007 屈したりなんてしない
『うおおおおおーーーっっ!!』
32番ブロックは再び大きく盛り上がる。サファイアが対戦相手のサイモンを下したのだ。サイモンは軽装で、瞬発力とスピードを生かした攻めを見せていた。しかし太刀筋を見切って難なく躱すサファイアを最後まで捕らえることはできず、グレゴリーと同じく足に一撃を受け、負けを認めた。観客の中で喜んでいるのは今回は半数と言ったところ。対グレゴリー戦を見た観客が大勢でサファイアの勝利に賭けたためだ。
「はぁっ……はぁっ……」
サファイアは大きく肩で息をしながらサイモンに礼をしてリングを降りる。これくらいの疲労であれば次の試合までには回復するだろう。それに体力が削られていくのは次の対戦相手も同じことだ。サファイアはリングを降りると、ルークとハイタッチをパチンと交わした。
「また勝っちゃったな、すごいぞサファイア」
「ふふん、私だって本気を出せばこんなもんなんだから」
剣についた血を拭き取りながら、椅子に座って自信満々に返事をする。次の試合はグレゴリー対サイモン戦で、サイモンの治療と休憩のため、少しばかり時間が空く。サファイアはその間にも、やることが多くある。剣のメンテナンス、防具の着け直し、水分補給、などなど。これらをなるべく早く片付け、休憩に時間を取りたいところだ。
「でも、次はマジで本気出さないとやばいぞ。何しろ貴族のお出ましだからな」
「私と同い年だっけ……気は抜かないようにしなきゃね。孤児上りは弱いなんて思われるのは嫌だもん。貴族に勝ったら風当たりが強くなるなんて言われてるけど、そんなのに負けたりしないんだから」
サファイアは慣れた手つきで防具を外すと、戦いで強張った筋肉をほぐすようにストレッチする。ルークは新しいタオルを持って、サファイアの首にかけてあげた。ふと横を見ると、整ったメイド服を着た従者たちから手厚いサポートを受けている少年が目に入る。青い瞳に整った精悍な顔、長い後ろ髪を後ろで一本に束ねている。黄金色の美しい装飾が施された純白の鎧と盾、同じ柄の鞘に収まった剣。恐らくこの鎧を着て今大会で優勝するつもりなのだろう。背伸びとまではいわないが、鎧に着させられているような印象も受ける。
「……確かに、な。負けるなよ」
「……うん」
サファイアとルークは、相手の姿を見て意思を更に硬くした。グレゴリーの試合が始まると同時に、サファイアは防具を付け始める。その手には、若干力がこもっていた。
そして。
「それでは32ブロックリーグ最終戦を行います。ラディオネル選手、サファイア選手、リングの上へ!」
......
「さあ、お二人とも準備はよろしいですか?」
審判の質問に二人は静かに頷く。観衆も心なしか、しんと息を呑んでいるようにも感じる。お互い剣を構え、相手の目を見る。しかし少し印象が違う。貴族とはもうちょっとこう、へらへらと厭らしい笑みを浮かべる存在かと思っていたが、ラディオネルはそうでもないようだ。
「それでは……はじめ!」
「お相手、願います」
「貴公など相手ではない。軽くひねってくれる」
いや、やはり貴族は傲慢なようだ。リング上では対等な立場であるという想いが全然感じられない。少しは話の分かる男かと思って声をかけてみたことを後悔する。ラディオネルの盾の死角を狙うように左側に剣先を向け、じりじりと足を滑らせ、間合いを取りながら隙を伺う。男といえど相手は片手剣。打ち合いになれば機動力、振りの力は断然両手剣のほうが有利だ。
ラディオネルも慎重だ。サファイアの剣先を意識して、斬撃を受けないように注意を払う。盾と異なる向きから薙がれる場合、剣で受け止める必要がある。盾を前面に、にじりながら気づかれぬよう間合いを詰め、振りかぶりに突きを合わせようと画策する。真っ白に輝く小剣は片手で扱えるよう軽く、相手に少しでも深手を与えられるよう鋭利に研がれている。
「……はっ!」
サファイアの間合いに入ったと悟り、先に攻めるのはラディオネル。剣を前に突き出し、サファイアの腹部を狙う。サファイアはすかさず剣先を地面に叩き落とし、一歩後ろへ下がる。グレゴリーの時と同様横に回り込むため引いた右足に力を込めた瞬間、ラディオネルはそのまま盾を構えて突っ込んできた。サファイアはとっさに両腕をクロスして突進を迎え撃つ。
「あぐっ!」
