの後を追う。
ブロロロロロロロ!
ガタガタッ、ブロロロロロロ!
全ての車が発進したのを見送ったバークは、肩を怒らせながら副官の方を向く。
「よし、ファーカー司令長官に報告して、掃討作戦の開始だ! 少し予定は狂ったが、今なら魔王もおらず指揮系統も混乱しておる! 武装解除をした魔族など、まるで赤子の手をひねるように駆逐できるぞ! ふあっはっはっはっ!」
ドレスガルド帝国による、史上類を見ないほど大規模な、魔属領への掃討作戦が開始された。
首都防衛とアメリア共和国との国境に残してある軍を除く、大部分を魔族領との国境へと移動させているのだ。
魔族領西側の広大な平野方面
ディーテに向け
第1装甲軍
第6軍
第7軍
第8軍
リンボに向け
第2装甲軍
第9軍
第10軍
第11軍
ジュデッカに向け
第3装甲軍
第12軍
第13軍
第14軍
トロメーアに向け
第4装甲軍
第15軍
第16軍
第17軍
魔族領東側方面
アケロンに向け
第5装甲軍
第18軍
第19軍
第20軍
ギリウスに向け
第6装甲軍
第21軍
第22軍
第25軍
歩兵支援用装甲車を実践投入した装甲軍も含め、総勢96万もの大軍を送り込んでいた。
武装解除した魔族には対抗できる手段がなく、無防備無抵抗のまま一方的に攻撃されるはずだ。
◆ ◇ ◆
アベルたちを乗せた車は、国境付近の街ムスベルに入ったところで、とんでもない事態に直面していた。
「とりあえず、ここに身を隠しましょう」
車の燃料が切れかかり、二人は目立たないように路地裏に身を隠していた。
このままでは魔属領まで帰還できない。何処かで給油の必要がある。
そんな最中、アベルは大規模な軍隊が大通りを進軍しているのを見てしまった。
「なんだあれは! 凄い大軍じゃないか……10万……いや、それ以上か。まさか、あんな大軍で……」
その時、アベルの頭脳には、更に深刻な作戦が浮かんだ。
「いや、待てよ……。もし、この規模で他の街にも同時侵攻するのだとしたら……。ドレスガルドは、とんでもない物量を投入して一気に魔族を駆逐するつもりかもしれないぞ」
「あ、アベルよ……どうするのじゃ……」
サタナキアが、不安そうな顔でアベルを見た。
「陛下、燃料を手に入れて、すぐに車で国境を越えようと思いましたが、このままだと敵軍と鉢合わせしてしまいます。少し様子を見てからにしましょう」
「お、おう……そなたに任せるのじゃ」
(マズいな……。こんな所でグズグズしている場合じゃないのだが。このままでは敵に侵略され、戻った頃には国が無くなっている事態にもなりかねんぞ!)
武装解除した魔王軍を立て直すには、早く国境を越えねばならない。
(どうにかして燃料を手に入れるには……。その為にはこの国の金が必要か。先ずは目立たぬよう、人族の服を手に入れなければならないな)
アベルはサタナキアを見据える。
「取り敢えず服を手に入れ変装しましょう」
「ど、どうするのじゃ……」
「盗むしかないでしょう」
「それは……」
「今は非常事態なのです。陛下は不本意かもしれませんが、少しの間だけ目をつぶって下さい」
「わ、分かったのじゃ」
サタナキアは少し逡巡したが、結局はアベルの意見を受け入れた。
アベルは路地を目立たないように歩きつつ、人気のない家を探していた。
(ここか?)
静まり返った家の前で止まったアベルは、ドアの鍵穴に魔力を込め、局所的な魔法を発動させる。
「極小破壊断!」
カシャ!
鍵の内部を破壊してドアを開けた。
中を確認すると、素早く室内に侵入する。
「陛下はドアの隙間から外を見張っていて下さい。誰か近づいて来たら、すぐに知らせるように」
「わ、分かったのじゃ」
アベルはすぐに室内の物色に取り掛かった。
ガタッ!
その時、部屋の奥から物音が聞こえた。
(誰だ!? 住人が居たのか?)
奥のドアが開き、人物が顔を出す。
アベルは瞬時に反応し、懐に隠してあったナイフを取り出すと、その者の喉元に突きつけた。
ザッ!
(なっ、子供――)
「動くな! 声を出したら殺す!」
「うっ……あうっ……」
家の奥から現れたのは小さな子供だった。
一人で留守番でもしていたのだろうか。奥の部屋で寝ていたところを、物音で起こされたのかもしれない。
「お、おい、アベル! まだ小さな子供じゃないか……」
相手が幼い子供だと知り、サタナキアが動揺する。
「陛下……たとえ小さな子供であっても、もし邪魔をするというのなら……」
アベルのナイフは、子供の喉元へと当てている。
(くそっ! ここで騒がれて見つかるわけにはいかないのだ! 子供であっても容赦するわけには……。くっ、人類滅亡させると誓ったはずなのに、どうして俺は迷っているんだ……)
ナイフを持つ手が震えている。アベルは、明らかに動揺していた。
(俺は、子供の頃から……人に迷惑をかけないように、人に優しくするように、人に親切にするように……。そうやって俺は生きてきた。しかし、その結果はどうだ! 裏切られ、踏みにじられ、尊厳さえも傷つけられてきたんだ!)
アベルの脳裏は、過去の記憶で溢れていた。
(人間の中には、どうしようもないクズが存在しているんだ! ヤツらは決して反省も更生もしない! 弱い立場の人を、優しい人を、真面目な人を、食い物にして搾取し、踏みにじって楽しんでいるだけなんだ!)
目の前の子供は、過去のクズとは無関係だ。アベルもそれは理解していた。
しかし生き残る為には、残酷な決断をせねばならない。
(俺は前世で死ぬ直前に祈った! もし生まれ変わったのなら、人類の敵になって、そして人類滅亡させると! そして俺は悪魔に転生したんだっ! これは啓示だ! それなのに、どうして迷う! くっそぉぉぉぉぉぉ!)
アベルに迷いが生じていた。
魔族領へと迫る帝国の大軍、周囲全てが敵の街で生き残るには、非情な決断をせねばならない。
幼い子供を見て迷いが生じたアベルに、危機的状況を切り抜ける道はあるのか――――




