003 初めては優しくしてほしい
「ぬわーーーーっっ!!」
入浴から戻ってきたサファイアは、テーブルの上に並んだ料理を見るなり目を輝かせて雄叫びをあげた。誕生日だった昨日とは全く違う、豪華なおかずが山ほど置かれている。先に食卓についたファナはピシッと姿勢を正して、よだれを飲み込みながら、サファイアが戻って来るのを料理から目を離さずじっと待っていた。
「うるせぇな、静かにしろ。さっさと座って冷めないうちに早く食え」
「たくさん食べてくださいね、おかわりもいっぱいありますから」
キッチンに立ち、エプロン姿で次々と料理を作り並べていく少女はアムニス。アルフの使い魔なのだという。淡褐色の肌、少し尖った耳、薄紫色の髪に桃色に妖しく光る瞳。胸は4人の中で1番大きい。ダークエルフのようないでたちではいるが、時折覗く八重歯が、人とは異なる存在であることを漂わせる。
「わーい! いただきまーす!」
黄金色に輝くとろとろのオムレツをスプーンですくいあげ、口へ運ぶ。味わうように口の中に広げると、この世のものとは思えない美味しさががサファイアの脳を支配する。
「んぐっ……お、おいぢい……こんなの、初めて食べた……!」
だばだばと涙を流しながら食べ進める。アムニスは笑って、ありがとうございますと軽く頭を下げて礼をする。ファナもあまりの美味しさに泣きながらおいしくておいしくて震えていた。
ルークは別室でティリーナに今日の出来事を説明していた。突拍子もない事態に戸惑ってはいたが、食費や、備品の補充費はアルフの金で半年は担保される、アムニスは毎日料理や掃除をするという話を持ちかけられ、口では渋々承諾しながら、心の中で快諾した。
しかし、ファナのトレーニング委託については丁重に断った。ティリーナはルークよりもファナへのトレーニングメニューについて自信があったからだ。表向きはサファイアのトレーニングに専念させ、先に優勝を狙ってほしいと話した。一緒に訓練できないことで、サファイアは残念そうにしていた。
ルークとティリーナはその後すぐに食卓へと戻り、6人みんなで温かいご飯を食べた。昨日までのどんよりとした雰囲気とは違う、明るい笑い声が寄宿舎から漏れていた。
サファイアが寝室に戻ると、ベッドシーツはふかふかになっていた。とても美味しい料理と、寝心地のよいベッド。サファイアはとても幸せな気分に浸っていた。
......
「……これを着て走るの?」
翌朝、目の前にどさりと置かれたレザーアーマーを見ながら、サファイアはアルフに尋ねる。日が登りかけ、群青色の空が星をまだ湛えている。甘めのパンと暖かいミルクを朝食にとり、楽なランニングが今日も始まると元気よく公園まで赴いたのだが。
「訓練だからな。昨日と同じ速度で走って帰ってこい」
突然の重量増加にサファイアは戸惑いながらも、昨日はゆっくり走ってよかったと心の中で安堵しつつ、言われた通りレザーアーマーを身に付けていく。革で薄い木を包んでいるため、少々重みがある。自分の体の重さが3割増し程度に感じたが、着てみては意外と走れる気もした。
腰から下、膝やアキレス腱を中心に念入りに伸ばす。運動前のストレッチは大怪我の防止に非常に役立つ。
「本当にどうしようもなく走れなくなったら歩け。絶対に立ち止まるなよ」
はーいと返事すると、とんとんとその場で軽くステップを踏み、走るイメージをする。よし、大丈夫と思い聞かせ、サファイアはゆっくりスタートを切った。アルフはサファイアが見えなくなるまでその姿を追った。アムニスは寄宿舎で朝食を作っている。ルーク、ティリーナ、ファナの3人はまだ寝ていた。
......
はーっ、はーっ、っと大きく肩で息をしながら、サファイアはレザーアーマーを外し、芝生の上に脱ぎ捨てる。走り終わって戻ってきたのだが、突然の重量増は意外と負担が大きく、長期間の運動になるにつれ疲労度は飛躍的に増加するようだった。歩くのはどうしようもなくなったらという話だったが、走ってるうちに4回ほどどうしようもなくなったため、30分も遅くなってしまった。
「今日は2時間かかったな、お疲れさん。少しずつ歩く距離を少なくして、90分に近づけていくぞ」
もーやだー、と息はそのままに大の字に芝生に上に寝転がる。汗まみれのシャツは肌を薄く透けさせていた。そよ風が肌をくすぐり、汗を攫っていく。ひんやりした土の匂いに、心も体も熱が冷めていく。アルフは汗を拭くようにと大きめのタオルをサファイアの上に投げ掛ける。
「ねぇ、まだルーク来ないの?」
「まだ来てないよ。薄情な奴だな」
仰向けで目を閉じながら、ルークの事を尋ねる。アルフの答えに、ちぇーと不満を口にして、冷めていく体の心地よさに身をゆだねた。
「休むのもいいが、明日地獄を見たくなかったら足のマッサージもしておけよ」
アルフの助言に、あとでやるーと答え、サファイアはまず息を整えることに集中した。
......
