001 軋むベッド、今私は生きている
一瞬の出来事だった。喉元へ剣の鞘を突き入れると、男は大きく飛び、場外へ転がる。審判が駆け寄り男の様子を確かめるが、立ち上がることは不可能だと判断し、救護隊を呼ぶ。ラゼルは剣先を天に掲げ、観衆へ勝利を宣言する。ラゼルは大会参加から優勝まで、終始普段の仏頂面を崩さなかった。春の大会、新しい騎士の誕生に、コロシアムは夜まで沸いた。
広大な面積を有するこのローラント王国の南に位置する衛星都市オドラノエルには、中央に大きなコロシアムがある。コロシアムでは毎年四回、季節ごとに最強の戦士を決める決闘大会が開催される。決闘大会は刃物、鈍器、拳、弓矢など体術格闘の力を競う武術部門と、魔法による技術を競う魔道部門の2つに分かれている。
それぞれ最大32ブロックでリーグ戦を行い、各ブロックの成績優秀者がトーナメント戦に出場、6回の戦いを経て優勝者を決める。優勝者は騎士の徽章が与えられ、「ナイツ」と呼ばれるオドラノエルの守衛騎士団に登用される。ナイツはオドラノエルを脅かすモンスターからオドラノエルを守る役務を与えられる代わりに、オドラノエルへの永住権とそれなりの待遇を保証される。毎年4回、2人ずつ、計8名が騎士の徽章を得ることができる。
決闘大会は出生や老若男女を問わず誰でも参加することができるが、エントリーまでの手続きは複雑かつ大量の書類を提出する仕組みになっているため、個人でのエントリーは難しくなっている。しかしオドラノエルには訓練施設と呼ばれる、大会参加希望者の衣食住を丸投げできる寄宿舎があり、施設には訓練やエントリーのサポートを行うトレーナーも存在する。大会参加希望者は訓練施設に入舎して訓練生となることで、オドラノエルでの寝床と大会参加権を容易に手に入れることができる。
訓練施設は大きく3つに分類される。書類選考により毎年数名入舎可能、かつトレーナーや備品類の質、衣食住の待遇も最高級、おまけに入舎費用無しという恵まれた環境の高級訓練施設。待遇やトレーナーも支払える金額次第となるが、入舎制限のない民間訓練施設。トレーナーも非常に低レベルな上に環境も劣悪だが費用の負担が発生しない公共訓練施設。オドラノエル出身の訓練生は、大半が公共訓練施設に所属している。
騎士となりナイツに登用されることで、充分な暮らしをすることができる程度の賃金がオドラノエル自治体から支払われる上に、5年おきに行われる「大遠征」から無事帰ってくることで、ローラント王国直属の騎士「テンプルナイツ」となることができる。テンプルナイツはナイツと比較にならないほどの権力や金が手に入るため、騎士の徽章を得ようと国外の民や各地の貴族などがこぞって施設入りし、毎年コロシアムで熱い戦いを繰り広げている。
オドラノエルの中心産業はコロシアムである。大会では各国から多くの観光客が押し寄せ、勝利者の予想と賭け事に盛り上がる。オドラノエルの街の中央にあるコロシアム周辺には観光客向けの食事処や商店が立ち並び、その周囲には訓練生が居住するための寄宿舎、武器や防具などの備品を扱う雑貨店、怪我人を手当てするための診療所が存在する。そのさらに外の市街地から少し離れれば、賭博場や花売り街のような夜の顔の店もある。とりわけ遊女達が集う店は盛んであり活気に満ち溢れているが、そのために起こる問題も後を絶たない。夜遊びによって生まれた子供は戸籍を持たず、捨てられるか孤児院に拾われる。孤児達は10歳を過ぎれば公共訓練施設に入舎させられるか、奴隷として身売りするかの二択を強制的に迫られる。公共訓練施設に入舎したとしても、騎士となれる前に17歳になれば、自治体により訓練生の資格をはく奪され、奴隷として売り飛ばされる。売られた人間は人としての尊厳を否定された生活を余儀なくされる。
そんな街の東の外れにある公共訓練施設の寄宿舎の中では、反省会と言う名の話し合いが行われていた。
「今回は、ファナがこの剣に慣れてなかったのが敗因だと思うの。もう少し早めに出会っていたら、絶対結果は違っていたわね」
