第28話 フラれる遥、震える俊介
俊介が大胆な行動に出る数時間前───
わかば幼稚園の朝は早い。
子供たちが来るのは九時頃であるが、それよりも先生たちは数時間前に来て仕事をしている。
しかし、今はまだ通勤している先生もまばらで、警備員とすれ違うことの方が多い静かな園内。
そんな朝早くに、俊介の姿は園長室にあった。
穏やかな表情で椅子に腰掛けている園長先生は、机に置かれた白い封筒に視線を落とす。
「これは、どういうことですかな?」
「見ての通りの退職願です。急なことで誠に申し訳ありませんが、本日付で辞めさせてください」
「……そうですか。河合先生は優秀でしたので非常に残念ですが、引き留めることはできません。ですが、理由を聞いてもよろしいですかな?」
「どうしても欲しいものがあるから、ですかね」
「なるほど。決意は固いみたいですね。わかりました、受理しましょう」
「今までお世話になりました」
俊介は深くお辞儀をする。
彼はこの幼稚園に六年勤めてきた。
それからわかるように、非常に働きやすい環境であった。
その中でも、園長先生には大学時代からお世話になっていたので、もしもの時に迷惑がかからないように辞めることにしたのだ。
犯罪に手を染めている人間が、誰しも常識が欠如しているということはない。
“それはそれ、これはこれ“である。
俊介の場合は、常人よりも欲望に貪欲で、常人よりも性欲が強く、常人よりも支配欲が強いというだけなのだ。
それをコントロールできるかは、また別の話である。
「引き継ぎは今日一日で完了させますので、そこは心配しないでください」
「もちろん、そこは心配していないですよ。今日までお疲れ様でした」
俊介は再度、頭を下げると、園長室を辞した。
そして、関係各所を手早く回り、僅か一時間で引き継ぎを済ませた。
その仕事ぶりは、他の先生や親御さんたちから高い信頼を得ていた。
誰も俊介が裏であんなことをしてるなど思わないであろう。
時間に余裕を持って、職員室の自分のデスクを整理していると、ひとりの先生が声を掛けてきた。
自分にうっすら好意を抱いていると感じ取りつつも、何かとストレス発散に使ってきた新人教諭、吉澤遥だった。
「あの。河合先生………」
「吉澤先生。どうかされましたか?引き継ぎは先程行ったはずですが、何か疑問点でも?」
「い、いえ。えっと、次の職場は決まってるんですか?」
「暫くはゆっくりしようかと思ってますよ。“お暇“というやつですね」
「そ、そうなんですか。………あ、あのっ!」
遥が意を決して、声を張り上げた。
少し驚きつつも、次の言葉を待つ俊介。
「わたし、河合先生のことが好きなんだと思います。こんな気持ち初めてで、よくわからないんですけど。ドキドキするんですっ」
「申し訳ありません。私には彼女がいるんです。だから、吉澤先生の気持ちには答えられません。吉澤先生は魅力的ですから、すぐに良いお相手が見つかりますよ」
「~~~~~ッ!!」
遥にとっては破壊力抜群の俊介の笑顔に、何も言えずに赤面して、口をアワアワさせながら、至るところに身体をぶつけつつ職員室を慌てて出ていった。
暫し、遥が去ったドアを見ていた俊介は、真顔でひとこと呟いた。
「その大きな胸だけだが」
そして、おもむろに机の整理を再開した。
「そろそろ祐也くんの乗るバスが着く頃か………」
俊介は、周到に準備を済ませると、人質の確保に向かった。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
そして、現在───
「お前があのときの奴というなら話が早い」
俺の声や態度が変わり、頭が少し混乱していた様子の俊介だが、謎は一端棚上げにしたのか、腰に差していたモノを引き抜いた。
そしてそれ──拳銃を、目の前の俺に向ける。
あのときと同じ声と口調、それにこの威圧。
どうやら、あのときの“闖入者“が俺だとはっきり自覚したらしい。
いや、俺はそんなことよりも大層気になることがある。
「お前。どこでそんなものを手に入れたんだ?」
「……………」
実物の拳銃なんて見たのは初めてだ。
しかし、俺の“直感“が本物だといっている。
「じゃあ、質問を変えよう。俺を拉致ろうとしてたのはなぜだ?」
「俺の邪魔をしたあいつを誘き出し排除するためだ。朱美を俺のモノとするために。そのためにも、お前を人質にと思ったんだが………」
「………………はぁ」
あまりにも糞で勝手な物言いに、自然と大きなため息が出た。
こっちの世界にもこういう輩がいるんだよな。
やっぱり、サクッと殺しておくべきだったか?
