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今宵、彼を待つものは  作者: 藤白さな
1/3

彼の呪は密やかに






──チリン、チリリン




朧月夜の中、朱雀大路(すざくおおじ)を黒猫が横切る。

ゆったりと、気儘(きまま)に。

猫という生き物は特定の何者かに懐く事はない。

ただ気まぐれに主人を決める。




──安倍晴明




この男もまた、猫のようであった。

主人に特別な執着がある訳ではなく、己の気の向くままに仕えた。

彼は幼い頃から(あやかし)が見えたという。

そんな時、彼は指を唇に当てた。

妖に気付かれぬように。


その癖は今でも変わらない。

変わったのはそれが(しゅ)を唱える時だと言うことだった。


唇に指を二本揃えて当て、吐息のようにただ一言、呪を唱える。

ともすれば見逃してしまいそうな程静かに。

この時代、独特な風習がいくつもあった。


その内の一つが、




──庚申(こうしん)の夜




その日に眠ると、体内の三尸(さんし)と言う蟲がその人の罪を天に伝え、命が縮まるとされていた。

だからその夜は、皆眠らない。

晴明もまた、例外ではなかった。





「お出かけですか?」




緩やかに(ほう)(まと)う主人を見て、下女(げじょ)が尋ねた。




「あぁ、ここにいても暇だからな。

ちょっとからかいに行ってくる」




フフ、と笑みを浮かべ、軽やかに(きざはし)を下った。




「あ、御車は」




「そんなの、いるものか」




耳を澄ましながら内裏(だいり)に向かって歩く。

あちらこちらから和琴(わごん)(しょう)の音が聞こえる。

日付もとうに変わり、普段ならば静まり返っているはずなのに。




──チリン




近くで音がした。

元を辿ると小さな黒猫がいた。

体の割に顔つきは大人びていて、両の眼は片方が銀、もう一つは紅に煌めいていた。

毛並みは濡れたように艶やかで、首には赤い紐で鈴がくくり付けられている。





「お前、飼い猫か。

……おいで」




舌を軽く鳴らし、手招きする。

猫は、ゆったりとした足取りで晴明の手に触れた。


瞳が、ゆらめいた。




「……ふぅん、今宵は不思議なものに出会うものだな。

お前、いくつ御世を渡り歩いてきた?」




リン、と鈴が鳴る。

そのまま猫はピタリと肩にすりより、離れなくなった。

晴明は気にする事なくまた歩を進め始める。

だがさすがに内裏に猫は持ち込めない。

晴明はふ、と猫に息を吹きかけ、そのまま門をくぐった。


内裏は暇を持て余した公卿で溢れていた。

皆、眠りに落ちないように必死に言葉を紡ぐ。

その中でも一際明るく、若い声がする部屋へと顔を出した。




「ーーーおう、皆いるのか?

お前ら揃って暇人だな」




晴明は場にいるある男に目を止め、軽く舌を鳴らした。




「何だ、お前と兼家の二人だけか」




「来てちゃ悪いのか?」




酷く不機嫌そうに男が睨み返す。

この男の名は、




──賀茂光栄(かものみつよし)




晴明の師、賀茂保憲(かものやすのり)の息子で、同じく陰陽師である。

光栄はふと、晴明の肩に留まる猫に目を止めた。

もう一人は猫には気付かない。


唇が何か言いかけて、やめた。

代わりに薄く笑みを浮かべ、晴明も笑いで返した。




「晴明、良いところに来たな。

俺達暇してたのだ。

何か一つ、術でも見せてくれ」




「そんなもの、そこにいる光栄に頼めば良いだろう?」





「アイツは頼んだって見せてくれない」




「もう見てるじゃねぇか」




光栄の笑いに応えるように、猫が一啼きした。

辺りを見回し、兼家は首を傾げる。




「……なんだ?

