赤毛の少女 Ⅹ
両足から力が抜けて行くのを感じる。
「あなた達王家の人間が、わたくし達貴族の命を捨てるように扱ったのです。わたくし達貴族が、平民の命を道具にして、何がいけないのですか?」
ローザの言う通りだ。俺の生活は、ローザ達姉妹を踏み台にした上に立っている。
同じ話しをしているはずなのに、全く繋がっていないかのようだった。
しかし、俺もたしかにその恩恵を受けているのだ。
それでも、人の命を捨てるように扱っていい訳がない。
誤った行いは、法によって正されなければいけないはずだ。
「ローザ、貴女は罰せられるべきだ。俺のことでは無く、リットを落とし入れた罪として」
「あら、それはどんな罪になるのでしょう」
ローザはふふっと小さく笑った。
「罪を償った後、イザベラ姫を支えてまた一族を興せばいい。彼女は美しいリュートセレンの魔力を持っているんだろ?」
そう、イザベラとローザは、俺には持っていない魔力を持っているのだ。
「ユケイ様、それは不可能です......」
ローザの笑顔は、書き割りのように変わらない。
「わたくし達と貴方は、同じ色の血が流れているのですから......」
ローザはゆっくりと、左手を上げた。
「ならばせめて......魔力の目を持たない貴方がこの世から居なくなれば、世間の目は変わります。それでやっと、イザベラ様の呪いは解けるのです......」
ローザは左手を前へ突き出し、何かを呟き始めた。
アゼルが前へ立ちはだかると同時に、部屋のガラスが粉々に飛び散る。
何かに耐える様に、小さく呻き声をあげた。
何か魔法で攻撃されたのだろうが、俺にはそれを見ることができない。アゼルは倒れることも許されず、俺の前でひたすら壁になった。
「カイン!」
アゼルが短くカインに指示を出す。
隣のバルコニーまでは約束4リール。
革製とはいえ、鎧を着たまま飛び越えられる距離では無い。
カインは自分の剣をローザに向けて投げつけた。
それはローザの肩を微かに切り裂き、赤い血が飛び散る。
相当な痛みが走ったであろうが、ローザの殺意は衰えなかった。
ローザは次に右手を上げ、複雑に口元が動く。
俺には聞こえないが、きっと歌を歌っているのだろう。
足元に、亀裂が走るのがわかる。
アゼルは遂に、膝を付いた。
次の瞬間、視線の端を何か赤い物が駆け抜けた。
それは隣のバルコニーまで軽々と飛び移り、カインの剣を拾うと同時にそれを振り上げた。
その剣筋は鋭く、的確にローザの上げられた腕を切りつけた。
パッと赤い血が飛び散る。
その正体は、マリーだった。
「......この平民!!」
ローザは剣を向けてきた相手、マリーに向けて再び両手を伸ばす。
距離が近く、剣を十分に振る間合いはない。
マリーは迷わず剣を手放すと、そのまま返り血を微かに浴びた拳で、ローザの脇の下を的確に殴り付けた。
「ギャアァァァ!!」
今までのローザからは想像も付かない叫び声上がる。
顔を苦痛に歪めて、口元からは涎が滴り落ちる。
肩は大きく腫れ、腕が歪な方向へ力なく揺れるのが見えた。
「いったい何事か!」
部屋の外から、騒ぎを聞きつけた兵達が雪崩れ込んできた。
それと同時に、ピシッ、ピシッと乾いた音を立て、バルコニーが崩れ始める。
「ユケイ様を!」
アゼルの叫び声に反応し、カインが俺の手を取り、力の限り部屋へと押し込む。
俺の視界には、崩れ落ちるバルコニーと、そして落ちて行くアゼルの姿が見えた。
「アゼル!」
俺は下を覗き込もうと窓際へ駆け寄ろうとするが、それはカインに力づくで阻止された。
「ローザぁぁ!」
窓の向こうから、イザベラの悲痛な叫び声が聞こえた。
その声は、何よりも俺の心を抉った......
おそらく激しく取り乱して居るであろうその姿を見ずに済んで助かったと思っている自分が、どうしようもなく卑怯な人間に思える。
アゼルを助けに行かないと......
マリーはどうなっているんだ
もちろん2人の元へヴィンストラルドの兵士が向かってくれている。
しかし、自分で2人を助けたいと思っても、混乱を極めるこの状況で、さらに護衛騎士がカインしかいない今、2人を助けに行くことも、カインを助けに行かせることもできないのだ。
(本当に...... 本当にこの世界は......!)
俺に許されるのは、ただ拳を強く握りしめることくらいだった。
外は夕日の頃をさらに深め、9の刻を知らせる鐘の音が流れる。
周りの喧騒がやたらと遠くに感じる。
ガラスが取り払われた窓枠はまるで額縁の様で、室内から見える夕焼けのヴィンストラルドの風景は、美しい一枚の絵画の様だった。




