表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
今宵、彼を待つものは  作者: 藤白さな
2/3

瞳に映るものは

──(ヌエ)




頭は猿、胴は狸、手足は虎、尾は蛇だとされる。

雷獣であり、鵺が訪れた屋敷の主は必ず不幸に遇うという。




──ヒュオウ、ヒュウルリ……




木枯らしにも似た音が内裏に響き渡っている。

聞こえるのは決まって(うしとら) (午前2時~6時)の刻。

朝陽がゆるゆると舞い込む頃にはピタリと鳴り止む。


初めは皆、気にも留めていなかったが、もう一月(ひとつき)にもなる。

風の吹かない夜にも音は聞こえた。

そのうちふと誰かが口にした。




『これは鵺に違いない。

主上(おかみ)に災いをもたらしに来たのだ』




それ以来、内裏ではまことしめやかに噂が流れている。

勿論、帝の耳にも。

夕暮れ時、庭に男童(おのわらわ)の涼やかな声が響いた。




「晴明様、主上がお呼びでございます」




円座(わろうざ)を枕に、庭に背を向けたまま晴明は呟く。

顔を向ける事すら面倒臭いとでも言うように。




「どうせ鵺の事だろう?

すぐに伺うと伝えろ。

帝も気の小さい……。

気にせねば良いのになぁ?」




晴明の声が届いていないのか、猫は構わず毛繕いを続けている。



「お前は気楽で良いな」




猫の喉を一撫でし、緩んでいた袍を締め直した。

いつの間にか男童は姿を消し、代わりに網代車(あじろぐるま)がひとりでに動き出していた。

車が土御門(つちみかど)の辻を曲がった頃には、辺りは夕闇に包まれ始めていた。


今宵も人々は噂をしあう。

人の不幸ほど愉しいものはないのだから。


清涼殿に進み入った晴明は好奇の眼差し、囁き合う声、それら全てに一瞥をくれ、(ひさし)に腰を据えた。

御簾の内から声が聞こえる。

平静を装ってはいるが、酷く怯えた声だった。




「……良く来てくれたな。

わざわざすまぬが聡いそなたの事だ。

用件はわかっておるな?」




「勿論でございます。

剛の弓の使い手を一人、お願いしたいのですが」




帝はすぐさま使いを兵衛府(ひょうえふ)にやり、男がやって来た。

年の頃は晴明よりいくらか上だろうか。

引き締まった体つきと、異様に長い左手が弓の腕を物語っている。

柔らかに笑うその男は源満仲(みなもとのみつなか)と言った。

父は元々皇族であった経基王(つねもとおう)だと言う。

彼はそんな事を鼻にもかけず、臣下に下ったのだからな、と一笑した。




清涼殿から離れながら彼は話し続けた。

どうやら話好きな男らしい。




闇が深まり、月明かりが一際強く射した頃、満仲の顔付きが変わった。

口許の笑みは消え、漆黒の瞳は冷酷さのみを称えていた。

不気味な風音が通り抜けるも肌を撫でるものは何もない。




「……来たな」




「……見えるのか?」




「……気配は感じるが見えぬ。

だから主上に頼み、そなたを呼んだのだ」




音がうねる。

先程までやかましげに啼いていた(ふくろう)も身を潜めてしまった。



「ふむ。

では俺はお前の目になろう」




晴明はスッと満仲の瞼に指をあて、呪を描いた。

満仲の双眸(そうぼう)に微かな光が吸い込まれた。




「……何をした?」




「後は頑張れよ。

俺は後ろで見ている」




晴明はゆるやかに口角を上げた。




「随分やる気のない陰陽師だな」




満仲は豪快な笑い声を上げ、ぐるりと白砂の上に広がる夜空を睨んだ。

蒼白の月は紅く染まり、黒い影を映していた。

その影は言い伝えそのものの姿。


満仲は鵺目掛け、弓を引いた。

矢が当たる。

瞬間、それがぐにゃりと歪んだ。



蛇の尾は縮まり、輝く金と黒の豊かな毛並みは艶やかな肌へと変わっていく。

猿だったはずのその顔は、美しい女の顔になっていた。

女は音もなく白砂の上に立つ。




『……やっとお会いできましたね。

経基様……』




頭に直接流れ込む不思議な声。

言語を話しているのではないのかも知れない。

意識の奥で理解している、そんな感覚だった。


体に褐色の月明かりのみ纏い、近付いてくる女に満仲は矢を射る事も忘れ、ただ立ち尽くしている。

晴明は舌を鳴らし、小さな紙を吹いた。

紙は宙を舞い、獅子へと変わる。

咆哮が空を裂く。




『……なぜ……邪魔をするの?