「次は素振りだ。昨日も言った通り、振った剣は剣先を目の前にして止めること。爪先は前を向かせて、後ろ足に重心をかけて踵を浮かせるんだ。100回数えてから1分休憩する」
サファイアは教わった通りに構えると、いち、に、と数えながら素振りを始める。しばらくすると、あくびをしながらルークがやって来た。
「……昨日と同じことやってるのか?」
「そうだ。体が自然とその形になるまで続けるんだよ」
ふ~ん、と気のない返事をしてルークはその場に座り、ぼーっとサファイアを眺める。昨日よりもやる気に満ちているようで、真剣な目で前を向いて、訓練に集中しているように見えた。一方ルークは寝起きだからか、あまり気を張っていない。朝食をとって、のんびりと公園にやってきたようだ。
「やる気がないなら帰ってていいぞ」
「無い訳じゃねぇよ、寝坊したのは悪かったけど」
「だったらもうちょっと近くで見てやれ。お前だってトレーナーなんだぞ」
「はいはい……」
話してるうちに、サファイアは最初の100回の素振りを終える。両手をぷらぷらとほぐすサファイアに、アルフはほぐしかたの手引きをする。ルークはそれを黙ってみていた。普段言われないような叱責に、ルークの頭の中は少し靄がかかった。
......
素振り100回を10セット、合計1000回こなした頃には、日が昼を伝えようとしていた。サファイアが15分の休憩をとる間、アルフは次の訓練の準備をする。大人3人分の間隔をあけ、6本の木の杖を円のように突き立てる。6本とも先に透明な水晶玉が飾られている。杖の1つに手を触れると、水晶玉が青く光る。その杖にもう一度触れると、すぐさま他の杖の水晶玉が光った。
「これは?」
「触れるたびに他の杖がランダムで光る仕掛けを込めた杖だ。青く光ったやつに手を触れると、他のどれかが青く光るようになっている」
サファイアはそれを聞いて青く光る杖に触れてみると、ぽうっと話の通り青い光が他の杖に移る。
「5分の間に青い杖に触れられる回数をどんどん増やしていく。目標は300回以上。最初はそうだな、150回を目指してみろ」
「なんか結構楽しそうだし、簡単かも」
サファイアは心の中でにんまりと笑い、レザーアーマーを脱いで身軽になった体をピョンピョンと弾ませて円の中央へスタンバイする。今現在青く光る杖の方を向いて、準備万端だ。
「んじゃいくぞ、……はじめ!」
ぽん、とアルフは青く光る杖にタッチする。それに触れる予定でいたサファイアは出鼻を挫かれ、大慌てで他に光った杖を探す。真後ろで光っている杖にはすぐには気づけない。
「後ろだ後ろ!」
アルフが声をかけるとサファイアは振り向き、そのままの姿勢で手を伸ばし、足を自分の足に引っ掻けてその場に転ぶ。芝生の上に鼻を打ち付けつつも手を伸ばし、杖にタッチする。右2つ隣の杖が光る。サファイアは起き上がり、よたよたと杖に向かいタッチ。最初以外は転びこそしなかったものの、この訓練が終わるまで終始足取りはおぼつかなかった。
「……83回。お前やる気ないだろ」
芝生の上にうつ伏せで荒く息をあげるサファイアに、アルフは冷たく言う。
「こ、こんなきっついなんてぇ…聞いてないよ……何これ……しんどすぎるぅ……」
残り1分のところで、サファイアは体力の限界でギブアップし、その場に倒れたのだった。
「はぁ……こういうのは苦手なのか。150回タッチできるようになるまで毎日やるからそのつもりでいろ」
「そ、そんなぁ~……」
「んじゃ、今日の訓練はこれで終わりだから、あとは自由にしていいぞ。お疲れさん」
「え、やったっ!」
終わりの一言でサファイアは元気よく起き上がると、いそいそと帰り支度を始める。まだ全然元気じゃないか……と呆れるルークに、アルフは笑って、いいんだよあれで、と返した。トレーニングには心と体の休養も大切だとして、可能な限り昼過ぎまでにはメニューを終わらせ、自由時間を作るのが理想的だと説いた。
少し街中を散歩と買い物をしてから寄宿舎に帰ると、部屋の中は見違えるほどに清潔になっていた。埃は奇麗さっぱりなくなり、備品や家具も光沢が出るほどに磨かれている。存在しないように感じるほど磨かれた窓ガラスからは明るい日が差し込んでいる。サファイア達がトレーニングを行っている間に、アムニスが掃除したのだという。ルークとサファイアは部屋の様子を見て、おおーっと感嘆の声をあげた。
「すごいねアムニス。料理も掃除も完璧にこなせちゃうんだ!」
「これくらいしかできることはないので……。今日もトレーニングお疲れさまでした。すぐに食事の支度を終わらせますね」
褒められて少し照れながらも嬉しそうにして、エプロンを付け、腕まくりをするアムニス。既に下ごしらえが始まっている素材のいい香りが部屋の中を満たしている。今日の料理もおいしいものになりそうだ。
「アムニスは他にも色々できるんだぞ。絵画、歌、演奏、マッサージ、夜の…」
アルフっ! っとアムニスは恥ずかしそうに声を荒げ、アルフ発言を遮った。
......
「ごちそうさま」
ルークは早めに食事を切り上げると、いそいそと自室に戻ってしまった。それを目で追うサファイアとアムニス、無視するティリーナ、気にしないアルフ、相変わらず泣きながら食べ続けるファナ、反応は様々だ。
「お口に、合わなかったでしょうか?」
「ううん、すっごくおいしいよ。ね、ファナ?」
うーん、と表情を曇らせるアムニスに、サファイアはフォローを入れる。同意を求められたファナはうんうんと頷いた。
「ほっとけほっとけ。男にはああいう時期だってあるもんだ。一発寝れば元通りよ」
アルフは二人に言う。サファイアは、そんなものかなぁと思いながら、食事を再開した。アムニスは少し心配そうに、誰もいなくなったドアの奥を眺めていた。
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