012 もっと強く
「魔物一匹殺せない雑魚に、騎士になる資格なんてないわ」
セラの言葉が、じんわりとサファイアの胸を締め付けていく。締め忘れたカーテンから月光が射し込み、床を青白く照らしている。くしゃくしゃの布団を抱き枕のようにギュっと抱いて、顔をうずめた。
あのあと、森の外でたまと別れ、寄宿舎へ戻りルークとアムニスへ経緯を説明。ひとしきり心配され、怒られた。今日の訓練は無しになった。落ち着きを取り戻した後、魔物に襲われた恐怖が体を支配して……今はベッドの上で、セラの言葉に心をモヤモヤさせていた。
「……倒せてたもん」
ぽそりと呟く。あの時、先手を打たれたとはいえ、魔物には大きな傷を与えることができていた。もし最初から臨戦態勢でいたとしたら……倒せていたかもしれない。そう思うとさらに、セラの言葉が深く締め付けるのだった。
コン、コン
ふいにドアが叩かれる。ドア越しに大丈夫かと問いかける声の主はルークだった。
「何か用事?」
「元気無さそうだったから少し心配でな」
「ルークには関係ないでしょ?」
「おいおい……これでもお前のトレーナーなんだぞ、こっちは」
「そりゃあ、まあ……」
入るぞ、と一言断り、ルークが部屋へ入ってくる。サファイアは窓の方を見たまま寝転がり、ルークに見向きもしない。
「何があったんだ?」
「……」
「言ってみろ」
「……お前みたいな雑魚は、ナイツにはいらないって言われた」
「……そりゃそうだ」
「……否定してよ」
「だって、ナイツの仕事は魔物から人を護ることだぞ」
「えっ……?」
「おいおい、忘れるなよ。ナイツはオドラノエルに向かってくる魔物から、街や人を護るために作られたんだぜ。だったらナイツの役目は人を護ることだろ」
「ん……」
「言っとくけど、お前の本当の敵は大会のリングに上がる戦士じゃないぞ。そいつらさえ勝てない、街の外の魔物だ」
「……でも、今は違うよ? ナイツになってないし、魔物と戦う力もない」
「今はな。でも、遅かれ早かれ魔物達と戦う日々が来る。ナイツは成って終わりじゃないんだ。だったら今から頭の片隅で覚えておいておくべきだ」
「う、うん……」
「いっそ明日の訓練も、アムニスのこと魔物だと思って殺す勢いで挑んでみたらどうだ? 人と戦うことに躊躇してて、魔物相手なら本気で戦えるような状態なら、効果あるかもしれないぞ」
ルークが両手の指を頭の左右に立て、魔物のポーズをとる。サファイアは背中を向けていたので気づかないが。
「アムニスもお前にはやられないだろうし、正真正銘本気で挑んでみろ。人を相手にしてると思わないでな」
「……」
おやすみ、と言い残し、ルークはカーテンを閉めて部屋を去っていった。
(アムニスは……魔物……敵……)
ルークの言葉が頭の中を廻る。そんなこと思ってもみなかったし、思うことも難しい。そのうちうとうととして、サファイアは、寝てしまった。
......
「それで……けほっ、……ん。どうしたんですか突然」
朝食。アムニスは今日から魔物だから、と突然言い出したサファイアの言葉に咽て、スープが口元から飛んでしまった。口を拭きながら訪ねるアムニスに、サファイアは一言ごめんと添え、昨夜のことを話した。
「なるほど、それで私が魔物役に……」
「もうちょっと本気でやれってルークが言うの。私としてはいつだって本気なのにさ……」
「ふふ。人というのは、思ったよりも本気って出していないらしいですよ。自分でこうしよう、ああしようって思ってすることは、実は潜在能力の半分も出せていない。アルフは前にそう言ってました」
「じゃあ、魔物を倒すんだって思っても本気は出せないってこと?」
「自分からイメージするには弱いかもしれませんね。……そうだ、いい考えがあります」
アムニスはにっこり笑う。食事を済ませると、3人はいつものように公園へ赴いた。
......
公園。サファイアは木の鎧を身に着け、アムニスも念のために皮の鎧をメイド服の上から被り、果物ナイフを持つ。試合と同じ間合いを取り、お互い自然体で構えた。ルークが開始の合図を出すため、近寄る。
「いい考えってどういうの?」
「もうすぐ解ります……ちょっと待ってください」
アムニスはちらちらと街並みの一点を気にしている。なんだろう。サファイアが振り向くと、うっすらと濃い煙が揺らめいているように見える。
「火事? 珍しい……いや、あれちょっと待って」
「どうしました?」
「……ちょっと見に行ってくる。寄宿舎かもしれない」
「え、マジかよ……!」
「だめですよ、二人とも見に行っては」
不安そうな顔で駆け始める二人をアムニスは冷たく呼び止める。
「いやだって、ほら……燃えて……」
様子のおかしいアムニスを不安げに見つめる。アムニスは、ニィ……とうすら笑いを浮かべる。
「本気になりたいというので、本気にさせるよう仕掛けました。私に一撃当てられたら、行っていいですよ。5分以内ならまだ、ボヤ程度で済むはずです」
「そんな、アムニス……!」
「私ね、手段は選ばないんですよ。アルフの指示なら、達成するためになんだってするつもりなんで」
「……俺は行くぞ! サファイア、アムニスの事見張ってろ!」
ルークは寄宿舎に駆け始めるが、アムニスは何かをつぶやくと、片手から真っ黒な帯を出し、ルークの両足を絡めとる。ルークは両足を縛られ、その場に転んだ。
「だめって言ったじゃないですか。サファイアも行かせません。こんな状態のルークを置いていくなんて、どうなるか想像がつきますよね?」
「……最低……!」
「本気になりたいと言ったのはあなたです。丁度いい機会じゃないですか。想い出は全部、寄宿舎ごと燃やして奇麗に清算しちゃいましょう。そんなもの、ナイツになれないのならばその先の人生に不要です。ナイツになったとしても、その先の未来に過去の想い出は要りません」
アムニスが言葉を進める間にも、じわじわと黒煙が大きくなる。朝の公園は人もいない。誰かに助けを求めることもできない。火事を止めるには……アムニスに一撃、当てれば、いや―――
「―――黙って」
ギン!
