第45話 結局目立つ男
廊下で待機していた係員のお兄さんが、出てきた俺に気付くと、柔らかな笑顔を浮かべ近寄ってきた。
「おトイレかい?」
「あ、いえ、テスト終わったんですけど、どこに行けばいいですか?」
「終わった?もう?随分早いんだね」
ふむ。これも観察されてるのだろうか。
あまり目立ちたくはないのだが、あのまま座ってても退屈だしな。
まぁこのぐらいなら、ちょっと頭の良い子供ぐらいの認識だろう。
「じゃあ、親御さんのところに案内するから、着いてきてね」
「はーい」
うん。今度は子供っぽい返事ができた。
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私は掛井垰佳、26歳、独身、彼氏なし。
名前にやたら土の字が入っているので友人たちには「つっちゃん」て呼ばれている。
……自分でもそのあだ名の付け方はどうかと思うけど、付けられたのは小学生のときで、名前が読めないって言われてそう呼ばれ始めた記憶がある。それだとしょうがないよね。
まぁ、それはともかく。
去年はれて、憧れの赤鳳学園初等部の講師として勤め始めることができた。
昔から〝年下の世話を焼くのが好きだった子供〟だった私は、幼稚園の先生を目指してピアノを習っていたのだけど、なんの間違いか、主だったコンクールに出場しまくることになり、何度か金賞もとってしまった。
どうやら私には才能があったらしい。
好きなことなら、めげずに何度も何度も同じことを繰り返せる才能が。
そうしてやたら熱心なお母さんやピアノの先生の期待に応えるようにして私は都内の音大に入学した。
してしまった。
別に才能の壁にぶち当たったとか、ピアノを嫌いになったとかではない。
子供に何かを教えることが、ピアノを弾いてるときよりも、楽譜を読んでいるときよりも、一番好きだなぁと思ってしまったのだ。
あれはたしか、大学で友達のギターを借り、見よう見まねで弾いていたときだった。
ピアノとは違う格好良さ・面白さに、私はギターを弾けるようになってみたいと思った。だから──。
「お母さん。ギター買って?」
「だめ」
と、お母さんに即答されたときは少し頭にきた。
こんなに普段から頑張って、こないだのコンクールの演奏だって珍しく完璧だったんだから、いいじゃないかケチと。
「なんで?」
「ピアノの練習量が減るじゃない」
「減らさないよ。毎日ちゃんと7時間。コンクール前は9時間練習する」
「ダメよ。それだって限界ギリギリなんだから、それ以外はしっかり休まないと」
「わかった。じゃあ私が買う。それならいいでしょ?」
そう私が反論すると、お母さんは驚いたように瞬きを繰り返した。
そして、何かを言われる前に、私は説得材料を提示する。
「これ、短期のアルバイト。受験生の家庭教師だって。1日2時間だからそんなに時間取られないし、日給結構貰えるから私にピッタリだと思わない?」
「………ハァ。そこまで考えてるならいいわよ。好きにしなさい。一応、他の楽器に触れるのもタメになるしねぇ。でも、バンド組みたいなんて言ったら、、、それはもう長い長~~~~~いお話になるから覚悟しなさいね」
「…………う、うん」
………こ、怖い。最後だけ表情が無になった。
お話っていうより、お説教かな?
