国境の街リセッシュ Ⅰ
それからさらに1刻ほど街道を進むと、リセッシュの街の門、すなわち風の国アルナーグと地の国ヴィンストラルドとの国境を繋ぐ木製の大きな門が現れる。
国境の街とはいうが、リセッシュは小さな街だった。
元々は国境の砦があり、その周りに旅人目当ての市や店が立ち始め、今の形になったのだ。
アルナーグがヴィンストラルドの属国となった為に両国を行き交う人が増え、それをきっかけに砦の周りに宿場町ができ始め、それをぐるりと囲む防壁と門がやがてつけられたのである。
アルナーグの中では一番歴史が浅く、まだ治める貴族もいないので直轄地という扱いになっている。
街の前には、おそらく九の刻の閉門に間に合わなかったのであろう、旅人達が野宿を始めていた。
締め出され組同士、なにやら楽しげに談笑している者もいれば、行商人だろう、ここぞとばかりに商売の話しをし始める者もいる。
国境といえどこちらは内側、つまり盟主国へと続く国境なので、比較的のんびりとした光景が見れた。
これがもし反対側、つまり火の国フラムヘイドへと続く国境門であれば、街の外での野宿など到底認められず、王族だからといって一度閉じた門を開く事はできない。
フラムヘイドとは緊張状態にあるわけではないが、遠くの国で戦があったという話も届いており、国境の警備は自ずと厳しくなる。
「遅くなってすまなかった」
「お待ちしておりました。少し予定より遅いので、心配しておりました。」
門の警備に当たっていた兵がアゼルの顔見知りらしく、軽く挨拶を交わしているのが見える。
アセリアが入門の手続きを済ませて、ユケイからだと、警備の者達に遅れた詫びとして酒代程度の銅貨を配っているのが見えた。
王家一行だから手続きはスムーズに進むが、普通の旅の一行だったらこうはいかないだろう。
街に入ると、一人のアルナーグ兵が、宿泊を予定している砦の離れまで案内をしてくれた。
砦に駐在する者から食事などの提供を受け、食後のお茶を飲みながら明日からの旅程についての打ち合わせを行う。
俺と旅程の責任者であるアセリア、そしてアゼルが席に着き、部屋の入り口に守護騎士のカインが立ち、侍従見習いのウィロットが給仕を行う。
「期日まではあと7日です。明日の朝から、このまま春を寿ぐ街道を問題なく進めば6日ほどでヴィンストラルドへ到着しますが......」
アセリアが現状を振り返りつつ、そっとアゼルに目を向けた。
アゼルは言いたいことを察したのか、両手を組んで、考え込むように目を閉じた。
「俺は大丈夫だから、予定通り明日の朝から出発しよう」
おそらくアセリアは、俺の体調を気遣っているのだろう。
万全を期すためには、この街で1日ほど休憩を入れた方がいい。
しかし、その場合は悪天候や、何か不足の事態に見舞われた時に到着が厳しくなる。
呼び出し自体が急なのだ、1日くらい遅れたとしても、俺に何か不利益になるようなことはないだろうが、旅程の指揮を任されているアセリアには何かの罰が降るだろう。
「春を寿ぐ街道で行くのを提案したのは俺だからね。到着に余裕がないのは最初からわかっていたさ」
アルナーグからヴィンストラルドまで行く場合、二つの街道の選択肢がある。
一つは今回進んでいる、春を寿ぐ街道。
そしてもう一つが、英雄の街道だ。
どちらの街道を使ったとしても途中でこのリセッシュを経由するが、春を寿ぐ街道が大回りをしているのに対し、英雄の街道はほぼ真っ直ぐに二つの王都を繋いでいる。
では、なぜ近い方を使わないかというと、英雄の街道は、途中で何個か、森の脇を通らなければいけないのだ。
平原を行く道は他の旅人や行商人も多く利用し、見通しもいいから物取りや妖魔に襲われることは少ない。
しかし、森は未だに妖魔の棲家だ。
英雄の街道を使うのは、騎士団や軍隊の移動、それかよっぽどの護衛をつけた大商隊くらいだろう。
しかも今は雪解けの候、冬を越えて餌を求めた狼も活発に動き出している。
狼の群れに襲われたら、半分が非戦闘員な一行では、全員無傷ですむ事ことは難しいだろう。
そして、森の中にはゴブリンと呼ばれる小鬼や、コボルトと呼ばれる犬に似た人型の妖魔も巣食っている。
奴らは臆病ではあるが、人間に明確な敵意を持っていた。
前世での俺は、森を恐れるという感覚は全くなかった。
しかし、人の手が入っていない完全な自然に踏み入れるということは、命を捨てるのと同じだ。
妖魔からの攻撃は必ず不意打ちから始まり、奴らは弓も使うし投石器も使う。
最初の攻撃は、必ず一方的に喰らうことになるのだ。
すぐの出発を決断した俺を見て、アセリアは微かに憂うような表情を見せた。
「それでは明日のために、今日は全員で休もう。夜番も砦の者に任せる。アゼルは信頼のおけそうな者に声をかけておいてくれ」
王侯貴族は、基本24時間、いや、異世界の言葉では12刻中侍従が付いている。
警護はもちろん、夜中に目が覚めた時の諸々の対応をする人間が、必ずついているのだ。
自分で部屋の扉を開けることすら良しとされないのだから、常に人を用意しておかなければいけない。
前世の、夜中に起き出してカップラーメンを食べる生活が懐かしい。
俺が部屋へ移動すると、アセリア達が寝間着への着替えを準備し始める。
着替えももちろん自分ではできない。
本当は湯浴みもしたいのだが、そもそも定期的に湯浴みをする習慣はこの世界にはない。
さらに旅程の間は警護も整え辛く、湯浴み自体を十分にするだけの侍従を確保することもできない。
湯浴みももちろん、侍従の世話になることになる。
湯浴みの当番は全て女性で、服を脱がすところから体を洗い、拭いて服を着せるまで、湯浴み用の薄い肌着を着た女性に介抱されると、どうしてもアケミちゃんとの鮮烈な体験が思い起こされ、童貞への強い決意が揺らぐ。
そんな馬鹿なことを思いながらも、寝台へ入るとやはり疲れが溜まっていたのか、一瞬にして深い眠りについた。