……時が止まる。アムニスの喉元に襲い掛かった剣先を、寸でのところでナイフが止める。が、剣は重く、アムニスは押される。軸足に力を込める。
(……―――危なっ……!)
「っく!」
「らあっ!」
一動揺するが、アムニスはナイフを下げ、剣先をいなし落とす。サファイアは重心を崩されるとそのまま一回りし、勢いをつけて袈裟切り。アムニスはそれを読み、ナイフを思い切り外側へ振り、剣を弾く。
ドッ!
剣先が地面へ斜めに刺さる。剣を離さないよう両手で柄を握りしめ、地面に向かう体を片足が踏ん張り止めると、蹴り上げながら地面を抉るように下段からアムニスめがけて剣を振り上げる。
「せいっ!」
「―――!」
叩きつけるために振り切ったナイフは地面を向き、油断した腕は次の攻撃を迎える姿勢を整えていない。持ち替えは間に合わない。手首を返し、上向きの刃で剣を受け止める。
ギヂッ!
鉄の欠ける音を出し、大振りがナイフの刃を抉る。サファイアは手首を返すとアムニスの太腿めがけて剣を打ち下ろす。
「!」
アムニスはすぐさま剣の軌道から足を引く。そして―――
ドン!
サファイアはそのまま剣を地面に打ち付けながら腕を引き寄せ、アムニスに体当たりする。足を引いたアムニスは片足のままサファイアの体当たりを受け止め、バランスを崩しその場に尻餅をついた。合格――――言いかけた刹那、アムニスの喉をサファイアが両手で思い切り締め上げる。
「あ、がっ……!!」
「許さない……!」
鬼のような顔で喉に指を食い込ませる。アムニスは力なくサファイアの手首をつかみ耐える。
「お、おいサファイアよせって」
「ルーク……だってこいつ、私たちの家を燃やして……!」
足を縛られたルークはサファイアを宥めようとするが、サファイアは怒りが収まらない。
「はい、合格ですよ。サファイア」
サファイアはアムニスに手首を握られ、ものすごい力で離される。先ほどの表情とはうってかわって、涼しげな顔で体を起こし、サファイアの目を見ながらいつものようににこりと笑う。
「あの煙は幻覚です、燃やしてなんかいませんよ」
「えっ……幻覚……?」
サファイアは不安そうに寄宿舎の方を向くと、既に煙は消えていた。人もまばらに見えるが特段火事で騒いでいるようにも見えない。
「手段を選ばなかったとはいえ……まさか3日で私をバランスを崩すことができるなんて思いませんでした。突然スイッチ入るから少しビックリしましたよ?」
「はぁ……なんだよ、そういうことか……脅かしやがって……」
「……」
少し困ったように笑うアムニスと深く呼吸をするルーク。サファイアは頬を膨らませながら顔を真っ赤にして涙目でアムニスを睨み付ける。
「ど、どうしましたサファイア」
「寄宿舎……燃えてると思ったんだもん……全部燃えると思って……」
「ご、ごめんなさいね……」
不貞腐れるサファイアを、アムニスは優しく撫でる。ルークも足の帯がいつの間にか無くなっていて、立つことができた。
「ナイツの本質は、人より強くなることではありません。人のために己を研き、魔物から民を護ること」
「……うん」
「サファイア、あなたは少し遠慮しすぎかもしれません。もっと本気で戦ってもいいんですよ」
アムニスはサファイアの肩を掴み、ぎゅっと力を込めて言い聞かせる。もちろん、相手が死なない程度にと付け加えて。
「動機は人を強くします。誰か、人を想いながら剣を抜いてみてください。例えば……たまさんとか」
「どうして、たま?」
「オドラノエルの外で暮らしている彼女は、あなたの知り合いの中で今最も危険な状態です。早く強くなって、ナイツとなって、さらにもっと高みを目指して……」
「……魔物を根絶、させれば……」
「そう。そしてそれを成すのは誰でもない、あなたです」
「……うん!」
何かをつかんだように、凛とした表情になるサファイアを、アムニスはぽんぽんと優しく撫でた。