ギターは、趣味に留めておこっと。
でも、即反対じゃないんだなぁとぼんやり思った。
そうして家庭教師で赴いた家の子供が、赤鳳学園初等部の受験生だった。
2ヶ月ぐらい色々と教えているうちに、将来ピアニストになるという理性を跳ね除けて、私はときめいちゃった。
短い期間だったけど、子供の成長を感じられたし、合格したと聞いた時は我がことのように喜んだ。
……ピアノの国際コンクールで著名な審査員にベタ褒めされたとき以上だった。
あれは、クセになる。
この瞬間、私の未来は決まった。
その後どうにかこうにかお母さんやピアノの恩師、大学の人たちを説得し、当然のように留学の話も蹴って音大を中退。
教師の道に進んだ。担当はもちろん音楽。
え?幼稚園の先生じゃないのかって?迷ったんだけどね。結局、学校の先生に決めた。
その後も色々大変だったけど、ようやく去年の春、志望した赤鳳学園初等部に講師として着任した。
講師扱いでまだ担任を持たせてもらうことはできないけど、子供たちに音楽の魅力を伝えることはとても楽しい。
そして、この学園に赴任して1年と約半年が経ち、初等部受験のお仕事が回ってきた。
私が教師の道を志すきっかけを与えてくれた子が挑んでたのもこの受験。
私は喜んでこれに参加した。
「あら、お帰りなさい、掛井先生。2-Bはどうでしたか?」
「菊池先生。みんな真剣な表情で、とても頑張ってましたよ」
「そうですか。………楽しみですね」
第2棟の準備室に戻ってくると、先に戻っていた2-Aの教室の試験官、菊池英里子先生が話しかけてきた。
私とあまり歳が変わらないのに、初等部5年生の学年主任をしている先生で、4年生から学び始める英語の授業を担当している。
噂では5ヶ国語以上を操る凄い人で(実際にいくつの言語を話せるかは誰も知らないらしい)、中学の選択科目である外国語も教えている。うん、中学校舎とは長廊下で繋がってるから、行き来は簡単。
高校の校舎はちょっと離れてるんだけどね。
この学園には、こういう凄い先生たちがたくさんいて、うかうかしていたらいつまでたっても講師どまりだ。
正直、まわりの先生方を見ているとかなり焦る。
「私も頑張んないとっ」
ふんすっ、と意気込む私に構わず、菊池先生はひとつの用紙を手に取って面白そうに眺めていた。
机にテスト用紙を入れる用の茶封筒が置いてあるので、自然と受験生の答案用紙だと当たりをつける。
「……どうかされたんですか?」
まるで聞いてくれと言わんばかりにその用紙を見ていた菊池先生は、私の問いかけに、微笑を浮かべてそれを見せてきた。
「中々面白そうな子を見つけましてね。この子は受かるかなぁと、ね」
「まだペーパーテストしかしてないのに、もう……って、え!?こ、これ、本当に5,6歳の受験生が書いたんですか?」
「そうですよ」
「…………凄く綺麗な字、ですね」
「ええ。少なくとも、掛井先生よりは綺麗ですね」
「うぐっ………それは言っちゃダメなやつですよぉ」
辛辣な菊池先生の言葉に項垂れる私。
でも………うん、私のへにゃってる字とは比べ物にならない。
これでも教育大に進んでから文字の矯正をしてきたつもりだけど、それでもまだまだだと小学校の受験生に教えられてしまった。
答案用紙は、〇や×で回答するのがほとんどで、それが6問を占める。
2問が図形や絵を書いて答える回答方式で、残りは問題文を読み取って単語を記載するものだ。
簡単な平仮名を書くだけなんだけど、とても上手さが際立っている。
ていうか、とめやはらい、次の文字に移る時の書き方などに、どこか大人臭さが垣間見えて、本当は菊池先生のイタズラなのでは?とか思うほどだ。
「私はともかく、普通に大人の字ですよ、これ」
「ふふっ。あなたも大人でしょうに。でも、言いたいことはわかります」
「書道でも習っているんでしょうか?」
「かもしれませんね。あと、もうひとつ私が驚いたのは、これを1分ぐらいで全て問いたということです」
「…………ぇ!?」
えーと、この先生もしかして私をからかってるのかな?
仮に全問解ける力があったとしても、この量を1分でなんて無理があるよ。
私には無理。
それこそ、全部答えを丸暗記しているぐらいじゃないと、とてもそんな速さで回答できない。
問題文を読んでるだけで1分ぐらいすぐ経つ。
「……でもこれは事実です。試験開始後5分ぐらいずっと答案用紙を捲ることもせず、外を眺めていたのが、気が付いたら終わっていて手を挙げてきたのです。てっきりまた親が満足するためだけの記念受験かと思ったのですが………驚きと同時にとても興味深かったですよ、あの子は。だから次の行動観察、凄く楽しみなのです」
菊池先生はそう言いながら、ニヤリと面白い玩具でも見つけたかのように笑った。
たぶん、次の試験でこの答案用紙を書いた子の行動を実際に見て、その内面を推し測ろうと画策しているのかもしれなかった。