赤茶色の髪を背まで伸ばした女が、淡い緑の髪の、ファナと呼ばれた少女の方を向きながら、春大会の反省を述べる。ファナは無言で自分の両手を見ている。白く細くボロボロの指、手のひらには少なくない血豆。大会前から手は痛みに襲われてるのを、ファナは言わなかった。
「あのなあ……こんな重い剣、大会までに使いこなせるようにするなんて無理だって、何度も言っただろ? 買ってから3日目だぞ3日目」
女の発言を聞いて呆れたように頭を抱えるのは、黒髪の青年。歳は女と同じくらいだろうか。彼の名前はルーク。この公共訓練施設で赤茶の髪の女、ティリーナと共にトレーナーをしている。二人が受け持つ訓練生はたったの2人。ファナと、その隣で明後日の方向をぼうっと眺めている青髪の少女、サファイア。ティリーナがファナの、ルークがサファイアの専属トレーナーだ。
「俺はサファイアが負けたのは、訓練不足が原因だと思うね。まだ足りない。サファイアは全然やる気ないし、もっと気合い入れて訓練しないと」
その発言を耳にしてて、サファイアは複雑な顔をする。ティリーナはイラつきを隠さずにルークに詰め寄る。
「あんたさぁ、訓練訓練訓練って、反省会で毎回それしか言わないけど、サファイアに何が足りないのか把握してるの? 訓練メニューをもっとしっかり組んでおけばこんな結果にはならないと思うんだけど」
ティリーナの反論を聞いて、はぁ? とルークもティリーナに詰め寄る。この二人はいつもそうだった。大会のあとは反省会でお互いの欠点を突き合って喧嘩をするのだ。
「もー……やめてよ二人とも……次は頑張ろう。ね?」
サファイアは困ったように二人をなだめる。普段はこのようにサファイアが二人を落ち着かせて、反省会は終わるのだが。
「お前も次は次は…って毎回言うけどな、あと何回もないんだぞ? お前もう14歳だろ。17歳になる前に優勝しないと、奴隷行きが確定するんだぞ。もう少し危機感をな……」
「この子が勝てないのはあんたの責任でしょ!?」
「お前だってファナの事はいいのかよ! 大会前にコロコロ言う事変えて変な武器で出場させやがって! こいつだってサファイアと同い年なんだぞ!」
サファイアの一言で、今回は余計に盛り上がってしまった。今日はサファイアの誕生日であり、そろそろ将来を考えなければならない……そんな空気が3人を焦らせていた。ファナは二人の怒鳴り声に、困ったように耳を塞いでいた。
あれから一時間ほど経った。ルークとティリーナが殴り合いの喧嘩を始めそうになったため、さすがにサファイアとファナは二人を止めた。4人で無言のまま、いつも通りの貧しい食事を済ませ、ベッドに入った。誕生日だと言うのに、何をしているんだろうか。サファイアは泣きたくなったけど、涙は出なかった。
公共訓練施設のトレーナーは、原則では2人以上の訓練生をコーチングする決まりとなっている。ルークとティリーナは各々1人ずつ、サファイアとファナを受け持っているので、お互い1人足りない。訓練生が1人しかいないトレーナーは、自治体から給付される賃金が半分になる。生活なぞ出来たものではない。反面訓練生は、1人分の生活は出来る程度の配給は受けられる。つまりこの寄宿舎は住人が4人に対して、賃金は3人分しか貰えない。この三人分の金をやりくりして、4人は何とか生活している状況なのだが。ティリーナがファナのためにと、勝手に骨董屋から古びた剣を買ってきてしまったため、食事はギリギリになり、訓練や大会で消耗した備品の修復や衣類の調達はもちろん、風邪薬すら手に入らないほど家計は逼迫していた。
孤児院あがりのサファイアは誕生日プレゼントなど生まれてから貰ったことはなく、訓練生となってからもそれは同じだった。おかーさんせんせいがクッキーを焼いて振舞ってくれた分、孤児院時代のほうが、誕生日は暖かかった。
翌朝、サファイアは後々の1日遅れの誕生日プレゼントをもらえる事を、まだ知らなかった。