010 きたないたま
サファイアはメモを片手にハーブを探す。アムニスからお願いされたハーブは5種類で、そのうち2つはすぐに見つかった。残りの3つは採れるポイントがメモに記されてあり、少し見つけにくいと書いてあった。
「うーん……川沿いの枯れ茂みの奥……川ってもう少し向こうだったような……」
サファイアはオドラノエルの南門の外には殆ど出たことがない。街の付近は比較的安全とはいえ、南から魔物が現れるオドラノエルでは、南方は希に魔物がうろついている場合があり、危険なことには変わらないからだ。とはいっても、多少武術に心得のある人間ならば、そうそう魔物にやられることはない。南門付近に現れる魔物は野うさぎや野ネズミに似た小さめのものばかりで、彼らは大人程度の力を持っていれば簡単に倒すことができる。
南の川沿いも同様で、昼であれば魔物特有の黒い影はすぐにわかるし、今のサファイアなら問題なく対処ができる。サファイアは川沿いに到着すると、すぐさま枯れ茂みを掻き分け、ハーブを探す。
「ヤマブキカワクサ……黄色の葉の小さい草……あ、これだ。これが4つ必要で……ここにー……いち、に、さん……あとひとつ」
サファイアはぶつぶつと独り言を呟きながら、アムニスのお使いを着々と進める。
「あとひとつ……あとひとつなのに……」
付近の枯れ茂みをガサガサと探すが、残りのひとつが見つからない。数分ほど下を向いて探していたがいったん諦め、一息いれるように背をそらせ、んーっと伸びをすると、目の前に薄紅色の髪の女の子がボロい布を着て立っていた。
「山吹川草……これのことじゃろか?」
なんとも言いがたい貧しそうな容姿の少女は、にんまりと笑い、サファイアに草を差し出す。サファイアは突然のことにハーブと少女の顔を見比べながら、差し出された草は受け取っていいものだと解釈し、ありがとうと言いつつも素直に受け取った。
「あ、ありがとう……えーと……だれ?」
「わしの名前はたまじゃ。街の人がこんなところで何してるのじゃ? 薬草探しか?」
たまと名乗る少女には、薄紅色の髪の中からぴょこんと大きな金色の耳が生えていた。その耳はまさに狐のそれで、ぼろ布の間からはよく見ると耳と同じ色の尻尾も生えている。尖った耳ともこもこの尻尾から察するに、狐種のデミヒューマン(亜人間)だろう。
「うん。今日の夕飯に使うからとって来いって言われて。あと2種類で終わりなの。森の方に生えてるみたい。ヨヅユソウとウロゴケっていうんだけど、どこにあるかわかるかな?」
「夕飯に薬草とはなんとも贅沢じゃのう。それなら森の中のあちこちにた~んと生えておるぞ。わしも夕餉を準備せねばならんし、わしの事を手伝ってくれるなら薬草探しを手伝ってやってもよいぞが」
「え、ほんと? ありがとう。それじゃあお願いしようかな」
不思議なしゃべり方をする、たまと名乗る少女……といってもサファイアよりも2、3歳下くらいだろうか。彼女の申し出にサファイアは喜んだ。普段は薬草など見慣れないため、サファイアは探すのに苦労していたが、たまはそれなりに知識があるらしく、心強い。交換条件の夕飯探しは適当に木の実や果実を集めればよいとのことで、サファイアも木の実程度なら見ればすぐわかるので、良い条件だった。
......
「ねえねえ見て見てたま! こんなに集まったよ!」
じゃーん、と様々な木の実を詰め込んだバスケットをたまに見せつける。実際サファイアが食べた事がある木の実の他に、食べれるか良くわからないものも含まれていたが、仕分けは自分がするのでどんどん集めていいと言われたので、片っ端から詰め込んでいた。
「おお~っ、ありがたい。全部食えるからもっと集めてくれ」
にへらと頬を緩ませてたまは笑う。
「これで三日は乗り切れそうじゃの」
「……普段何食べてんの?」
「木の実じゃが?」
「えっ……」
衣服や身なりから、きっと貧しい暮らしをしているのかと思っていたが、想像以上のようだった。深く聞いてはいけない感じがしたので、それ以上は突っ込まないことにした。
「ほれ、夜露草も揃ったし、洞苔もあと2つじゃ」
たまは先に薬草を探してくれていたらしく、30分ほどですぐに見つかった。アムニスのメモには、ウロゴケは緑の残る若いものが良いと書かれている。たまが言うには、古いウロゴケは胞子が大量に飛ぶので食用には向かないかららしい。
「私もウロゴケ見つけないと……あ、これかな」
ウロゴケは名の通り、木の洞の内側に生えているようで、木漏れ日が射し込み姿を見せていた。サファイアはウロゴケをべりっと剥がし、手に取る。使えそうな色をしているか見てみると、手の周りに胞子がぶわっと舞った。
「それは使えなさそうじゃな。もっと他の……っと、危ない、隠れるのじゃ」
たまは急に小声になり、サファイアに警告してそそくさと木の裏に隠れる。たまの視線の先には大人ほどの背丈の、黒みがかった狼のような形の魔物がいた。
