第4話 恐ろしきは偶然という名の運命
偶然とは、かくも恐ろしいものなのか。
私は後ろにのけぞった体をそのままに、目の前にいるジャイアンを指差すことしか出来なかった。
「こんなところでまた会うとは思ってなかったよ」
「それは私だって!」
今までの紳士的な態度はどこへやら。いやらしい笑みを浮かべて私を見つめてくるジャイアンは、あの日のままに思えた。
脳裏によぎる、彼の裸体。シーツごしのスマートな体型がはっきりと思い出されて、顔が熱くなる。
「しかも忘れ去られてるとはね。あんなに愛し合ったのに」
「あ、あいあ、あいあいあいあい」
「おさるさん?」
「さるじゃないっつーの! 愛し合ったって、愛し合ったってなによ!」
「声がでかい」
人差し指を口の前にかざして、「しー」とにやける。
会議室の隣には同僚がわんさかいる。聞こえてしまったら大変なことになってしまう。
私は慌てて手で口を塞ぎ、声のトーンを落とした。
「ていうか、ちょっと待って。どういうこと? なんでここにいるの?」
「いや、システム変更のためだけど」
「スパイじゃないの!?」
「何のためのスパイだよ」
「う、うわき、ちょうさ?」
「誰の浮気調査?」
テンパリすぎて、状況が把握できない。
そうだよ、浮気調査って、意味がわからない。
髪をくしゃりと両手で抱えたら、肩にかかる髪を結んでいたシュシュが落ちてしまった。
ああ、もう。髪の毛もめちゃくちゃだ。
「彼氏とはどうなったの?」
「は?」
「浮気されたんでしょ?」
「ああ、うん」
チンチラの毛みたいな髪の向こう側にある鋭い瞳が、私を捉える。射抜くみたいな視線に、思わず硬直してしまった。
「……浮気っていうかさ」
ふと体に力が抜けた。
もうこの男には醜態を晒してる。これ以上何も恥じるようなことはないし、何を言ってもいいような気がした。
「私が浮気相手だったんだよね」
「……どういうこと?」
視線が和らいだのがわかった。私を労わるような優しさが瞳に宿っている。
「結婚してたの。相手の女から電話があったんだけどさ。……奥さんだったんだよね」
気付かなかった自分が情けなくて、友達にも隠してた。
私の元彼は既婚者で、そのことを隠して私と付き合っていたのだ。
彼の浮気は奥さんにばれて、奥さんは私に直接問い詰めてきた。
立場はどう考えても奥さんのほうが強い。激しい怒りをこめながらも、冷静沈着を装った冷たい声音は、私を蹴倒した。
「あいつ、あんたのもんじゃないから。あんた、知らなかったの?」
そう言って、鼻で笑った。
「訴えてもいいのよ。あんたから慰謝料だって取れるんだからね」
勝ち誇った言い草に、かちんと来たけれど、私には言い返す力など無かった。
慰謝料? 何も知らなかった私にそんなものが請求できるのだろうか? でも、言い訳としか捉えられなかったら?
それに、それに――。
彼は、私に嘘をついていたのだ。
恋愛なんて、大人になったらゲームみたいなものになってしまうのだろうか。
騙し騙され、本気だとか愛してるだとか。まやかしばかりで、真実なんてどこにも見えやしない。
「そっか。じゃあ、俺のところに来るか」
それはまるで、「ちょっと飲みにいかね?」くらいの、軽い誘いに聞こえた。ジャイアンは涼しそうな表情で、にっこりと笑う。
「なんでそうなるの? 一晩ねんごろになっただけじゃない」
「ねんごろって、あんた、何時代の人だよ」
わけがわからない。にじみ出てきた涙をぬぐって、手をぐっと握りしめる。
もう男に騙されるのはこりごりだ。
「俺ね、ベッドの相性は重要だと思うんだよ」
「……はあ」
「あんたの体、すげえ好み」
「はあ?」
あまりに率直すぎる告白に、開いた口がふさがらない。思わず、自分の体を隅から隅まで眺めてしまった。線の細いこの体を好みだと言ってくれた男は少ない。七分丈の袖から伸びた白い腕を見て、ジャイアンをもう一度見た。
この男、馬鹿? そんなこと言われて、喜ぶとでも思ってるの?
「言ったでしょう? 俺が押してやるよ。リセットボタン」
伸びてきた手が、私の頬を濡らす涙をぬぐった。
お父さんの額そっくりの爪が、涙できらりと光る。
「今夜、飲みに行かない?」
にっこりと微笑みかけてくるジャイアンの顔は、ひたすら優しくて。
さっきのえげつない発言が嘘のよう。
「おっと、時間だ」
立ち上がった彼のスーツの袖を思わず掴んでしまった。
「飲みになんて、いかない!」
「酒に酔わせて襲おうとは思ってないよ」
「そういう問題じゃない!」
「あ、襲ってほしかった?」
「あほか!」
なんなんだこの男は。
固く閉じた私の心の扉を、いとも簡単に開け放ち侵入してくる。
拒んでもするりとかいくぐってしまう。そういう力をこの男は持ってる。
関わるとまずい、私の本能が警鐘を鳴らしている。
「じゃ、八時に新宿駅で」
「ちょ、勝手に……! 剛田さん!」
名を呼び、もう一度しがみつくと、ジャイアンはぽかんとした顔で私を見下ろしてきた。
「ジャイアンで覚えたと思ったら、そっち?」
「え」
「ジャイアンはジャイアンでも剛田じゃないから! 名前! タケシ!」
「あ、ごめん」
この作品は、拙作「空に落ちる」「空を歩く」のスピンオフ作品だったりします。
とはいっても、今作の主人公が「空に落ちる」の番外編(ブログに掲載)に出てきた程度なのですが・・・
下記のブログ(現在は休止中。別のブログで活動してます)ですので、お暇でしたらのぞいてみてください。
Sleeping on the holiday and sunny day.↓
http://purple-blue.jugem.jp/?eid=109