第43話 受験前のあれこれ
小学校受験を明後日に控えながらも、俺はいつも通り幼稚園に通園する。
この時期、家柄の良い子供が多く在籍する〝わかば幼稚園〟では受験する子供が多く、それに合わせて数週間の休みが得られる。
公立の小学校に入学する場合でも、就業前健診やその他入学準備があるため、今は自由登校のようになっている。
いや、自由通園か。
「じゃあ、仕事頑張ってねお父さん」
「おう。祐也も頑張れよ」
幼稚園のバス停で恭介に見送られ、俺はバスに乗った。
俺ん家の地区は幼稚園からそんなに離れていないのに、そういう時期ということもあって中は結構空いていた。
普段は空いている席を探さなければいけないぐらいには混んでいる車内だが、今日乗っている園児はふたりしかいない。
「……俺だけなんだろうな」
適当な窓側の椅子に座り、ゆっくり流れていく外のいつもの景色を見ながらボソッと呟く。
……受験を間近に控えてのんびり通園してるのは、俺ぐらいだろう、と。
「ゆうや。おはよ」
「……おう。そんなに擦ったら目が傷つくぞ」
相変わらず眠そうな大悟が、目元をゴシゴシ擦りながら俺の隣に座った。
いつの間にか、大悟の最寄りに着いていたらしい。
「平気平気。お父さんもいつもやってるから」
「あっ、そう……」
大悟の父親は何回か見たことあるが、大悟と違ってしっかりしてそうな感じだったが、朝が弱いのは一緒ということか。
大悟の場合は、飯時以外いつでも寝れそうだが。
「着いたら起こして」
「あぁ」
バスの中では当然のように寝る。
大悟の最寄りのバス停からは10分ぐらいで着いてしまうのだが、そんな少ない時間でも寝れるらしい。
俺が返事した次の瞬間には、もうぐーすかイビキをかいている。
「俺よりマイペースだなぁ」
大悟は受験せずに、普通の公立の小学校に行くらしく、いつも通りだ。
今は年長クラス全体が変な緊張感に包まれている感じがするが、大悟は緊張とかするんだろうか。
幼稚園の出し物や運動会のときだって、隙ありゃ寝てたからな。
「こいつとももうじきお別れか………」
俺は、鼻の穴を大きく開けて幸せそうに眠りこけている大悟を見ながら、珍しく感慨に耽っていた。
通園している年長クラスの園児が少ないこともあり、クラス合同で授業を行った。
授業といっても、ただの積み木遊びやお絵描きだが。
他の園児と相談しながら課題をこなして行くスタイルで、俺の受験を意識していることがわかる。
『行動観察』っていう試験があるから、できるだけ周りとコミュニケーションを取らせておきたいのだろう。
「終わったー!ゆうや、行こ」
「そうだな」
大吾と話しながら、帰る支度をする。
いつもなら、ここらで玲華が絡んでくるのだが、今日は彼女も泉と同じで受験に備えてお休みだ。
俺、泉、玲華の3人は同じ学校を受ける予定で、ふたりは必死に受験対策をしているらしい。
その受ける予定の学校は、倍率が非常に高く、それなりに狭き門みたいで、普段通り通園している俺を心配している人が多い。
「祐也くん。勉強はどう?」
担任の遥先生がその筆頭だ。
先生なら当たり前かもしれないが、少ししつこい。
朱美が『祐也なら大丈夫』を連呼しているせいで、子供に期待しすぎでは?と逆に不安を抱いている様子だ。
「大丈夫だよ。対策はバッチリだから」
「そう?ならいいんだけど……」
心配そうにしているが、表情は穏やかだ。
初めて会った時のような初々しさがなりを潜め、今は子供たちのことを真剣に考えているすっかり頼もしくなった先生の姿があった。
子供体型(胸を除く)であることや園児たちにからかわれているのはずっと変わらないが、なんというか『先生になった』感じがするのだ。
「遥先生。僕、受かるよ」
遥先生の目を真っ直ぐ射抜いて、断言する。
なんだかんだ好きな先生なので、これ以上心配をかけるのはしのびなかった。
「……ふふっ。応援してるっ!」
両手で拳を作り、子供のような無邪気さで笑った。
園児の皆が大好きな先生のあったかい笑顔だった。
「遥先生」
「んっ?」
「きっと天職だと思うよ。子供の面倒を見る仕事」
「………えっ?」
言われたら嬉しいような言葉だが、それをまさかの教え子に言われ、呆気に取られる遥先生。
俺は笑いながら、教室を出た。
彼女をビックリさせるのは、俺のちょっとした楽しみでもあった。
表情豊かだからこそ、面白い。
「あら、ゆうや。今帰り?」
「あれ。お母さんどうしたの?」
大悟と廊下を歩いていると、とある教室から朱美が出てきた。
今日幼稚園に来るとは聞いてなかったので少し驚く。
「PTAの引き継ぎよ。言ってなかったっけ?」
「聞いてないよ」
「あら。今朝言った気がしないでもないのだけど、まぁいっか。丁度終わったところだから帰ろっか。大悟くんも乗ってくわよね?」
「うんっ!」
「今日、車なの?」
「帰りに買い物したかったからね」
朱美と合流し、3人並んで廊下を歩いていると、向こうから見知った人物が近付いてきた。
それとなく朱美の顔を見上げると、普段通りの穏やかな笑みで俺と大悟のおしゃべりを聞いている。
しかし、一波乱ありそうな邂逅なのは間違いない。
「あら?もうお帰りなのかしら。」
「えぇ。私の仕事は済ませましたので」
「……随分早いわね。ちゃんとやったんですの?」
「どういう意味でしょうか?」
「………(ギロり)」
泉の母親が、敵意を隠すこともせず朱美に突っかかる。
朱美は逆に丁寧な対応だが、目が全く笑っておらず、頗る面倒くさそうだ。
会った時から何かと絡んでくるおばさんだが、最近は意外と朱美のせいな気もしている。
変なところで抜けている母親だし、女に嫌われそうな容姿でもあるからだ。
憧れの対象にされることの方が多いようだが……。
「あっ、そうそう。おたくも赤鳳受けるんですってね。……受かるといいですわねぇ」
俺の方をチラリと見た泉ママは、それはもう見下しているのが丸わかりな視線で、受かるとは全く思っていなさそうだった。
それどころか、俺が落ちたあとバカにするのが楽しみで仕方ない感じが透けて見える。
「えぇ。泉ちゃんも受かるといいですね」
朱美の動揺などない鉄仮面のような微笑みに、泉ママの方が若干たじろいでいる。
それでも、「ふんっ」と鼻を鳴らすと、朱美の肩に思いっきりぶつかりそうな勢いで横を通り過ぎていった。
俺が手を引いたのでぶつかることはなかったが、確実に当たりにきていた。
「ありがとね、ゆうや。あら?」
俺の肩に頬を乗せてウトウトしている大悟に今更ながら気付いた朱美は、「ごめんね」と謝って大悟を抱き上げ、駐車場に向かう。
「それで、泉のお母さんにはなんで嫌われてるの?」
「…………なんでかしら」
朱美は、心底不思議そうにコテンと首を傾げた。




