閑話 葉槻玲華の一日 on バレンタインデー
いつも書き掛けで1ヶ月ぐらい経ってから続きを書こうとして内容をすっかり忘れている自分ですが、これは珍しく一日で書きあげました。褒めてください笑
葉槻玲華の朝はかなり早い。
それこそ、葉槻の使用人並に早く目を覚まし、朝風呂に入るのが日課なのだ。
ただし、今日は朝からやりたいことがあったため、普段より更に早い。
まだ真っ暗な外を寝ぼけ眼でぼんやり眺めながら、廊下に出てお風呂場へ向かう。ここは広い屋敷であるため、大浴場といった方が正しいかもしれない。風呂好きの玲華のために、部屋の傍にもう一つ作ってもらったのだ。
そして、脱衣場に入って早々、玲華は洗面台横のベルを鳴らす。それから僅か10秒程経過した後、ドアがノックされる。
「お嬢様。舞弥でございます」
「入って」
「失礼いたします。申し訳ございません、遅くなりまして。本日はまた随分とお早……」
玲華の専属メイドを任されたばかりの現役女子高生メイド──柊舞弥。彼女は、脱衣が上手くいかず悪戦苦闘している玲華の姿を視界に収め、優しく微笑んだ。
「お手伝いします」
「ん」
肩や頭が引っ掛かり上手く脱げないでいる自らの主を愛おしく思いつつ、舞弥は素早く寝巻きを剥ぎ取り空中で綺麗に畳むと、風呂場の扉を開ける。
「本日はどうしましょうか?」
「さすがに眠いから、洗って」
「かしこまりました」
舞弥は器用にメイド服の背中チャックを下ろし、ストンと脱ぎ去る。下着姿のスタイル抜群な肢体が露わになる。その状態で玲華の後を追ってお風呂場に入り、シルクのようなきめ細やかな肌を持つ玲華の全身を隅々まで洗っていく。
「ふぅ~」
舞弥による入念で無駄のない洗体が終わり、ゆっくりと湯船に浸かる。玲華にとって、この時間が最も至福であるといっていい。これがあるから、今日一日頑張れるというもので……ブクブク……
「お嬢様。湯船で寝ると永眠になってしまいますよ」
「だって、気持ちいいんだもん」
普段はお嬢様然とした態度と言葉遣いなのに、お風呂などでは年頃の女の子になる所が、舞弥にとっては可愛くて仕方ない。もちろん普段の玲華も、背伸びしてる感があってとても可愛いのだが。
それから、30分超は湯船から離れなかった。玲華の適温に完璧に合わされたお湯の温度は、逆上せるようなこともなく、ずっと寛いでいたいような一時なのだ。
玲華を伴って部屋へ入った舞弥は、ベッドの上に乱雑に置いてある衣服へと目を向ける。
「お嬢様。今日の装いはこちらで宜しいでしょうか」
それは、玲華の私服にしては比較的地味な衣服だった。本日の予定は外出ではないのかと舞弥は不思議に思う。実は今日の予定は内緒だと言われていたのだ。
「そう。それでいいわ」
お嬢様の了解を取ると、素早く衣服を着させ、身だしなみを整える。メイクアップもプロ顔負けの技で、一瞬にして玲華を〝ご令嬢〟へと昇華させた。とても小学校入学を控えた幼稚園児には見えない、大人っぽい姿に仕上がる。
「いかがでしょう、お嬢様」
「ありがとう。じゃあ、舞弥。これ」
「……これは?」
舞弥は唐突に紙切れとクレジットカードを受け取る。その
その紙切れにはびっしりと、玲華の可愛らしい字で書かれたスケジュールのようなものが箇条書きにされていた。
(今日のお嬢様のご予定だろうか?いえ、でも『テニスラケット10本ぐらい買う』……というのは?それになんだかテニス関連のことが多いような)
舞弥にはこれが何なのかさっぱりわからなかった。お嬢様を含め、葉槻家の皆様はテニスなどしない。であれば、クライアントへのプレゼントだろうか?しかし、お嬢様が購入なさるというのは些か……おつかい?
「それは今日の舞弥の一日のスケジュールよ。今から行って、それ全部達成してきて。お金はいくら使っても構わないから」
「……はい?」
「大丈夫。メイド長には言ってあるから。今日は舞弥の休日よ。たくさん楽しんできてちゅうだい」
(あっ、噛んだ。可愛い……ではなく!)