私は……、

私はただ、愛しい人に会いに来ただけなのに……』




退きながら女は語りかけてくる。




「そんなもの、知ったことか。

お前を滅すのが俺の仕事だ」




一瞥すると獅子が爪を立て、女に飛びかかる。

鮮血が飛び散り、白いしなやかな四肢が引き千切られる。

けれどもまだ声は続く。




『あなたは、私達の仲間なのに……。

ねぇ、狐の坊や……?』




晴明の瞳が揺らいだ。

途端に獅子の動きが止まり、しに体がぐんぐん縮まり元の紙へと戻った。

静けさが内裏に訪れる。




──ヒュル……




音と共に小さな鳥が月に消え、白砂に散らばったはずの血も、肉も跡形もなくなっていた。




「あれはなんなのだ………」




放心したように満仲が呟く。


無理もない。

鵺の形を彩ったものが女体に変化し、父の名を呼んだのだから。




「……人間だ。

いや、既に半分喰われているか」




晴明にいつもの皮肉めいた笑みはない。

足元で青い炎をあげる紙を踏みにじり、内裏を後にし、神泉苑(しんせんえん)へと向かった。

このとき、平静ではない晴明は気付かなかった。

もう一つ、網代車が音を潜め、後をつけていたことを。


夜の神泉苑は暗く水を張ったように静かで、物音一つしない。

砂利の音のみがやたらに響いていた。


柳下に灯りが仄かにともっている。

晴明がそちらに目を向けた瞬間突風が耳を裂いた。




「お前、なぜわかった?」




滴る血を意にも介さず尋ねる。

仄かな灯りはゆらめき、女へと姿を変えた。




『あなたらしくない問いね。

……だって、輝きがちがうもの。

神々しくも禍々しい白銀の煌めき。

半妖の中でもとびきり美しいわ』




音もなく女が近付き、晴明の白い頬に指を這わせた。




『母君は……お元気なのかしら?』




「答える道理はない」




『……そう。

でもあなたにも人の恋路を邪魔する道理はないわ』




晴明はゆっくりと目を閉じ、指を揃え唇に当てる。

空気が騒ぐ。

風に吹かれ鈴の音が響き、後ろの茂みでガサリと音がした。




綻ぶ呪。

茂みには、へたりこむ兼家と猫がいた。




「兼家……お前、そこで何しているんだ」




いつもなら僅かな気配も見落とさないはずなのに……。

不覚。

晴明が護りの呪を掛けるより早く、女は兼家の口から中へと入っていってしまった。


猫はただ、見ていた。

まるで絵巻物でも見ているかのように。

以来、内裏に鵺が出る事はなくなった。




次に兼家が目覚めた時、世界が変わっていた。

体の端々から熱がほとばしる。

まるで己が覇者になったような心持ちになった。


たちまち兼家の噂が内裏に広まった。

魂が入れ替わったかのように切れ者になった、先が楽しみだ、と。


そんな兼家を晴明は眺めていた。

少し悲しそうな瞳で。


だが見ているだけで、何もしない。

変わりゆく友人を見ても。


遠くに兼家を見ているとき、不意に肩を掴まれた。




「お前にしては、大失態だな」




ニヤニヤ笑う光栄の手を振り払う事なく、晴明は呟いた。




「あぁ……、一生の不覚だ。

祓えるとすれば、ヤツが自分の意思で体を離れた時くらいだな。

……後は流れに任せるさ」




「兼家ごと、滅すれば良いじゃないか」




「猫が傍観した。

俺はそれに倣うだけだ。

……流れには逆らわないのが俺の主義なもんでね」




薄く笑みを浮かべると、晴明は足音もなく廊下の先に姿を消した。




兼家の高笑いが響く。

妖に怯えていた彼は、もういない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