「どうしたの?」
「魔物じゃ、あれはほんに危ない。さっさと逃げるぞ」
きょとんとしているサファイアを後ろからグイっと押して逃げるように促す。
「うん、わかっ……っぶしッ」
サファイアはウロゴケの胞子を吸い込みくしゃみをする。
「お、音を立てるな……!」
「ん、うンぶしッ、へァぶしッ、へァぶしッ、へァぶしッ」
サファイアは移動しようとするもくしゃみが止まらず、バスケットを持ったままその場から動けない。魔物はサファイアのくしゃみを聞いて二人の方を向き、唸りながらゆっくりと歩いてくる。魔物が近づいて来るのを見たたまはぎょっとして、サファイアの手を取り森の外に向かって走り出した。サファイアもまだくしゃみが止まらず、よたよたと走り始める。
「はーぶしッ! はーぶしッ! はーぶしッ!」
「さっさと走れー!」
「ガアアアア!!」
二人は森の外に向かって一直線に走り続け、急いで森の外に出た。魔物はいつの間にか居なくなっていた。どうやら縄張りを荒らしたため追い払おうとしただけらしい。
「はあっ……はあっ……こ、怖かったのじゃ……」
「はあ……はーっ……んぁ……」
二人は肩で息をして呼吸を整える。サファイアはくしゃみのせいで顔がぐしょぐしょになっていた。
「ご、ごめんね……私のせいで……」
「気にしなくていいのじゃ。それよりも洞苔が足りんのう……」
「うーん……戻ったらまた襲われそうだし、少ないけど何とかしてもらうよ。うん、大丈夫だと思う」
「それならいいのじゃが……」
少しの間が二人を包む。秋風にさらされた服がひんやりと肌を冷ますと、サファイアははっと思い付いたようにたまに提案した。
「そうだ、今日はうちでご飯食べようよ。美味しいの作ってもらうから」
「それはお前の家族に悪いのではなかろうか?」
「大丈夫、気にしないよ! ほら、一緒にいこいこ!」
サファイアはたまの手を掴みオドラノエルに向けて歩き出す。たまは抵抗虚しくサファイアの家へ連れていかれてしまった。
......
「ただいまー」
「おかえりなさい……あら、その子は?」
サファイアとたまは、オドラノエルの市街地を人目を避けるように歩いて寄宿舎へついた。たまは耳や尻尾が見えると騒ぐ人がいるからと大きめのフードを被り、下を向いてサファイアの足を追いかけた。
サファイアはアムニスにウロゴケが足りないこと、たまと一緒にご飯を食べたいこと、お使いで起きたもろもろを説明した。アムニスは快諾し、まずはシャワーを浴びるよう促した。たまは少し怯えた顔をしていたが、アムニスを人目見て安心したように笑い、ぺこりと挨拶した。
アムニスにハーブを渡すとサファイアとたまは浴場へ向かった。たまが服を脱ぐとやはり頭からは大きな耳が、背骨の終端からは毛の生えた尻尾が生えていた。サファイアが物珍しそうにたまをじっと見やると、たまは恥ずかしそうに体を両手で覆った。たまはひどく痩せていて、おおよそ同年代とはとても言えない貧相な体をしていた。夕飯が木の実だけというくらいだから、とても貧しい暮らしをしているのだろう。
「かゆいところはございませんか?」
「んぉぉ……いい心地じゃ、しっかり頼む」
「はーい」
とても汚れていたのだろう。たまの髪や尻尾の毛はしばらくほとんど泡立たなかった。サファイアはたくさんシャンプーを使った。次にサファイアがたまに洗ってもらった。サファイアはたびたびファナと風呂に入ることがあったが、ファナとは違ってたまの背中流しは少しくすぐったく感じた。
「たまは一人であの辺りで暮らしてるの?」
「今は一人じゃな。婆やが半年くらい前に死んでから、一人で暮らしておる。もっと離れた場所に家があるぞ」
湯舟に深く聞きすぎたとサファイアは、ごめんなさいとたまに謝まり、浴槽に鼻下まで浸かる。
たまは言葉を続けた。元来亜人は、ワービースト(人獣)と人間の子として生まれる。たまの場合は母親が人間で、父親が人獣だった。たまに物心がつく前に、父親は人間を誑し込んだとして人間に殺され、その後すぐに母親は他の人獣たちに殺されたそうだ。たまは集落で唯一残った祖母と、オドラノエルの南側の離れたところで暮らしていたが、祖母もなくなり、今は一人だという。祖母と暮らす時間が長かったため、たまは言葉が少し古くさい。
「人間のこと、嫌いになったりしないの?」
「嫌いというよりは、怖い。それでも、良くしてくれる人間はいるから……こうやって生きていけるのじゃ」
「良くしてくれる人?」
「うむ。お主とかな……もう一人、とても強い殿方がおってな」
あ、私もなんだ……と思いつつ、たまに良くしてくれる人の名前を聞き出そうとしたが、たまは秘密だと教えてはくれなかった。その男は、稀にオドラノエルの南に現れては、食料をくれるのだそうだ。
......
