ー手紙の差出人ー
―手紙の差出人―
「いいえ。僕には姉妹はいませんよ。」
この答えを聞いたときにアリスはどんな表情をしていたのだろうか。アリスはその答えを聞いた瞬間、杏理沙の顔を見ていなかった。見ることが出来なかった。自分の表情が、もしかしたら何も知らない少女を怖がらせてしまうのではないか。そんな葛藤を押し殺し、そのまま「そう。」と言って出てきてしまった。
そのやりとりがあった二週間後。アリスはまた人里に来ていた。
「確かに渡したわ。貴方への手紙。」
「…………」
場所は霧雨道具店。以前とは違い、アリスと相対しているのは少女ではなく、妙齢の男性。この店の店主だ。
「あの子が何を思っていたのか、その手紙の中に書いてあるわ。これは私の勝手なお節介だから、この手紙が貴方に読まれるとは思っていないだろうけど。だからこそ、正直な気持ちが書いてあるはず。どうするかは貴方の勝手。どうするかは好きにして頂戴。」
そうして店を後にする。店主は一切の言葉を発しなかった。目を閉じ、静かにアリスの言葉を聞いていただけ。
店を出たアリスは本当にこれで良かったのかと思案する。魔理沙のいないところで、勝手に魔理沙の書いた手紙を送り主に渡して。しかし、魔理沙は人間。魔法使いとは違い、寿命も限られている。限りある時間を有効に使って欲しいと言うアリスの願いが、今回のアリスの行動として現れていた。
「まあ、もう渡してしまったし、これ以上は私がなんとかするのは難しいわね。」
以前のアリスならこんなことはしなかっただろう。しかし時が、周囲の環境がアリスを変えた。それこそ、人里に来て人形劇を披露するくらいには。
「あ、アリスさん!」
物思いに更けていると、以前聞いた声がアリスの前方からする。
「あら、杏理沙。今日は外に出ているのね。」
「はい。ちょっと貸本屋まで。お話していたら予定より遅くなっちゃって。」
前方から歩いてきたのは霧雨道具店の娘、霧雨杏理沙。どうやら今日は貸本屋のところへ出向き、友達と会っていたようだ。
「身体が強くないって言ってたけど、大丈夫なの?」
「あ、はい。強くないと言っても、激しい運動とかをすると呼吸がし辛くなるという感じなので。ゆっくり歩いたりする分には全然大丈夫なんです。けどお父さんとかが心配しすぎてるんですよ。」
口ではそう言ってるものの、大切にされていると言う自覚はあるのだろう。杏理沙の表情は柔らかい。
「そうなの。それでも無理はしないようにね。人形劇は今日お休でごめんなさいね。」
おそらく今人形劇をしてもいい出来にならないだろう。人形に気持ちが乗ってしまい、いい動きをしてくれそうにないと考える。
「それは残念です。けど、前約束してくれましたし。アリスさんの思うときに見せてくれれば!」
アリスは思う。この子本当にあの魔理沙の妹なのだろうかと。良い子すぎる気がすると。
(……流れる血は同じでも、環境が違うとここまで変わるものなのかしら。)
少々感慨にふけっているとさらに杏理沙が紡ぐ。
「そういえばアリスさんの家ってどこにあるんですか?人里じゃあんまりアリスさんの姿を見かけないのでちょっと気になって。」
アリスの家は人間が滅多に寄り付かない魔法の森の中にある。魔法使いという種族であるアリスは食事を必須としない。故に口に入れるものは殆どが嗜好品。食物からも魔力を摂取できるものの、基本は食べなくても生きていける。そのためアリスは人里に来るとき、買い物などはせず、人形劇だけをして家に帰る。それ以外のことで人里に寄るのは稀であるのだ。
「秘密よ。ちょっと危険なところにあるからね。」
好奇心で魔法の森に入られても困る。この子には普通の生活をしてもらうのがいいだろう。そう考えたアリスは質問に対しての解をはぐらかす。
「危険って……!アリスさん大丈夫なんですか?」
「こう見えて私、結構強いのよ?普通の人なら蹴り飛ばして撃退できるから安心しなさい。」
人間風に解釈し答えるならこうだろう。杏理沙はアリスを人間だと思っている。誰かに襲われることを考えて発言したと捉えていい。
「そうなんですか……。美人で優しいし、しかも強いなんて本当にすごいなぁ。僕もそんな人になりたい。」
身体の強さにコンプレックスのある杏理沙だ。アリスに憧れる気持ちが芽生えるのも当然だろう。
「身体がちょっと弱くても、心が強い人はたくさんいるわ。貴女もそんな風になれるといいわね。」
「……!はい! 僕、頑張ります!」
アリスに言われたことが嬉しかったのだろう。自分なりの選択肢を与えられ、興奮気味に答える。
「いい表情ね。それじゃあ杏理沙、今日は失礼するわね。」
「あ、はい。気をつけてください!」
