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Deep Forest  作者: きよこ
8/9

第8話 姉に甘い弟と、ラーメンでほろしょっぱい

「ただいまー」


 ほろ酔い気分で家に着き、玄関の鍵をバッグから取り出そうとした。

 化粧ポーチの中身がいつの間にか散らばってしまっていて、バッグの中で暴れている。そのせいで、鍵がなかなか見つからず、ついつい舌打ちが漏れる。


 がさがさとしばらくあさるが、鍵が見つからない。

 どうしようかと逡巡して、家を見上げる。


 私は未だに実家に住んでいる。

 都内近郊に実家があるせいで、給料との兼ね合いやそのほか諸々のらくちんさを考えると、家から離れる気になれずにいるのだ。

 両親には、そろそろ結婚でもして家を出ろ、なんて言われるようになってしまった。

 一人暮らしはやっぱりしたいし、そのためのお金も貯めてあるけど、貯蓄をするという意味でも、実家は便利だ。

 そんな風に思い悩んでいるうちに、そろそろ結婚するだろうから一人暮らしはいいか、なんて考えるようになってしまっていた。


 もちろん、元彼……端木恭彦はしきやすひこと結婚するのも近いはずという思惑があったためだ。

 彼はしょっちゅう「結婚したいね」と口に出していたから。


 今となっては、奥さんがいるくせに何寝ぼけたこと言ってやがったんだ、と嫌味のひとつでも言ってやりたいけれど。


 彼は三十一才で、結婚を考える年齢だったろうし、私も周りの友達にちらほらと結婚する子が出始めてきていたから、それはごくごく自然のことのように思えた。

 優しくて頼りがいがあって居心地のよい彼となら、結婚してもいいかなと思っていた。


 ……それなのに!


 唇をかみしめて、バッグを引き裂きたくる衝動に駆られる。


「くそーーー」


 小さく雄たけびを上げながら、すっかり闇に包まれた我が家を睨む。携帯電話の液晶画面で踊る時刻は0時をとっくに過ぎ、静まり返った住宅街はすでに深夜の空気に飲まれていた。

 両親はもう寝ている時間だ。


 弟なら起きているかもしれない。……たぶん。

 家の鍵は家を出る時に忘れてきてしまったんだ。いくら探してもバッグの中には入っていない。


 携帯電話の電話帳を開き、弟――豊介ほうすけの携帯電話にかける。

 しばらくの着信音の後、弟の気だるそうな声が受話器越しに聞こえてきた。


『……なに』

「玄関の鍵、開けろ」

『また酔っ払ってんのかよ』


 弟のくせに咎めるような口調を使ってくる。玄関開けたら即ぶったたいてやる。


「はやくあけろー」


 弟のセリフを聞かなかったことにして、甘えた声で何度もせがんでいたら、いつの間にか玄関のドアを開けに来てくれていたらしく、「うるせー」という罵声と共にドアが開いた。


「ありがと。あいしてる、ほうちゃん」


 チュ、と投げキッスのふりをしたら、おもいっきり手で払われた。


 むかつく。


「もっと早く帰って来いよなー。俺が寝てたらどうするつもりだったんだよ」

「起きるまでケータイ鳴らすから大丈夫」

「全然大丈夫じゃねえし」

「てか、あんた起きてたんだ」


 豊介は意外と寝る時間が早い。二十二時過ぎには布団に入っているのだから、お子ちゃまというか、健全というか。


「受験勉強してんだよ。最近はこのくらいの時間まで起きてる」

「あ、そうだったの。ね、軽くしょっぱいもの食べたい」

「はあ?」


 お酒を飲むと、ラーメンが食べたくなる。しょっぱいものっていうか、しょうゆラーメンが食べたい。


「しょっぱいものが食べたい」

「……食べればいいだろ」

「しょっぱいものが食べたい」

「作ればいいじゃん。棚にインスタントラーメンあったぞ」

「しょっぱいものが食べたい」

「……わかったから、居間で待ってろよ」


 うん。うちの弟はいい子だ。



 ***



 火にかけた鍋からクツクツと湯が煮える音がする。

 ソファーに寝転びながら、夢見心地でその音を聞いていた。

 携帯電話を開くと、メールのマークが点滅している。いつの間にメールが届いていたのだろう。

 メールのマークをクリックすると、文面が現れた。


『会って話がしたい』


 それだけ綴られていた。

 あて先を見ると、『端木恭彦』の表示。


「話すことなんて、今更何があるのよ……」


 ひとりごちて、宛名を指でなぞる。


 もう、終わったのだ。話すことなど、何もない。

 それなのに、未練がましくこんなメールを送られても、私にはどうすることも出来ない。


 携帯電話を胸の前で抱きしめて、ぎゅっと目をつぶる。



 恋愛がひとつ終わるたび、自分の中の何かが、死んでいく気がする。

 キラキラした恋心に彩られ、人を愛することや愛されることに喜びを抱く自分が、小さく萎れて消えていく気がする。


 それは、新たな恋が始まればまた生まれてくるものだけれど、あの時の『自分』とは違う。

 一皮向けて大人になったと、そう表現するのが的確なのだろう。


 だけど。


 純真で無垢だった私は、どんどんいなくなっていくのだ。


「ねーちゃん」

「――いきなり話しかけるな!」

「ラーメン出来たんだけど、そういう口の聞き方するなら俺が食べる」

「やーん! ほうちゃんてばいじわるー!」


 弟は「キモい」と舌を出しながら、湯気を立てるラーメンを差し出してくれた。ついでに自分の分まで作ってるあたり、小賢しい。


 ダイニングのテーブルに向き合う形で座り、ラーメンをすする。


「最近、どうよ?」


 唐突に質問すると、弟は不機嫌そうに「なにが」と答えた。


「彼女と幸せ?」


 生意気なことに、このくそばかな弟には彼女がいる。一度街中ですれ違ったことがあり、彼女と少しだけ話したこともある。

 線が細くて、髪がまっすぐ長くて、かたちのいい目をした綺麗な子だった。


「まあ、それなりに」


 ちろりと私を見て、弟はずずっと勢いよくラーメンをすすった。


「それなりってなによ、それなりって。くそっ。幸せなヤツって腹立つ。目の中に箸の先っぽ入れていい?」

「入れていいわけないだろ! やりそうで怖いわっ」


 むかつくから箸でラーメンの汁をちょいちょい飛ばしてやると、弟は本気で嫌そうに体をずらした。


 ……高校生くらいのときに戻れたらいいのに。


 弟がうらやましく思うのは、本心だ。



以前にも後書きで書きましたが、この作品は拙作『空に落ちる』『空を歩く』のスピンオフなのです。


主人公の弟は『空に落ちる』の登場人物なのでした。


たまに夜中ラーメンが食べたくなります。

せがんだら作ってくれる便利な執事がいたらいいのになーと思います。

どっかに落ちてないかな……

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きよこの小説ブログ(『Deep Forest』も連載中)
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