第19話 条約
魔王領と国境を接するドレスガルド帝国との間に停戦協定が結ばれた。続いて結ばれる平和条約で、晴て戦争は終結することになる。
条約により明文化された内容は要約するとこうなっていた。
・現在の位置で国境を公的に確定。
・捕虜の交換。
・負債の清算。
・武装解除し、治安を維持する最小限の武器以外の兵器の解体。
・相互に不可侵として、侵略行為の禁止。
この一連の流れに、アベルは暗澹たる気持ちになっていた。
(サタナキア……。彼女は、きっと優しい娘なのだろう。本心から平和を望んで戦争を終結させ、争いの無い平和な世の中を願ったのかもしれない。これが普通の町娘だったのなら、さぞかし良かったことだろう)
アベルは深いため息をつく。
(しかし、彼女は全魔族を率いる魔王だ。無知で世間知らずで愚かな小娘が、全魔族一億の民を危険にさらしてしまったのだ)
元の世界でも平和条約や不可侵条約が結ばれた後、一方的に条約を破棄し侵略してきた事例は多い。人間同士でさえ条約を守らない国が多いのに、そもそも魔族を人だと思っていないこの世界の人族が、魔族相手に約束など守るはずがないのだ。
条約の中身に武装解除なる文言が入っていることからも、それは明白だ。
(ヤツらは、こちら側に武装解除させて無防備になった所を見計らって、一気に大勢力で侵略して来るつもりに違いない! 多分、サタナキアは条約の内容に反対した軍上層部を、魔王の権限で謹慎処分にしてしまったのだろう)
アベルはそれを予測し、ゲヘナの技術研究所で特殊航空連隊の全てを隠蔽したのだ。
あと少し遅かったのなら、せっかく完成させた爆撃機も、武装解除により解体されていたかもしれない。
(とにかく、次の一手を考えなければ……。このままだと魔族は滅ぶぞ……)
◆ ◇ ◆
条約調印式が近付くと、何故かアベルが王都へ呼ばれることになった。魔王サタナキアが、調印式への従者としてアベルを指名したのだ。
(サタナキアと直接話すのはアレ以来か。魔王になってからは初めてだが……)
アベルは謁見の間へと足を踏み入れた。
警備の兵士や側近たちが並び、中央の豪奢な玉座にサタナキアが座っている。
アベルは真っ直ぐに絨毯の上を歩き、玉座の前で跪き恭しく一礼した。
「久しいな、アベル……」
「はっ、魔王陛下の御尊顔を拝する名誉に預かり、恐悦至極にございます」
「か、堅苦しいぞ……」
サタナキアは側近や兵士を下がらせる。
「おい、人払いじゃ。ワシはアベルと話がある」
広々とした謁見の間に、アベルとサタナキアの二人だけが残された。
サタナキアは玉座から降り、アベルの元に駆け寄って来た。
「アベル、ワシはやったぞ。人族との平和を成し遂げたのじゃ」
「はっ」
アベルはその一言で全てを悟った。
(そうだ、そうなのだ。彼女はそういう性格なのだ……。温室育ちで世間知らず。本当の戦争というものを知らない)
何処の国でも世界でも、温室育ちで恵まれた者は、平和と唱えれば平和になると思っているのだろう。綺麗事や理想論を唱えていれば、世界は良くなると信じているのだろう。
現実は、そんな綺麗事など通用しないのだが。
(人族が、魔族を家畜以下の存在だと蔑んでいることも、そもそも魔族と融和などを求めていないことを知らないのだ。武器を捨て平和と謳えば、平和がやって来ると思っているのだ)
浮かない顔をするアベルを見たサタナキアが、戸惑った表情になった。
「どうしたのじゃ。嬉しくないのか? せっかくワシが……」
「陛下、調印式に行くのは危険です。特命全権大使を決め、その者に代わりに出席させましょう」
予想外のアベルの言葉に、サタナキアは悲壮感を浮かべた顔になる。
「何故じゃ。せっかく平和になるのじゃぞ。歴史的な条約調印式にワシが出席して、争いの無い平和な国を作るのじゃ。きっと死んだ父上も喜んでくれるはずなのじゃ」
「しかし」
「ワシは調印式に出るのじゃ! ワシには信頼できる部下がおらんから……だから、そなたを呼んだのに……。そなたなら応援してくれると思ったのに……」
(ダメだ……。何故、普段は気弱なのに、こういう時だけ頑固なんだ。マズいな……。人族が調印式で何か仕掛けて来るかもしれない。対策を考えねば)
サタナキアの考えが変わらないのでは、もう別の策を考えるしかない。
アベルは、明言を避けたまま宮殿を後にした。
◆ ◇ ◆
アベルは暗澹たる気持ちで歩いていた。
(どうしてこうなった! 途中までは順調だったはずだ! 前世のクソのような人生と違い、強い魔力を持つ上級悪魔として転生した。伯爵家の御曹司として生まれ、士官学校でも成績優秀で主席として卒業したのだ! 軍でも武勲を挙げ四階級特進! 俺の提唱した航空機の開発にも成功し、空軍の完成も間近で何もかも上手く行っていたはずなんだ! それが……こんなことに……)
条約調印に先駆けて、魔王命令により武装解除が進められているのだ。治安維持や警察といった最低限の武装以外の、魔装式歩兵銃や榴弾砲が解体されようとしていた。
(こんな兵力で……。もし、調印式の時に人族が騙し討ちを仕掛けてきたら……。クソッ! 何とか切り抜けねば。こんな所で終わってたまるか! 俺は必ずこの状況を覆してやる!)
歴史の転換点――――
それは、ある為政者の言動であったり事件であったり……。
何気ない一つの事象が、大きな渦となって人々を襲っていく。
今、アベルたちは、数百年に一度の大きな歴史の転換点に立とうとしていた。
それが、勝利の栄光なのか……破滅の運命なのか……。
まだ誰も、知る由は無かった――――
◆ ◇ ◆
その頃、ドレスガルド帝国では。
魔族との条約に先んじて、隣国アメリア共和国との不可侵条約を実現していた。
これにより、アメリア共和国側に配備していた軍の何割かを移動させ、魔族領との国境付近に密かに大軍を送っているのだ。
条約調印式の名を借りた、史上空前規模の魔族に対する大掃討作戦が始まろうとしていた。