「んん!最近好きなテニスもあまりできてないでしょう?ゆっくり羽を伸ばしてきたら?私は家ですることがあるから大丈夫よ」
「お嬢様ぁ……」
柊舞弥の趣味はテニス。葉槻家に代々仕える柊家の長女として生まれた舞弥には、自由というものがあまりなかった。幸い学校は好きな所へ行かせてもらってるが、多くの時間を拘束される運動系の部活はやらせてもらえない。だから、テニスはどうしても休日に時々するぐらいなのだが、玲華の専属になってからは全くといっていい程できていなかった。
「これは主人命令よ、舞弥。今日は休日を与える!」
「……はい。かしこまりました、お嬢様」
舞弥は恭しく頭を下げた。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
「お母様!!」
「あら、玲華。相変わらず早いわね」
厨房に入り、母──京香の姿を認めた玲華は、言うが早いか抱き着きにいった。腰の辺りに自分の顔を埋め、母親の温もりを目一杯感じ取る。
「良い匂いがする!」
「ふふふ。今チョコレートを溶かしたところよ。こっちの一欠片食べる?」
「あーん」
そう。これから、玲華は大好きなお母様とバレンタインチョコレートをたくさん作るのだ。残念ながら、バレンタインデー当日である今日は日曜日なので、幼稚園の皆には明日渡すことになるが、いつもお仕事を頑張ってるお父様や舞弥、その他の使用人たちに玲華お手製のチョコレートをプレゼントするのだ。
「奈緒と莉奈にはいいの?」
「もちろん二人にも作ってあげる!」
麗華には双子の妹がいる。控えめで静かな姉の奈緒とよく泣く元気な妹の莉奈。二人とも大切な家族だ。まだ二歳なので二人ともぐっすり寝ているだろう。
「じゃあ、型抜き出してくれる?」
「はい!」
玲華は上機嫌に京香の手伝いをする。普段料理をするのは専属の料理人だが、京香の料理の腕前も全然負けてはいないことを玲華は知っている。そして、それが玲華には誇らしい。自分もお母様のような完璧なレディーになるのだと、常日頃から意気込んでいる。
「とっても楽しそうね、玲華。誰か男の子にあげるの?」
「んー、お願いしますって頭下げるならあげようかなぁ」
「じゃあ、あげたい子がいるのね」
「え?そ、そんなんじゃ……ない。と思う」
「うふふ」
普段夫の仕事を手伝っている京香とこうして料理ができることは稀だ。玲華の両親は多忙で、土日であっても相手をしてくれるのはいつも使用人の皆である。だから、こうして京香と一緒にチョコ作りができることがとても楽しいのだ。
「………さてと。これで後はオーブンで焼くだけね」
「2時間でいいの?」
「ええ。あら、もうお昼ね。たまにはお母さんが何か作ろうかしら」
「「「「えっ?」」」」
京香がそう言った途端、厨房内の別区画で下拵えをしていた料理人たちが揃って驚く。それは準備を始めてしまっているからではなく、奥様の手料理が久しぶりに味わえるかもという期待に満ちたものだった。しかし──
「料理人さんたちはお気になさらず。私は夫と娘たちの分を作るだけですわ」
「「「「……はい。かしこまりした、奥様」」」」
その場には、意気消沈した料理人たちの姿と、オーブン越しにチョコレートを見ながらワクワク顔の玲華がいるだけであった。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
紙切れに書いてあった中々ハードなスケジュールをこなした舞弥は、17時過ぎに屋敷に帰宅した。書いてある順に行っていたらとても間に合わないと判断した舞弥は、効率の鬼と化し最短で様々な店舗を回り、最後には友人とテニスをしてきた。
「……さすがはお嬢様。容赦がない」
「舞弥さん、お帰りなさい。大丈夫?」
「あっ、はい。問題ありません」
荷物を使用人室へ運び入れている舞弥のところへ、妙齢のメイド長がやってきた。軽く労いの言葉をかけた後、玲華の部屋に行くようにと告げた。舞弥は瞬時に気持ちを切り替えて玲華の部屋へと急ぐ。
そして、ドアをノックする。
「ただいま帰りました、お嬢様」
「入って」
「失礼いたします。……お勉強中でしたか。間が悪く申し訳ございません」
「いいの。それで、久しぶりのお休みはどうだった?」
「有意義な時間を過ごさせて頂きました。久しぶりにラケットを振れて楽しかったです。お嬢様、気を使って頂いてありがとうございました」
一言も詰まることなく感謝を述べ、頭を下げる舞弥。休日とは思えない程に疲れたのは事実だが、楽しかったのもまた事実。そして、自分のために一所懸命あのスケジュールを考えてくれたのだと思うと、少し振り回される程度何ともない。それに、自分の一時的な疲れなど、玲華の愛らしい笑顔を見ただけでどこかに飛んで行ってしまった。
「労働擬人法?というのがあるのでしょう?舞弥はもっと休まないと」
「労働基準法です、お嬢様。ですが、ご心配おかけして申し訳ございません。なるべく休むようにいたします」
「うん!はい、じゃあこれ」
「……これって、チョコですか?」
舞弥は気付いていた。今日がバレンタインデーであり、玲華がチョコを作ろうとしていること。そして、この部屋に漂う微かなチョコの匂いに。だが、あえてすっとぼける。
「そう。私が作ったのよ!舞弥のために!」
「……お嬢様……とても……嬉しいです」
紙袋に入った玲華特製(ほぼ京香作)チョコを胸に抱えた舞弥は、感極まって涙目になりながらお礼を告げた。例えわかっていても、いざ貰うと嬉しかった。それも、玲華が頑張って作ったんだなと思うと、その思いも一入だ。
胸を張りながら「えっへん」と言う玲華だが、その口の周りにはチョコが付いていた。
「いずみ!はいこれ、チョコあげるわ!」
「あ、ありがとう、れいかちゃん!」
「……俺には?」
「ください、お願いしますって言ったらあげないこともないわよ」
「じゃあ……玲華のチョコ欲しい。くれない?」
「──っっ!そ、そこまで言うなら、仕方ないわね」