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Deep Forest  作者: きよこ
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第5話 心のメモに、キケンな男

 時計を見ると七時を過ぎていた。

 計算途中の伝票を机に投げおいて、短くため息をつく。散らばった書類を脇に寄せながら、携帯電話を手に取った。


 そういえば、あの男の携帯電話の番号もメールアドレスも聞いていない。八時に新宿と言っていたけれど、私が行かなかったらどうするつもりなのだろうか。

 待ちぼうけする?

 まさか。そんな殊勝なことをする男には見えない。


「新宿駅の南口を出たら、花屋があるでしょ。そこで待ってるから」


 彼はそれだけ言って、会社を出て行った。耳元でこっそりとささやかれた言葉を思い出すと、かっと顔が熱くなる。

 記憶はあんまり無いけれど、私はあの男と一夜を共にしたのだ。

 肌の感触の記憶も、唇の触れ合う甘ったるさも、その時の記憶は何も無いのに、別れ際の言葉や私の体に触れたごつごつした手だけは生々しく覚えている。


 ――そして、あの目。


 男の色気を存分にまき散らして、問いかけるように強く見据えてくる。

 見つめられたら、どんな女だって簡単に落ちてしまいそうな目力だ。


 だからこそ、信用してはいけないと思うのは、女の本能だ。

 特に私は……男に浮気されて(浮気相手なのだから、この表現は間違っているのだろうけど)、過敏になっている。

 次に付き合う男は、浮気をしない男がいい。誠実で優しくて、私だけを見てくれる人。


 そんな人がいるとは思えなくなっている自分は、意外と深く傷ついているのかもしれない。


「凛ちゃん。私、もう帰るけど。凛ちゃんもそろそろ帰る?」

「あ、はい。これ、終わったら」


 隣のデスクの岸川さんは、疲れを微塵も見せない朗らかな笑顔を私に向けて、バッグを手に取った。


「じゃあ、頑張ってね。早く帰りなね」

「はい。また明日」


 職場を後にする岸川さんの背中を見送り、また机に向き直る。伝票をもう一度確認して、ファイルに閉じ、パソコンの電源を落とした。

 もうすぐ七時半。駅まで行って電車に乗って、新宿までは三十分くらいだろう。


 本当は行きたくないけれど、会社の関係を思うと、すっぽかすわけにはいかない。

 面倒くさいと思いながらも、誘ってきたからにはおごりだろうし、タダメシ食べれるならいいかと、打算的に考えて立ち上がった。



 ***



「こんばんは……」


 人ごみでごった返す中、南口改札を出てすぐ向かいにある花屋に目を向けると、彼が立っていた。携帯電話をいじっていた手を止め、にこりと笑いかけてくる。


「来てくれた」

「しょうがないじゃないですか。連絡先も知らないし。断りようが無いし」

「そうだろうね」


 うわっ。絶対、作戦だったんだ。

 会社関係の人間なら無下には出来ないことや、電話でお断りが出来ないように、連絡先も教えてくれなかったんじゃないの。


「……ジャイさんは、恐ろしい人ですね」

「なんすか、その呼び名」

「ジャイアンだから」

「すごい嫌なんだけど」

「かわいいじゃないですか」

「どこが!?」


 めんどくさいなあ。

 ていうか、名前なんだっけ。剛田武じゃないことは覚えたんだけどな。名刺確認しておけばよかった。

 机の引き出しにしまった名刺をおぼろげに思い出して、後悔する。

 人の名前って、なんで覚えられないんだろ……。

 覚える気が無いからか……。


「何かリクエストはある?」

「いえ、特には」

「じゃ、俺がよく行くところでいい?」

「はあ、どこでもいいです」


 長い足を広げて、ジャイさんはすたすたと歩き出した。慌てて彼についていくと、ふいに立ち止まって、私が隣に来るのを待っている。


「初めて会ったときのことは覚えてるの?」


 いきなりそんなことを聞いてくるか。


「あんまり」

「ふうん」


 聞いてきた割には、あまり興味は無いらしい。生返事だけして、歩を進めだした。

 木曜の夜とはいえ、新宿の街はにぎやかで、人通りが絶えない。

 サラリーマンや学生が道を往来し、居酒屋の割引券を持ったアルバイトらしき男の子が「今日行くところは決めてます?」と手当たり次第声をかけている。

 オレンジ色の街灯の光と、店から漏れる白い電気の光、看板を照らす色とりどりの光が、この街をけして暗くはしない。


 ジャイさんは十字路の角に位置するイタリアンのお店の前に立ち止まり、「ここ、けっこううまいんだよ」と階段を上がっていった。

 薄汚れた階段を上がると、木製のドアが立ちはだかる。ブロンズで囲われた小窓から、中の雰囲気が伺えた。

 席は満席ではないけど、ほどよく賑わっている。

 重いドアを開け、まるでボーイのように「どうぞ」と私を先に通してくれた。


 なんだかなあ。ホストみたい。


「いらっしゃいませ」


 白いシャツに黒パンツのウェーターさんがすぐに私たちを案内する。店の玄関で靴を脱ぎ、ぐるりと店の中を見渡した。

 手前は掘りごたつになったテーブルが並び、その右側が宴会でも出来るようなガラス張りの大きな個室で、その奥から先は完全個室になっているようだ。

 薄めの白いカーテンで隠れた個室のひとつに案内され、中に入る。


 丸テーブルを囲む形で、黒いクッションが床に埋め込まれている。ここも掘りごたつになっていて、居心地は良さそう。

 向かい合って座ると、ウェーターさんがメニューを広げて、「お勧めのカクテルはこちらです」と一枚を私に見せてくれた。


「俺はビール。凛香ちゃんは?」

「えっと、じゃあ、シャンディーガフ」


 ウェイターが出て行くのと同時に、今度は食事のメニューを広げた。


「さりげなく今、凛香ちゃんとか呼びましたね」

「あれ? 間違えた?」

「間違えてはいないですけど」

「だよね。名前間違えるなんて失礼なこと、しないし」


 嫌味かいっ!


「まだ会って間もないのに、そういう馴れ馴れしいの嫌いなんです」

「そんなこと言ってたら、合コンとか参加できないんじゃない? お高くとまった女だと思われるよ」


 い、い、嫌なやつーーーーー!

 心のメモに今のセリフを書きとめる。

 すぐさま友達に電話して愚痴りたいのをこらえ、明日は友達と飲みに行こうと決意する。

 このふざけた男の話で盛り上がることは間違いない。 


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きよこの小説ブログ(『Deep Forest』も連載中)
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