重い音と同時に二人が激突し、サファイアが体勢を崩す。ラディオネルがそのまま勢いをつけ盾を一気に押し付けると、サファイアは下がり切れずしりもちをついて倒れる。
「あだっ!」
「もらったぁ!」
ラディオネルは膝をつきサファイアの腹部めがけて剣を突き下ろす。サファイアは左足で地面を蹴り上げ、右に転がり剣を避けると、すぐさま手をついて半身を起こし、お返しとばかりに盾めがけて体当たりする。ラディオネルは右足を踏ん張り受け止めると、持ち手を変え剣先でサファイアの左わき腹を狙う。サファイアは左手で盾の端を掴むと思いきり引き寄せ、その反動を利用してラディオネルの後ろを転がり右横へ移る。ラディオネルがバランスを崩した一瞬の隙に急所を探すが、鎧は思いの外全身を覆っていて突く場所を決めきれなかった。サファイアは立ち上がり体勢を立て直し、間合いを開ける。
「実に平民らしい戦い方よ」
「あんたと違って今日生きるのも必死なの」
ラディオネルが体勢を立て直しながら仕留めきれず不満そうに貶すと、サファイアはそれをあしらうように答える。サファイアはその間もラディオネルに勝つ方法を模索する。
(顔以外は完璧にプレートで覆われてる……突き入れる隙間もないし、どうしようかな……そうだ)
サファイアはスッと剣を下ろし、下に構える。そしてラディオネルの方を向いたまま、リングの中央に陣取り、とんとんと軽くステップを踏む。
「スピード勝負しましょ?」
「……何を。速さなら勝てるとでも? 構わんがいくら速さがあろうと、その鈍でこの鎧を突き破ることはできん」
「痛いこと突かないでよ、今対策考えてるんだから」
「考える暇など与えん!」
ラディオネルが勢い良く飛び出し、サファイアに斬りかかる。サファイアは既のところで後ろに大きく飛び、横凪ぎをかわす。すぐに盾を前面にラディオネルが追い討ちをかけるが、最初の突進で学習したサファイアは十分に間合いをとり右側……盾の方へ旋回する。ラディオネルは急停止して、サファイアを追い詰めようとするが、サファイアは軽々しいステップでラディオネルを煽るように、時には背を向けて逃げ回り、追いかけっこをはじめた。
「ぬうう! それでも戦士か貴様、戦え!!」
いい加減しびれを切らしたラディオネルが怒りのまま声を荒げると、サファイアは向き直り、両足を地に着け、剣を両手でしっかりと持つ。
「だったら力比べもしようじゃないの、かかってこい雑魚!!」
「雑魚は貴様だ!!」
大きく剣を降り下ろすラディオネルとそれを待ち構えるサファイア。
ガギン! という鈍い音と共に二人の剣身の根元がぶつかり、ギチギチと擦り合う。
「ぬうう……!」
「んにぐぐ……負っ……けるか……っ……!!」
押し潰さんとする勢いのラディオネルと歯を食い縛って押し返そうとするサファイア。武具の重さ、体重、筋力量、すべての要素でラディオネルにかなわない。次第にじりじりと押し返され、それでも膝をついて弓なりに踏ん張る。
「く……くうぅうっ……!!」
「私を雑魚呼ばわりしたこと、その身をもって……」
「喰らえ下民パンチ!!」
サファイアは左素手でラディオネルの頬めがけて殴りかかる。剣を握っていた手は右手だけ。左手は一撃を受けてすぐにグローブを残してすっぽ抜き、死角で殴る準備を整えていた。サファイアは最初から隙を見てラディオネルを殴るつもりだったのだ。
「っ!?」
ラディオネルはとっさに顔を反らせて拳を躱す。サファイアの奇襲はラディオネルの顎を横から掠めて空を切った。仰け反った隙をついてサファイアは後ろに転がってから起き上がる。ラディオネルはまだ体制を立て直していない。
「いってて……素手で殴るのはさすがにじんじんするなぁ……まともに当たんなかったし……どうしよ……」
中指の付け根の関節がズキズキと鈍い悲鳴を上げる。荒い息を整えながらグローブを嵌め直し、ラディオネルを見やると、ラディオネルはまだ立ち上がっていなかった。よく観察すると、立とうとするがすぐにしゃがみこんでいる。審判はラディオネルを見ながらカウントをしているが、自分の時と違ってひどくゆっくりカウントしているように感じた。貴族への配慮なのだろうか? サファイアは不満を抱きながらも、いつでも動けるように細かく服や持ち手を正し、息を整え、万全の体勢を保とうとする。
「……し、勝者……サファイア選手!!」
「……へ?」
準備を整え終えた頃には、カウントが終わっていた。サファイアはリーグを全勝。初めてのトーナメント進出を決めた。