「おかえりなさい。二人とも、食事の準備はできてますよ」
「おおーっ……これは素晴らしい……!」
「たま、一緒に食べよっ」
たまはアムニスの料理を見ると目を輝かせ、黄金色に持ち直した尻尾をスカートの内側でパタパタと震わせた。たまの服はアムニスが洗濯してくれるというのでサファイアの服を着ることにしたのだが、ズボンではどうしても尻尾に合せてズリ下ろさなければならないので、使い古しのワンピースを使ってもらうことにした。
「う、うまい……! こんなにうまい飯は初めて食ったのじゃー!」
たまは餡掛け玉子を一口含むと、尻尾を立たせて叫んだ。アムニスは笑い、ありがとうという。たまは余程空腹だったのか、ガツガツとすごい勢いで料理を平らげていると、しばらくして散歩から戻ったルークが寄宿舎に入ってきた。
「ただいまーっと……ん、なんだよサファイア、ベスメルなんて連れ込んで」
「あー、それ言っちゃいけない言葉なんだよ」
「は?」
ベスメルとはワービーストや亜人の蔑称で、とりわけ獣の耳や翼、尻尾を持った者を指す「獣臭い者」を意味するオドラノエル特有の造語だ。この言葉はオドラノエルで古くから使われていて、オドラノエル出身の住民なら大人から子供まで知っている。ルークは特に差別的な意味合いを持たずに言ったのだが、孤児院で先生にしっかりと教育されたサファイアは、その一言でかなり不機嫌になった。
「はいはいごめんなさいっと」
「ちゃんと反省してる?」
「してるよしてるしてる超してるめっちゃしてる」
「ほんとに?」
「え、えぇっと……なんじゃ、わしのせいかの」
たまはオドラノエルの中に出入りしたことが殆どなく、ベスメルの意味を知らなかったが、二人がなぜ険悪な雰囲気になったのかは自分のせいだと感じて、どうすればいいか必死に考えていた。呆れ、怒り、狼狽える3人をアムニスは慌てて宥め、お互い悪気はないのだとフォローした。
「ってか、いちいち突っかかってくるなよ。言い方は悪かったかもしれないけど、俺はそんなつもりないって」
「悪気がなくてもダメなものはダメ」
「差別だ思い込んでるから俺の言葉もそう聞こえるんだろ? 差別的なのはどっちなんだよ」
「ーーー……!」
ルークの一言でサファイアは言葉に詰まる。少し考えたあと、えっと、それは、とゴニョゴニョ小さく呟き、そのまま黙ってしまった。
ルークは気にせず食事を始めたが、サファイアは居心地が悪くなったのか、そのまま席を立ち、自室へと戻ってしまった。
「名前も知らないのに変な言い方してごめんな、謝る」
「ああいや、いいのじゃよ。その……べす、なんとか? というのも初めて聞いたし、わしらのような者達のこの街での呼び名なのじゃろ」
「まあ、大半の奴は確かに差別的に使う言葉だしな。気を悪くしたならすまない」
「気になどしておらんのじゃ。それよりもサファイアが気がかりじゃの。ちょっと様子を見てくるのじゃ」
たまはアムニスにご馳走さまと礼をして、とてとてと小走りでサファイアの部屋に向かっていった。
「もしもーし、おるかの?」
ドアを開けて部屋を覗くと、サファイアはベッドの縁に座ってうつむいていた。不満そうな悔しそうな顔で床を見つめるサファイアの隣に、たまは何も言わずちょこんと腰かけた。
「ごめんね……なんか、変な事になっちゃって」
「んん、気にするでないぞ……わしは嬉しかったのじゃ。こんな身なりでも分け隔てなく接してくれる人間は滅多におらんからの」
たまを庇うつもりが逆に傷つけてしまったかもしれない。ルークに返され、返す言葉が見つからなくなってしまった。優しい言葉を返してくれるたまが暖かくて、ぎゅっと抱き締めるとそのままベッドに転がった。
「何か私にできることあるかな……このままじゃ収まんないよ、なんていうか……その……心がモヤモヤして」
「あんなに美味い夕餉をご馳走してもらって感謝しておるぞ」
「あれ作ったのはアムニスだし……もっと他のことでなにか……」
「……なら、お言葉にひとつ甘えようかの」
たまは目を閉じると、自らの柔らかい髪ごと頭を両手で抱える
「……形見を森に落としたので探すのを手伝うてくれ」
「……えっ?」
明朝、森へ出発することになった。