そうしてアリスはその場を後にする。杏理沙が魔理沙のことを知らなくても、アリスは気にしないことにした。魔理沙が帰ってきたらそれとなく聞いてみて、問題ないようであれば魔理沙と一緒に杏理沙の元を訪ねてみよう。彼女たちの思いもそれぞれあるだろう。今は自分が口を出すことではないと思いを改め、帰路につくのであった。
「ただいまー!」
杏理沙が帰宅すると、道具屋には誰もいなかった。普段であれば自分の父が道具の調子を見ていたりするはずだが、その様子もない。
「あれ、いない。お父さん今日どこか行くって言ってたっけ?」
杏理沙は店の中を見渡すものの、先ほどまで店を開けていた様な店内を見てそれはなかったはずと思案する。急な用事なら、店の前に張り紙でもしていくだろう。
「急用なら書き置きでもしていくと思うけど……あれ、机の上に手紙?」
ふと机を見ると手紙らしきものが置いてあるのが見える。
「誰からだろう。お父さん宛かな?あ、まさかアリスさんのこのあいだの用事ってやつかな?さっき家の方向から帰って行ったみたいだし。」
ふと以前アリスが店にきたことを思い出す。以前杏理沙が父に頼まれて店番をしていたときに訪れたアリス。そのときアリスはこの店の主人に用があると言っていた。
「でも、アリスさんがお父さんに一体なんの用だろう?あんな綺麗な人が知り合いならお父さんならすごい自慢してきそうなのに。」
好奇心。人の心に住まうその心は、時に人の行動を狂わせ、人の行く末を決定付ける。この時杏理沙がとったその行動はこの先の杏理沙の行く末を決めた。
「……気になる、あの手紙。もしアリスさんからの手紙なら……」
歩み、その白き紙に手を伸ばす。封が空いた様子がある。おそらく杏理沙の父が先に読んだのであろう。しかし、その中身を見る前に。その封の下部、その差出人の名前に気づいた杏理沙は。
「……霧雨……魔理沙……?」
その手紙はアリスが道具屋の主人に渡したもの。魔理沙が書き上げ、いつか自分の家族へと出そうとして出せていなかったものを、アリスが魔理沙の家から発見し、渡ったもの。
「……なに?なんで僕……」
手が震える。言い知れぬ不安がある。杏理沙の脳はこの先、この手紙を読むことを警戒している。この『事実』はきっと、自分の運命を大きく決めるだろう。けど、それでも一度生まれた好奇心はとどまることを知らない。
「っつ……!」
封を開き、手紙を開く。長くはない。
『こうやって手紙を書くなんて、私らしくないとは思うんだけどな。柄にもなく筆をとった。あれから何年経ったかなんて覚えちゃいないが、私は一応元気だ。
あの時あんたに否定された魔法だが、今は私の生きがいだ。
これがあったから友人も増えた。そういう意味じゃ、私はその家を出てよかったとは思っている。思っちゃあいるが、あんたたちが 私を生んでくれて、育ててくれたおかげだとも、最近は思うようになってきた。いつかまた会う時が来るのなら。
その時は酒でも一緒に飲んでみようか。一応。しばらく幻想郷から離れるからな。報告のつもりでこの手紙を書いた。じゃあな。
あんたらの娘、霧雨魔理沙より。』
「……娘、って……」
手が、足が震える。父は、母はこんなこと自分に話したことはない。自分以外に、娘がいたことなんて。
「……じゃあ、この魔理沙って人は……僕の、姉?」
自分の知らない事実を知りどうしていいか分からず、立ち竦むしかできない。そんな時に彼女の頭によぎったのは、金髪のあの人形師。
「アリスさんなら、何か、知ってるはず……!」
気づけば杏理沙は店から飛び出していた。アリスの居場所もわからない。けど、先程別れたあの背中を追わずにはいられなかった。
そんな杏理沙が夢中になってたどり着いたのは。
「あれ、ここ、森・・・?」
冷静でいられなかったであろう杏理沙は、自分の感覚だけで歩を進めていたみたいだ。ふと気がつくと普段は人間が寄り付かない場所。魔法の森へと赴いてしまっていた。
「どうしよう。無我夢中でこんなところまで……」
実際に足を踏み入れるのはもちろんはじめての杏理沙。しかし魔法の森の噂は耳にしている。人間にが住むのには適応しないこの場所は、体調の変化、そして妖怪などが闊歩する暗闇の森。
「帰らなくちゃ。けど……あれ?」
危険な場所に来てしまった。その思いから帰ろうと踵を返すが、身体が言うことを聞いてくれない。
「な……に……?」
頬にに伝わるひんやりとした感触に、杏理沙は自分は倒れてしまったのだと認識する。魔法の森の瘴気に当てられたのか、無意識だったとはいえ森まで来てしまい、いつもより体力を使ってしまったためか。
「まず……」
意識が消えかける瞬間、その目に写ったものは履物。誰かが自分を助けてくれるのだろうかと、少しだけ期待をしつつ意識を手放した。