どこもおかしな所などないではないか」




まだしきりに辺りを見渡す兼家を見て、晴明は笑い出してしまった。





「ハハハッ、お前は余程鈍いんだな。

良いぞ、一つ簡単なものを見せてやるよ」




少し腑に落ちない顔を見せたが、兼家は目を輝かせた。




「どんなものだ?」




「まぁ、見てろ」




晴明は庭に降り、(ひき) (ひきがえる)を捕まえてきた。

掌に余る程の大きな蟇が低い唸りを上げて啼いている。



「……なんだ?

蟇をどうすると言うのだ?

なんて事はない、ただの蟇ではないか」




訝しげに蟇をつつく。

ゲコ、と喉を鳴らし蟇が兼家の指先に食い付き、慌てて手を引っ込めた。




「こうするんだ」




晴明は小さな葉を口に当て、唇を微かに動かした。

葉はふ、と吹かれるとひらひらと蟇の頭上に舞い落ち、触れた瞬間、弾ける音がした。

音と共に姿を消した蟇に兼家は驚き、腰を抜かしそうになっていた。




「……晴明ッ!

いくら蟇とは言え、俺は無益な殺生を頼んだ訳ではないぞ……?」




クックッと晴明は笑いを堪えている。




「なっ……何がおかしいのだ?」




「よく見ろ。

俺は蟇を殺した訳ではない」




その言葉に床の上をもう一度見た兼家は安堵の息をもらした。

そこに、小さな蝌蚪(かと) (おたまじゃくし)がもがき、跳ね回っていた。



「蝌蚪はここでは生きられんな。

兼家、池に返してきてくれ」




「……お、おう」




跳ね回る蝌蚪を手で掬い、兼家は裸足で庭に降りた。

光栄は腹を抱え笑い転げている。




「兼家の顔ったらないな!

あいつは実にからかいがいのある男だ」




「まだもう一つ残ってるだろ?

今宵は大盤振る舞いだ」




晴明は肩から猫を降ろし、その顎を撫でた。




「晴明、戻してきたぞ。

ところであの蝌蚪はまた蟇に成長するのか?」




「するさ。

蝌蚪が蟇になるのは当たり前の事だろう」




ふむ、と兼家が顎を撫で、何かを考えた。




「……兼家、お前良からぬ事を考えているだろう?

そんな事を考えていると罰が下るぞ」




言い終わらない内に、兼家の烏帽子は遠く飛ばされ、(もとどり)がほどけた。

ばらりと髪が落ちるのを、兼家は蟇のように顔をひきつらせて見た。

顔は青ざめ、体は震える。




「せせせっ……晴明、

これは……!?

これは何の怨霊なのだッ……!?」



兼家は慌てふためき必死に手が空を切るが、尚も髪はふり乱れ、頬には赤く筋が浮かんできた。

光栄は再び転げ回り、晴明は(たもと)で口許を覆って笑いを噛み殺している。




その内兼家が目にうっすらと涙をため、請うてきた。

さすがにからかい過ぎたか、と晴明は苦笑し、息を兼家に向けて吹いた。



「もうその辺にしておけ」




声とともにザラリとした感触が頬を撫でる。




「……猫……か?

こんなもの、いままでどこにいたのだ……?」




さっきまでうっすらと浮かんでいた涙は身を潜め、呆気にとられたように兼家が呟いた。




「お前の側にずっといたさ。

それよりも早く髻を直せ、見てるこちらがが恥ずかしい」




フフ、と笑われて兼家は初めてはめられた事に気付き、今度は顔を赤く染めて猫を睨んだ。

猫は構わず兼家の袍で爪を研いでいる。



「お前の暇つぶしに付き合ってやったんだよ。

楽しかったろう?」




「お前らはな。

俺はちっとも楽しくない!」




髪を撫で付けながら兼家は鼻息も荒く、口を尖らせていると猫がすり寄ってきた。

先程まで全く無関心だったのに機嫌をとるように。



じっと猫を見た後、兼家は猫を抱き上げ、鼻を寄せて笑った。




「お前はとんだ悪戯(いたずら)猫だな?」




怒っていたかと思えば、もう笑っている。

この純朴な青年の名は、




──藤原兼家




家柄は良いが、特に目立つ事もなくお人好し。

後に自分や息子が廟堂を一握する事になるなど、本人も気付いてはいなかった。


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