「お前………いったい、何者だ?」
「俺か?俺は白井祐也。探偵さ」
あ、口が滑った。
同じような状況だったからついうっかり。
「探偵だと?」
「いや、気にすんな。最近漫画を大量に読んで、言ってみたいセリフがあっただけだから」
「てめぇ、状況がわかってないのか。朱美が待ってんだから、死にたくないなら失せろ!」
「は?誰が誰を待ってるって?よくまぁ、そんな恥ずい妄想を普通に話せるな」
俺は軽~く殺気を放ちながら、ゆっくり近寄っていく。
「ひっ………く、くるなっ!それ以上近付けば本当に撃つぞ」
「手が震えてるぞ?さすがに、こんなことまでしたのは初めてか?」
ドンッ!
俊介は今まさに迫ってくる殺気に耐えられずに、引き金を引いた。
それは恐らく無意識だったのだろう。
撃った本人が真っ青な酷い顔をしていた。
震えた手で発砲した銃口の先は、俺の右足。
そこから起こる未来は、銃弾が足を貫通して血が吹き出し、崩れるようにして倒れ込む俺。
……なわけがない。
俺の足から数cmのところで停止した銃弾は、やがて重力に従い落下した。
スキル“念力“による、物体操作能力である。
操作する物体の体積が大きい程に、緻密な集中力を必要とする難しいスキルだ。
そしてこのスキルの欠点が、認識できなければ使えないということである。
拳銃による銃弾の飛翔速度は、音速を軽々越える。
人間が目視するなど不可能な領域だ。
しかし、そこは邪神軍団を押し付けられたほどの勇者。
認識領域を大幅に引き上げるスキルぐらい、多く所持している。
俺にとってはゆっくり進んでくる銃弾を、念力で止めたというだけである。
もちろん、跳ね返したり消したりもできたわけだが、これが一番印象が強いかと思ったのだ。
案の定、俊介は何が起こったのか理解できていないようで呆然としている。
自分が持つ拳銃を見つめ、撃った反動で少しヒリヒリしている手と硝煙の匂いで、間違いなく撃ったと自覚し、さらに顔がひきつる。
「お前がこれから口にする言葉、当ててやろうか。“化け物“だろ。それは聞き飽きたから、違うのにしろよ」
「ば、化け物…………」
「おい。言ってるそばから」
「お、お前、ほんと何なんだよっ!」
一周回って喚き出した俊介を無視して、俺はパンパンと掌を叩いた。
───ズン、ズン、ズンッ、ズズンッ──
地響きを立てながら小屋の後ろから現れたのは、全長五メートルを越える巨体。
白銅色の特殊金属、ミスリルでできているメタルゴーレムである。
俺の背後に控えたメタルゴーレムに、俊介はもう言葉も出ない様子だ。
前々世の俺だったら、跳び跳ねて喜びを表現してることだろうな。
あのときは、なぜかやたらとロボットとかに憧れがあった。
某ロボットアニメも流行ってたし。
「もう十分以上経っちゃったから、俺はそろそろ戻らないと。先生の相手はこいつがしてくれるから。………あ、でも、先生も戻らないと大騒ぎになるか?」
『非。今朝、退職願を提出し、荷造りも終えているので問題ありません。資料室に置いてある河合俊介の荷物を隠すことを推奨します』
「へぇ。それなりの覚悟あっての行動だったのか?まぁ、どうでもいいや。メタンゴ、後をよろしく」
メタルゴーレム──メタンゴが、コクリと頷いたのを確認すると、俺は転移で幼稚園に戻った。
夕方、俊介がどう変わっているか少し楽しみである。




